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散文2

2023年10月6日金曜日 晴れ

水曜の夜のMさんとの電話で気持ちが前向きになり、昨日は一日仕事だったものの朝家を出る前、夜皆が寝静まったあとの僅かな時間に己に課したタスクをこなす。

その流れで今日は某ギャラリーへ下見に行こうと、朝から若干日々の疲れを感じつつも張り切っていたわけだが、7歳の人、微熱。この時点で今日の自由時間の消滅が確定。もちろんギャラリー下見も不可能。
5歳の人も怪しい咳をしているが、それ以外は普段通りなので幼稚園へ送る。帰ってから小児科の診察を予約。

疲れたなあ、と思った。自由時間がなくなったと分かった瞬間にどっと疲れを感じた。急に冷たくなった秋の空気が今日は辛く、今にも喉の痛みが始まりそうな、体調不良の不穏な影がじりじりと迫っている気がした。ここで気をつけないとまた爆発してしまいそうとも。

火曜日には初めてのカウンセリングにも行っていた。良い空間、良い先生だった。建物があまりにもボロくて着いたときは後退りしたが、内部は綺麗にリフォームされており、済んだ頃には月一で通うことを決めていた。

カウンセリングに行って、Mさんからも元気を貰ったのだから、頑張らなければと思った。
7歳の人を自転車のうしろに乗せ、片道20分ほどかけて小児科へ。検査をしてもらったが、いま大流行中のインフルでもコロナでもなく安心した。帰りに最寄りのスーパーで7歳の人ご所望のたらこパスタの材料を買う。自分は最近お気に入りの豆腐ご飯と、さつまいもの煮たの。

お昼の後片付けが終わるとすぐに、幼稚園のお迎え時間であることに気づき、慌てて家を出る。
5歳の人が元気そうで安心。先生からも日頃と変わった様子の報告はなし。さっき7歳の人と一緒に行ったスーパーへ行き、三人分のアイスを買う。

アイスを食しているとき無になっていた。何もやる気が起きない。
少し一人の時間が欲しくて自室へ行くも、二人とも何度も部屋に来る。

ついに7歳の人が「5歳の人にお小遣いを投げられて無くした」と言いに来る。
日頃ちょっとしたタイミングでお小遣いを渡しており(頻度は低い)、二人分の貯金箱が居間のテレビの前に置いてあるのだが、それは受け取ったお小遣いをしまうとき、外出時に持ち出すとき以外は触らないと約束していた。どうやら約束を破り、遊びで小銭を使っていたらしい。そして何かの拍子で怒った5歳の人が、いつもの調子で小銭を投げたのだ。

居間へ行くと、私が自室へ去るほんの数十分前と比べてとんでもない散らかりよう。まるで泥棒でも入ったかのような。そして空の貯金箱。床に落ちている一枚の十円玉。

このとき何かが限界に達してしまった。この瞬間まで自分に言い聞かせていた全ての元気づけてくれる言葉が吹き飛び、理性も飛んだ。
お金を投げたことを認める5歳の人を突き飛ばしたあと、二人に対してめちゃくちゃに怒鳴り散らかした。窓が少し開いていたし、通報されたかも知れない。それくらいの調子で怒鳴った。そして泣いた。もちろん二人も号泣。

昨冬以来の死の気配も感じてしまったので、すがる思いで自治体の家庭支援センターへ電話。閉館の20分前だった。ここへは以前にも怒鳴り散らして後悔と自己嫌悪の涙を流しながら電話をかけたことが数回あった。
担当の方に話を聞いてもらえ、ようやく少し気持ちが落ち着く。このあと心から謝って、気持ちをしっかり伝えてあげれば大丈夫ですよと。
相手のことを否定せずに寄り添い、助言ができる人たちはすごい。それが仕事だと言われればそれまでなのだが、皆が出来ることではないと思う。

深呼吸をしてから二人と和解。ちゃんと謝れたと思う。そう願う。

その後三人で居間でくつろいでいるとき、この二人の心に今までどれだけの傷を付けてしまったんだろう、大人になって自分の考えで行動しようとするとき、その傷が妨げになったりしないだろうか、などと考える。支援センターの方の言ったことを思い出しながら、そんな考えをかき消す。

離婚したいなあと思う。というのも、“約束を破られること”に対して過度に反応してしまうのは、夫との間に起こったことのトラウマでもあるからだ。それは現在進行形で継続中。カウンセラーからは苦労してるね、良くやってるよ、と言われた。

市の別の機関で女性相談なるものをやっているから、夫婦関係の悩みはそちらで話すと良いと紹介してもらった。連休が明けたら予約を取ろうかな。火曜日になる頃、気持ちがどう変化しているかは分からないが。

本来の予定では明日が二人の運動会で、そのまま実家で連休を過ごす予定だった。7歳の人はもう回復しているようだから大丈夫そうだが、5歳の人の体調が夜になってやはり怪しく見える。明らかにいつもの元気がない。明日熱出るかもなあ。そしたら運動会は勿論、実家滞在もなし。ワンオペの連休になる。つまり、双方にとって地獄。5歳の人は運動会の日を指折り待っていたし、どうにか堪えてほしい。

これを書いている今、夫も子ども達も寝付き、台所には夕食の皿が積み重なっている。私がこれから洗わなければならない。どんなに調子が悪くても水回りだけはせっせと毎日綺麗にしてきたが、今日という今日はやめてしまいたい。でも結局やるんだろう。今夜スキップしたところで、明朝尻拭いするのは己なのだから。

エブドロは内なる旅。この日記もある意味で同じだ。というわけで書きたいままに書いた。
毎日手を動かすことが次また前を向くための貯金になることを、私はよく知っている。

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