散文
2023年8月28日月曜日 晴れ
こんなに気分が沈んでいるのはいつからだろうか。
一昨日くらいからな気もするし、もう数週間経っているような気もする。
昨日は友人に会う予定があり、いくらか気が紛れることを期待したが、結局そうはならなかった。
何かに期待することを一切放棄したいと願いつつ、無意識に何かを求めてしまう。
この落ち込みは、福島の汚水放出の件が大きな要因を占めている。地元の人々や近隣国の強い反対の中での放出。安全だとデータを示されたところで、改竄を繰り返す政権の言うことを信じる方が難しい。
毎年、年に二回ほど、海が大好きな子ども達を連れて外房に遊びに行っている。それも今年が最後だったのかも知れないと思う。年に二回とは言え、子ども達にとっては楽しい、もしかすると大人になっても記憶に残るような日々であるはずだ。それを奪わなければならない可能性がある。
外房へは毎回両親と一緒に行っている。母は自公政権の支持者。汚水が怖くてもう遊ばせられないなどと言えば、何と言われるか分からない。子どもが赤ちゃんの頃、原発周辺地域の食べ物は選ばないと話をしたときの母の反応は忘れられない。私が政権を批判したときの母の恐ろしい顔も。あれ以来政治の話はお互い一度もしていない。
このまま世界中からの信頼を失い、孤立し、また愚かな戦争に進みそうで怖い。私が今何よりも恐れているものはそれだ。私一人なら良かった。しかし子ども達がいる。怖い。
朝自転車で彼らを送るとき、愛する我が子を戦場にやった無数の母親たちのことを思い、苦しくなった。
ベルイマン『冬の光』に出てくる、中国の水爆開発を恐れ自殺してしまう男の気持ちが分かる。彼は救いを求めて堕落した牧師の元へ行ったが、結局絶望し死んでしまった。私は何に救いを求めたらよいのか。
昨日は友人にそれを求めていたのかも知れない。汚染水の件についてどう思うか聞いてみると、二人とも返事はぼんやりしていた。普段から政治やジェンダーの話が出来る彼らが。
黒澤明の『生きものの記録』が好きだ。この作品は私の心を強烈に捉える。水爆を恐れ、己と家族を救うために南米への移住を試みる男。どんなに家族から拒絶されても、彼らへの愛を失わない老いた男を見ていると胸が締め付けられる。私の今の心境は彼に近いと思う。最終的に彼は発狂し、精神病院に入れられてしまう。
母親になったのは間違いだったという思いが拭えない。原発事故が起きたのは高校の卒業式の日だった。事故前のような環境で子育てが出来ないのは最初から分かり切ったことだった。
別の角度から見ても上記のようなことを思ってしまう。新しい仕事を始めるにあたり、一人でないがゆえにシフトが全く組めず、ひどく悩んだ。
母親であることが苦しい。常に檻に入れられているような、首に鎖が嵌められているような気分だ。
全ては自分で選択したこと、と人は言うだろう。
前から気になっていた『母親になって後悔してる』という本をネットで注文した。予備知識はゼロ。今想像しているような本かは分からない。が読むのは今、という気がした。届くのが楽しみ。
暗い日々の中のかすかな楽しみ。
敬愛する町山智浩さんがタルコフスキー『サクリファイス』の中で、感度の高い芸術家は社会の問題を自分の問題のように感じてしまうんです、というようなことを、サクリファイスに加えて生きものの記録と冬の光を例に挙げて話していた。私の恐怖もその類のものなのだろうか。
毎日泣きたくなるくらい苦しい。まさに今それを表現するべきときなのかも知れないが。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?