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誰かがファン卒をして、新しいファンが救われる話

ありがとう、初回限定版で買ってくれた先人。

 5年ぶりくらいにBOOK OFFに行った。
 詳細は割愛するがここ5年ほどノマド生活だったので、常に移動を余儀なくされ私物を減らすことに注力していたのである。その割に円盤や雑誌バカスカ買ってましたね? というのはなんの反論の余地もないのだが、少しずつ「すぐには見ない」ものを実家にストレージする(実家の家族に文句を言われる)という裏技を駆使しつつやりくりしていた。
 あと廃盤でない限り極力USEDではなく、販売元から買いたいというエゴもあった。これは自分がその立場に立ったらやはり元(自分)から買ってほしいと思ったからに他ならないし、言い方は悪いが文化的資本に金を払うために仕事をしているというなけなしの自負もあった。どんなに好きでも元に入らない楽しみ方をして何がファンだと思うし、熱量はどこまでいっても主観の域を出ない。客観的な評価は数字であり、数字につながるものは行動で示すしかない。あなたの活動を購入して支持しますというシンプルな行動、誰が見ても明らかな賛同。特に現代のように何もかもが手軽になっている状況下で、特に「それ」に金を払いたい、という行動原理はかなり大きなものがある。そうして示せて初めての熱量だというのもわかる。
 もちろん全てではないことは承知している。デレマス育ちのプロデューサーであれば、一度はそうした「金と愛」の相関関係に思いを巡らせたことがあるはずだ。国産車ほどの金額を課金する(できる)人を相手に、己の愛が足りてないのかと自問するのは最早愚問である。

 話を戻すと、BOOK OFFでひと通り「芸能」「写真集」の棚を回っていたとき、衝撃の出会いがあった。2010年の劇団EXILEによる演劇パンフレットである。自分も観劇の際にはほぼ必ずパンフレットを買う方なのでわかるが、基本的にこうしたものは再販がないし、映画よりずっと上演のスパンが短い。2010年3月、メインは当時EXILEに加入したばかりのケンチさん、啓司さん、NAOTOさん、TETSUYAさん、直己さん。劇団時代の健二郎さん、エリーさんの名前もあり、さらになんと我らが白濱亜嵐くんの名もあった。当時16歳。上京して1年も経たず名前付きの役を貰っていた彼は、「将来歌って踊れる俳優になりたい」とパンフレットで述べていた。全部叶っている。すごい。

 こういう歴史を感じる資料は必ず手元に置きたい方なので、一もニもなく籠に放り込みレジに向かおうとしたのだが、もうひとつだけまあまあ衝撃の出会いがあった。SPEEDSTARとベスト盤の初回限定版がひとつずつ、音楽コーナーにぽつんと置かれていたのである。ベストに至ってはFC限定ジャケットだった。戦慄した。
 ハマって間もない頃にタワレコで「Up&Down」を買い、「少年クロニクル」のBDを買った自分だが、SPEED STARや GENERATIONSなどの初期の盤に至ってはどうしても店頭で見つけることができなかった。そもそもモノがないのも確かだが、大振りな初回限定版など店頭では残っていないのが普通。さすがに初めて見たので、手に取って色んな角度から眺めた。迷った挙句、SPEEDSTARだけ買うことにした。FC限定は自分には荷が重い。そもそもベスト盤もう買ったし。布教用にもう一枚買うにしても、それなら中古ではない方がいい。
 というわけでまあまあな掘り出し物を有難く入手して帰った。あと過去の月刊EXILEも何冊か買った。雑誌のバックナンバーを手に入れるのは世の中で最も難しい。個人的には大収穫だった。

 自分の話をすると、こういう中古屋に売るか売らないかで言うと売らない方だ。というか売るくらいなら最初から買わない方だ。それは円盤やCDもそうだし、漫画の単行本や雑誌でもそうだ。基本的には売らない。売ってからまた必要になって、買い戻す方がはるかに大変だからだ。とくに雑誌など殆ど保存を前提にしていないので、多少年数が経つと紙が劣化したりインクの色が飛んだりで「購入に値する質」のものがどんどん減っていく。ファンにとっては宝でも、買取査定をするお兄さんの目に「ヨレた小汚い雑誌、売り物にならない」と写ってしまっては廃棄まっしぐらである。
 現在の自分がこうなったのも、それこそ中高生のときにはかなりの頻度でそれらを利用して本を読んで売っていたからで、売るときにどんなに自分が好きな本でも(好きすぎて2冊買ったりしていた)レアなものでも、保存状態が良くないとなれば「買取できない」と突き返されたり、こちらで処分しますと通達されたりしたからだ。なんだかよくわからずそんな扱いをされるくらいなら、ずっと手元に置いて、もしくは目の届く範囲に置いておいて、たまに思い出した時に触れる方が自分の心境としては穏やかだと思い、そこから中古販売店にはあまり行かなくなった。好きなモノが多い性分だが、「熱し易く冷め易い」ではないのだ。というか正しくファン卒をできたものがおそらくない。人生で最初に沼ったドイツサッカーは今でも大好きだし、GLAYのライブにも行き続けている。それこそGLAYは2004年くらいからほぼリアルタイムで初回限定版を買い続けている(母も好きだったので自然とチケット代とライブ円盤は母、アルバムは自分という購入区分ができた)。何かから足を洗うことができない。一度好きだと思ったものは、何かのきっかけでまた再び好きになることがある。それに、何か当時好きだと思ったモノが、時間を置いて新しく好きになったものと繋がることもある。いまのEXILE TRIBEがそうだ。地味に岩堀せりさんが佐野玲於さんのインスタに♡を飛ばしているのを見たり、トシャカと呼んで可愛がる宮上元克さんを見たりするときに、あのとき捨てられなかった雑誌の記事をもう一度読みたいと思うことがある。去年の春クールのドラマ特集記事をたくさん買っていたので、「泣くな研修医」のインタビューを掘り起こすことができた。同じ世界に生きているとそういうことはもう無限にある。たぶんエンタメとの接点がそうしてわかりやすいだけで、日常生活においてもこのようなことは普遍的に起こっているのだろう。

 それを縁と総称するのはいささか乱暴が過ぎるが、自分の手元にこうした経緯で渡ってきた限定版の何某かを見ながら、色々なことを思う。
 これを買った人は色々あって手放したのだろう。決して安くはない品である。それだけの価値を見出し対価を支払ったモノを、何かの理由でファン卒したのか、追いかける気力が無くなってしまったのか、飽きたのか、居住スペースを圧迫したのか、重複したのか、あるいはもっとままならない理由か。その理由は正直に言えばどうでもいいし、責めるような気持ちもまたない。ただひとつ言えるのは、この初回限定版を当時買った人がいたから、買った人がそのときにちゃんと対価を支払って愛したことが今のGENERATIONSに繋がって、私が10周年を迎えようとする今のGENERATIONSに出会えて、手に入りにくい希少な作品を手にすることができたということだ。何かと批判される中古販売であり、販売元に適正な利益が生じないという問題から目を背ける意図はないのだが、サブスクリプションサービスで我慢できず現物を手に入れたい新参のファンとしては、見ず知らずの先駆者が手放した限定品を手にすることができてひとまずは最初に感謝を述べたい。埃をかぶって押し入れの中に放り込まないでいてくれてありがとう。あなたが手放さなければ自分がこの初回限定版を手にすることはなかった。あなたの分まで大事にさせてもらいます。そして今度は売りません。

 というのをKCKブラストをやりながら考えていました。メンバー同士が「野菜切って〜」とか「味付け薄ない?」とか言ってるのがまあまあ緩くて癒しです。一番好きなやりとりは「隼鍋見とってくれへん?」「ほんとに見てるだけになりますけど…」という会話でした。言いそう。
 迷っている人はDLしよう。時間が溶けます。

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