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論より証拠、まずは自分でやってみよう。③

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続き・・

ではこの画像を記憶いただいて
ユダに戻ってもらう。

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いかがだろうか?

お遊びコーナー

ここで少しお遊びコーナーを設ける。

実はこのころ、私は同時進行で受胎告知、
岩窟の聖母などの研究もしていた。
 そんな中、私は、ある発見をしていた。
レオナルド・ダ・ヴィンチは
自分の絵の解読に
レオナルド・ダ・ヴィンチ自身の
描いた絵を使うことだ。

詳細については受胎告知編
あるいは岩窟の聖母編で紹介するが、
例えば受胎告知と荒野のセントジェローム、
受胎告知と岩窟の聖母だ。
 それではこの最後の晩餐の
もう一人の人物を描いた絵があるかもしれない。
半分お遊びで半分真剣である。
それではどうぞご覧いただきたい。

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これはレオナルド・ダ・ヴィンチの素描、
聖セバスティアヌスの殉教だ。

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左手の特徴的な形が私に
背後の人物を連想させた。
あくまでもお遊びコーナーだ。
このような態勢の方がユダの後ろの
スペースにはマッチする気がする。
 さて、もしこれが本当だと
したらどうだろうか?
使徒以外にもう一人いることになってしまう。
キリストと13人の使徒になってしまう。
私としては一人増えたとしても
問題はないのだが、キリスト教の
特にカトリックの観点からすれば
これは由々しき問題ではないだろうか。
私の推測だが、レオナルド・ダ・ヴィンチの
最後の晩餐は完成当時この腕の部分がもっと、
誤解を生むように絶妙に描かれて
いたのではないかと思う。

 それに気づいた教会側は修復の名のもとに
ペトロの手の様に描きなおしたのではないか?
考えすぎか?

NHKのペトロの右手問題とは
これだったのではないか?
ある意味ではテレビの力を使ってでも
1970年代頃のバチカンでさえ、
ペトロの右手ということに
してしまいたかったのではないか。

 世界の万民にそう思いこませたかった
とすれば合点がいく。
邪推かもしれないが,最後の晩餐の
取材の引き換えに、このペトロの右手問題は
解決し「ペトロの右手であった。」
強調してくれと教会側から交換条件を
提示された可能性がある。
証拠はない。
もしそうだとしても時効だろう。

NHKさん安心してくれ。

さてそうなるとペトロの抑え込んでいる
人物は誰なのだろう。

 キリストの話を聞いて、
すぐにナイフを抜いて暴れるということは、
かなり短気な気性の人物のようだ。

 私なりに調べた結果可能性としては
ヨハネが一番高そうだ。

ではヨハネとはいったい
どんな人物だったのだろう。

案外その性格は知られて
いないのではなかろうか。


続く・・


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