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改訂版 貴方は本当にレオナルド・ダ・ヴィンチを知っているか? その6

先に言っておきますが、このルーベンスの模写と言われているデッサンはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたものです。貴方は驚くはずです。この証明は私の目的ではありませんでしたが副産物として私に与えられました。最後まで読んでいただければそれを理解するでしょう。
 その時は、その素描をルーベンスが描いたとしても、あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとしても関係ありませんでした。あの「反対に返した右腕の手首」を探し出せれば良かったのです。その理由は、たとえその絵が模写であったとしても原画はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたものだからです。

鍵は闘士の右腕


 皆さんはアンギアーリの戦いを観たことがありますか?左側の馬に乗った闘士の腕を見てください。
この闘士の腕の手首はこれ以上曲がらない「手首の返し」ではないかと思います。ここで少し問題が起こりました。それはこの闘士の腕が右腕ではなく左腕だったということです。しかしそれは大した問題ではありません。私がその絵画を反転させれば良いだけのことです。画像処理は便利なものです。

私はこの「アンギアーリの戦い」の闘士の右腕を切り抜きました。

そしてペトロの右腕に重ねました。「槍の柄」を「ナイフ」に置き換えてみました。貴方は理解できると思います。この闘士の角度が限界であり、ペトロの右腕の表現は間違いです。

もちろん、それはこのナイフを持った人物が通説のペトロである場合です。これで問題はひとつ解決しました。
 この場面はペトロがもう一人の人物の右腕の手首を掴んでいます。それでも、貴方がペトロの腕と言うのならば、それは私にどうすることもできません。貴方はここで読むのをやめていただいて構いません。しかしあれだけ人体を解剖し人体を細部にわたり研究したレオナルド・ダ・ヴィンチがこんな稚拙な間違いをしたと認めることと同じだと私は思います。彼がそんな間違いをするとは思えませんでした。
 やはり、レオナルド・ダ・ヴィンチは「謎を解く鍵」を残していたと私は確信しました。それで私は満足していたのです。私が解明したわけではなく、レオナルド・ダ・ヴィンチが説明しているのですから私は気が楽になりました。そしてまたしばらく時が過ぎました。
 今、当時を思い出せば、年老いた老人がちょっとしたアイデアを発見して有頂天になっていたような気がします。500年の間、多くの美術関係の学者や美術史家が「レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた最後の晩餐」を研究してきたはずです。多くの議論があったと思うのです。そんな状況で、突然「一人の老人が簡単に謎解きなどできるはずがない。」と思うのが普通でしょう。思いついたアイデアを検証もしないで有頂天になっていたにすぎないのです。そう思われるのが普通です。さらに追い打ちをかけるように私にダメージを与える事件が起こりました。


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