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ゴッホの青い手紙 最終回

テオの手紙

 ヨー、もう僕の葬儀も終わり、少しは落ち着いた頃だろうか?僕は兄が死んでどうにもならなくなった。精神の均衡が保てない。この手紙はかろうじて正気と思える時に書いている。だから真実だ。僕はもう長くはないことを悟っている。この手紙は僕が死んでからヨーの様子を見計らって投函するように友人に頼んでおいたものだ。
 君にお願いがある。実は私の本棚の分厚い百科事典の一冊に、兄さんの手紙が隠してある。これはヨーが知っている、いや知ることになる手紙とは別のものだ。青い便箋に書かれているので一目で区別がつく。これは兄さんから読んだ後、必ず焼き捨てる様にと言いつけられていたものだ。僕は処分できなかった。君もある程度はヴィンセントの偉大さには気づいているだろうが、この青い手紙を読めば、それは確信に変わるだろう。

 彼にどれだけ僕が絵画について教えてもらったかが分かるはずだ。恩返しに私は彼の大芝居の手助けをしたともいえる。これは結果的と言った方が良いかもしれないが、彼の逃げ道なしの策略、舞台演出から逃れることもできなかった。多分私が行動を起こさなくとも彼は死んだであろうし、どうすることもできなかった。具体的にとは何なのか?私は君だけには言わねばなるまい。僕が彼を撃ったらしい。らしいというのも無責任だね。大変な話なのにね。本当に覚えていないのだ。打たなければ他の少年たちに打たれたであろう。最後の手紙でそれを直感したのだよ。
 
 何にせよ記憶が曖昧だ。それに今でも自殺であるかのようにも思えてしまうようだ。
 
 彼の最後の手紙を読んで僕はそうするしかなかったと今では確信するようになった。彼は自殺するわけにはいかなかった。殺されなければならないのだ。僕が打たねば案山子と間違えて打たれるように仕向けただろう。僕にはすぐにその意味が分かった。でもね、自分でもおかしいが、僕が撃った記憶の、まさにその時の兄さんの、にこやかな顔は忘れられない。微笑んでいた。そして「ありがとう」と言ってくれた。夢なのだろうか?私には正直記憶がないのだよ。僕はその瞬間を覚えていることは確かなのだが正直に言ってそこに行ったことすら覚えていない。僕は自宅に居たような気さえする。おかしな話だと笑わないでくれ。本当なのだから・・・今も頭が混乱している。兄が僕の住所をガッシュ達に教えなかった訳が今になれば分かるだろ。時間を稼いでくれたのだ。

 でも僕は自分の意思で行った記憶すらないのだよ。皆は自殺だと思ってくれている。それが一番なのかもしれない。彼は自分の為し遂げた仕事が世界に貢献できるとすでに確信していたのだ。

 もしかしたら僕の思い過ごし妄想なのかもしれない。ただね、僕が朝目覚めたら見たことのない彼の絵が立てかけてあった。彼の作品であることには間違いないことは一目でわかったよ。でも、もし僕が最後の場所に行って持ち帰ったとすれば、さすがに早描きの兄の絵でも絵の具は乾いていないと思うのだ。彼はシッカチーフを使わなかった。艶を出すためにハーレムシッカチーフは使っていたがね。不思議だ。時空が歪んでいるのか?

 もしかしたら兄さんが言うように、大天使ガブリエルの仕業かもしれないね。青い手紙を読んでくれ。三角柱のガラスを兄さんにプレゼントした少女が青い手紙に出てくる。その少女を彼は天使だと言っているからね。大天使ガブリエルなら時空を歪められるからね。意のままだ。こんな手紙を読んで君は驚くだろう。すまない。君には苦労を掛けた。

 でも、君にはもうひとつ苦労願わなければならないことになる。彼の絵画を皆に紹介してくれ。準備は整った。焚き付けに火を点ける程度の作業で済むはずだ。すぐに燃え盛るだろう。世界に感動を与えるには十分すぎる質と量だ。彼が愛した日本にも紹介されるだろう。兄さんも喜んでくれるよ。どうか頼む。

 そして彼の白い便箋の手紙をまとめることをお願いする。膨大な量なので大変だとは思うがよろしく頼む。彼と僕は彼の絵の中に再び甦るのだ。君には寂しい思いをさせてしまって本当に申し訳ない。愛しているよ、ヨー。心から愛している。青い手紙とこの手紙は処分してくれ。僕は彼の言いつけを守れなかった。最後に少しは彼に反抗してみたかったのかもしれない。
 さようなら。

追伸
彼の最後の作品は僕が処分した。あの絵が仮に絶筆だとしたら絶筆はこの世に存在しない。彼は結局誰にも迷惑をかけないように逝った。でも、彼の大芝居の幕引きは僕であるべきだ。息子のヴィンセント頼むよ。ヴィンセントとは「勝利者」という意味なのだからね。

                完



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作者あとがき


 皆さんも当然お気づきだとは思いますが、このお話はフィクションであります。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホがこの本の中に出てくる絵画を見たことがあるのかも全く分かりません。私の想像の産物でありますので、あまり目くじら立てずに読み物として楽しんでいただけたら幸いです。

 私は美術に詳しくはないですし美術史も詳しくありません。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの一生も詳しくありませんでした。今回この本を書くにあたり慌ててゴッホの手紙を読んでいるその程度です。ただ何故ゴッホの絵が人類に愛され、且つ輝きを失わないのか?また、なぜあれほど短期間にあれだけの作品を残せたのか?そこに興味があり、もしかしたら彼は私たちたちが思っている人物像とは全く違うのではないかという発想で書いてみたくなったわけです。

 彼の最後の場面も私のあくまでも空想の産物ですのでどうかゴッホファンの方々気を悪くなさいませんように。


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