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親愛なる読者へ(自己紹介)①


 まずは、自己紹介をしなければならない。私は日本の長野県、大町市という小さな市に住んでいる。美術に全く興味がなかったと言えば嘘になるだろう。小学生時代、絵を描くのは好きであった。高校生の時には美術部であった。私はデッサンも真剣に描いた。美術の教師から「君のデッサンは私のデッサンと比べ物にならないほど素晴らしい。教えることはなにもない。」などと言われ、真に受けた私は有頂天になった。そして愚かにも芸術大学を目指した。見事受験に失敗した。
 家は貧しかったが、親兄弟に仕送りをしてもらい東京で2年ほど予備校生生活もした。絵も描いてはいたが、日本各地から集まった芸術家志願の若者と美術論を戦わせた。むしろ議論を戦わせるほうに熱心だったような気がする。当然ながら受験倍率47倍の難関の大学には入れなかった。私は逃げるように東京から田舎に戻った。今考えれば大学など入ったとしても何もわからなかっただろうし、行かなくても絵を描こうとすれば描けたはずである。
 所詮、私は有名大学を出たというステータスだけが欲しかったのだと思う。大学受験を諦めたとたん、絵を描かなくなった。芸術に対して、その程度の情熱しか無い人間だったのだ。私はサラリーマンの道を選んだ。小さな製造業の会社ではあったが60歳まで務めた。結婚もした。子供も二人いる。紆余曲折はあったが細かいことは割愛しよう。別の機会に書くこともあるかもしれない。
 現在の日本は60歳定年の会社が多い。しかし、年金は65歳くらいから支給なので、たいがいは長期雇用制度で65歳まで働くのが普通だろう。私は60歳できっぱり会社と縁を切った。理由はこれと言ったものはない。会社という組織の一員でいるのが嫌になったこともあるかもしれない。たまたま家が兼業農家であったので、会社勤めをしながら米を作っていたのも要因のひとつかもしれない。
 私が会社を辞めた2017年ころは景気も悪く製造業も低迷していた。高度成長期なら無駄な管理職ポストが多かったが、会社や工場は縮小傾向にあったので、あってもなくても良いようなポストは文字通り削減されていた。リーマンショックのあたりから、コスト削減を声高に叫ぶ経営者が続いたのも理由の一つかもしれない。
 振り返ればリーマンショックで、さほど被害を受けてはいない私の勤めた会社ではあったが、世の中の風潮でコスト削減の真似事をしていたにすぎないように思えた。私の目からすれば、親会社に気に入られるようなことをして、自分は丁度良いタイミングで退職して逃げ切りたい偽経営者ばかりと思わざるを得ない。偉そうなことを言ってしまった。会社に恨みはない。

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