見出し画像

谷愛凌と朱易から見る、グローバル化とスポーツ選手の国籍について

(写真:ロイター/アフロ)

2022年北京冬季オリンピックが開幕し多くの選手が参加した。

競技が進む中、中国国内で大きく明暗を分けた選手が存在する。それは、フリースタイルスキー女子ビックエアに出場した谷愛凌選手と、フィギュア団体女子ショートプログラムに出場した朱易選手だ。

谷愛凌選手は2003年アメリカ・サンフランシスコ生まれの18歳で、母親は中国人、父親はアメリカ人だ。母親の谷燕氏は北京出身で北京大学で化学工学を学んだ後、アメリカのスタンフォード大学で学んだ。谷選手は3歳のとき、スキー指導者の経験があった母親のもとでスキーを始め、たちまち頭角を現した。幼い頃から「天才少女」といわれ、学校の成績はオールA。スキーのほか、ピアノ、バレエ、バスケットボール、サッカー、乗馬、サーフィンなどでも優れた能力を発揮していた。

一方、朱易選手は2002年アメリカ・ロサンゼルス生まれの19歳で母親父親ともに中国人だ。父親の朱松純氏は有名な科学者であり、アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校で教授を務めた後、2020年に中国に帰国し、北京大学人口知能研究所の所長に就任した。父親の朱松純氏はフィギュアスケートが好きだった影響を受け、朱易選手は7歳からフィギュアスケートを始めた。

そんな二人の共通点はどちらもアメリカ生まれながら、中国にルーツを持ち、アメリカ国籍から中国国籍に帰化している点だ。このようなことが可能となったのは、アメリカは出生した国の国籍が子の国籍となる「出生地主義」という方式をとり、中国は親のどちらかかの国籍が子の国籍となる「血統主義」という方式をとっていることが関係している。(一部例外もある。)

しかし、谷愛凌選手は生まれも育ちもアメリカながら、毎年夏休みになると、母親の故郷である北京に帰省し、中国語と中国文化を学んでいた。その甲斐もあって谷爱凌はペラペラな北京訛りな中国語を話す。この点が中国人の心をくすぐったのか、アメリカ生まれでも、「中国語が話せる」「中国文化をきちんと理解している」と、中国人の間で高く評価されている。そして、2月8日に行われたフリースタイルスキー女子ビックエアで金メダルを獲得したことでさらに中国国内での評価が高まった。

一方の朱易選手は、フィギュアスケート団体の女子ショートプログラムに出場したものの、冒頭のコンビネーションジャンプで転倒し壁に衝突してしまった。その後のフリープログラムでもも精彩を欠いて最下位になってしまい、中国のメダル獲得が厳しくなってしまった。また、かつて受けたインタビューで英語で話していたこともあり、「中国語も話せないのに代表入りしたのか。」「父親のコネで代表入りしたのではないか。」などと誹謗中傷を浴び、複数のアカウントが停止されることになった。彼女は2018年にアメリカ国籍を放棄し、中国代表としてオリンピック初選出されたが、今回の誹謗中傷には、中国生まれの選手を差し置いて代表に選ばれたことへの不満や中国国内で「国潮」と呼ばれるナショナリズムに近いものが若い世代を中心とした一大ムーブメントとなっていることも関係していると思われる。

中国では、国がスポーツの発展に力を入れていることもあり、メダルを獲得したことによる影響力は日本と比べものにならない。だからこそ、多くの選手が死に物狂いでオリンピックを目指す。そうすることで成功できると考えられている。(現に谷愛凌選手は中国代表入り後、そのスタイルの良さもあってか様々なブランドの広告塔として活躍しており、その収入も巨額に及ぶと言われている。)

しかし、中国生まれ中国育ちの選手を差し置いて代表になることは、ある種の「助っ人」として中国に貢献することが求められる。そのような期待もあってか、今回の朱易選手のパフォーマンスは多くの中国国民の期待に背くことになってしまった。

特に今回の件で印象にのこったのは、「アメリカにいる時はアメリカ人、中国にいる時は中国人。」という谷爱凌選手の発言だ。幼い頃帰化した私にとってこの発言は非常に共感できるものだった。

私が幼い頃(2013年頃)は、尖閣諸島の問題やナゲットにビニール混入した事件もあって日本国内で反中運動が過熱していたころだ。日本にいれば中国人として扱われ、いじめにあう機会もあった。そんな中、中国に帰省しても、近所の人たちからは中国を裏切った裏切者のように扱われてしまう。このような人たちは少数であったが、幼い私の記憶にしっかりと刻まれた。この経験から私は自らのアイデンティティをめぐって様々な葛藤があったが、谷愛凌選手と同じ考えを持っていた。

日本と中国とでは自らを取り巻く交友関係や言語、文化などの環境が異なることもあってか、昔から日本にいる時の自分と中国にいる時の自分とでは性格などのパーソナリティがそれぞれ存在すると考えているからだ。そうすることで自らをその環境に適応させることができると思う。

グローバル化が進みさまざまな国にルーツを持つ選手が増える中、このような問題はより複雑になると思う。多国間での国際結婚が生じることで、自分のアイデンティティがあやふやになることも増えると思う。

それでもその国籍を選んだ選手の勇気ある決断を支持するべきではないかと考えた。大会に国籍という縛りがあるのならば、その国籍をもつ選手の考えを尊重し、精いっぱい応援をするべきではないかと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?