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「成人式」とコロナとnote始めのご挨拶

2020年の今年は、2000年の初個展から20年。

長い付き合いのある、ある画商さんは「成人式だね」と言ってくれた。
「成人」つまり人に成るとは、この場合作家になるということか。
どうだろう、この20年で自分ははたして作家になれたのだろうか。


20年前26歳の時、ひょんなことから話が舞い込んで、銀座松屋さんの7階美術フロアの柱巻きスペースで小さな個展をすることになった。その初日が2000年5月24日。ちょうど20年前の今日だ。その時のDMは今も大切にとってある。

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生まれて初めての個展。どうなることかと思ったが、いざ会期が始まるとたくさんの人が来てくれて、準備していた器はほぼ全部なくなった。

最終日も残すところあと数時間、という頃、当時のバイヤーNさんに突然お茶に誘われた。なんだろう?と思いながらあとについて8階レストラン街にある喫茶店に入り、二人してコーヒーを飲み始めたところで

「初個展、いい手応えでよかったですね」

Nさんはニコニコしながら、そう言ってねぎらってくれた。そして続けて「どうでしょう、せっかくいい結果だったし、これからは松屋で1年おきとか2年おきとか定期的にどうですか?」そう言ってあらためてオファーをくれたのだった。

なるほど、そういう意味のお茶だったか、とそこでやっと気がついて、Nさんの有り難い申し出に「はい、ぜひよろしくお願いします」と言うと、「ペースはどうしますか?1年おきでも2年おきでもうちは構いませんが」と再度聞かれた。はてさて。どうしますかと聞かれても初個展を終えたばかりの身でなにしろよくわからない。結局口から出たのは「はあ、僕もどちらでも…」

今にして思えばなんとも冴えない答えで頼りない限りだが、Nさん、しばし思案顔の末にこう決めてくれた。「そうですね…まだ若いから中野さんさえよければ毎年がいいでしょう」

こうして松屋さんで毎年個展をさせてもらうことになった。
(※2012年以降は隔年に変更)



生まれて初めての個展が終わると、それまで制作で徹夜が続いていたのと会期中慣れない在廊で気を張っていたのとでどっと疲れて、その後はただなんとなくボーッと過ごしていたのを思い出す。しばらく何もする気が起きず、ひと月経った頃からようやく、リハビリのように少しずつ制作に戻っていった感じだった。当時は年に1度しか個展がないのだから、今と比べれば個展と制作のペースはのんびりしたもの。それでもその頃の自分には過負荷だったのだろう。制作も個展もそれだけ無我夢中だった。

その後、歳を重ねるにつれて少しずつ開催の場所が増え、年間の個展の回数も2回、3回、4回と増えていった。次の予定があると、ひと月も悠長にボーッとしていられるわけもなく、ひとつ終わるとすぐ制作に戻るようになり、回数をこなす中でだんだんと個展体力?もついてきた。それぞれの土地で楽しみにしてくれる人も少しずつ増え、物を作る身としての手応えも感じた。創作意欲もあがった。無我夢中で目の前の個展に向かうことを繰り返しながら、あっという間に年月も過ぎた。

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2014年9月 東京展。


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2017年1月 福岡展。


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2018年7月 名古屋展。


制作から発表まで、基本的にほぼ一人でこなしていたのでいろいろ大変ではあったけれども、自分のできる範囲で物事をコツコツやること自体は性に合っていて、特別苦にはならなかった。

ただ、そのスタイルだと、個展が年4回ともなると作品制作以外の個展準備と会期中の在廊、終わった後の始末だけでも結構な時間をとるようになり、制作に充てられる時間が減ってしまっていたのも事実だった。自分にとって、作る時間、作品と向き合う時間はなにより大切で必要なものだったから、その時間が十分確保できないでいることに、だんだんともどかしい気持ちも生まれていた。できるだけまとまった制作期間が取れるよう年間の個展スケジュールを詰めるなど工夫もしてみたが、それでもやはり厳しかった。制作時間を補おうとして睡眠不足が続いて体調を崩したり、無理に蹴ロクロを回しすぎて膝を痛めたりもした。

そこで、ここ数年かけて各地の個展の間隔を少しずつ空けて調整して、今年は富山と東京の2ヶ所に絞って、その分、制作の時間を確保することにした。個展が年2回なんて12年ぶりだな…と思っていたら、その2回のうち5月上旬に予定していた富山が残念ながらコロナでなくなって、結局、秋の東京だけになった。


20年目にして最初の年と同じ、松屋さんで年1回だけの個展。

個展で生活している身としては個展がなくなるのは困ったことで、生活の心配は他のフリーランスの方々同様なのだけど、でもまあ20年前と同じ状況は初心に還るいい機会でもある。「なんだ、20年かけて結局振り出しに戻ったということか」と思えば、これはこれで悪くない(気もする)。生活の心配や先の見通しの立たなさだって20年前から同じで、今に始まったことでもない。

この20年で自分の歳や環境は変わったが、制作に向かう初期衝動は今も変わらない。あの頃はあの頃で無我夢中だったが、今も今で結局のところ無我夢中だ。

今は単純に制作の時間が増えてなんだかワクワクしている。

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20年の記念というわけでもないけれど、note始めてみました。
千葉県長柄町で陶芸制作しています。
みなさま、どうぞよろしくお願いします。



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