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丹後100kmウルトラマラソンかく戦えり Part 2

浅茂川のエイドを出発して、八丁浜に出る。青い空、青い海、すっかり真夏の様相。しかし、走りは相変わらずで、走っては歩くを繰り返す。ここで靴底の異変に気づく。右足のソール材が少し剥がれて、パタパタし始めたのだ。

実は今回履いた靴は、2020年の丹後ウルトラ用にコロナ前に買ったモノだ。そこから2年以上ずっと箱の中に入っていて、今春ようやく使用し始めたのだが、それが原因かどうかはわからない。もっとも走りには大して影響はないだろうが、モチベーションが上がるはずもない。

走りながら、歩きながら、なんでこんなことになったのかを考えていた。8月は少なくとも3年前よりも距離が走れていた。とはいうものの、そこまでは距離を稼ぐことよりも、股関節を中心とした動きづくりを中心に行っていたので、距離に関して不安がなかった訳ではなかった。

特に10kmを超えて走ると、臀部に張りがでてきていたので、レース中同じことになることは覚悟していた。しかし、いざレースになるとこうはならず、脚全体が動かなくなってきたのだ。これはむしろはじめて60kmを走った時のような感覚だった。ということは…..

これは間違いなく、この3年近く長い距離のレースを走っていないことが原因だと思えてきた。最後にフルマラソンを走ったのが2019年11月の神戸マラソン。翌2020年2月最終週に姫路城マラソンを走るはずだったが、ご存じの通りこの週からエリートのレース以外はことごとく中止された。

そこから、ハーフマラソン2レースは走ったが、3年近くハーフを超える距離のレースを走ることができなかった。練習ではある程度の距離は走れるが、エイドもなければ安全が確保されているとは限らない中で、長い距離をきっちり走り切るのは意外に難しい。レースは市民ランナーにとっては最高の練習場所でもあるのだ。

とはいえ、長い距離を走るのがわかっていて、距離を走ることにこだわらなかったのか?それは、もっと速く走りたい、ただそれだけの理由からだった。

自分のデータを見ていると、身長の割にストライドが明らかに短い。となるとストライドを広げるしかないのだが、そのために股関節を中心に体の柔軟性をあげていかなければならないと考えた。そして、フォームが完成しない中でいくら距離を稼いでもしょうがないと考えていた。

昨年の夏からの約1年のトレーニングである程度の結果は出ていた。そこから丹後ウルトラに備えて距離を稼いで間に合わせようとしたのだが、そもそもレースを走っていないという大きな土台がないということを認識できていなかったのだ。

もちろん、暑いことの影響が全くなかった訳ではないが、完走できなかったランナーも実戦不足が原因の人が多かったのではないかと思っている。

体はちゃんと走れなっていたが、やはり地元のレース、途中で栄養ドリンクを差し入れてもらったり、家の前の私設エイドにお世話になったりして、頑張らない訳にはいかない。

第2関門の弥栄庁舎に到着。リタイア申告所があるから、直行しようかと思ったが、まだ回復する可能性はゼロではないから、先に進むことにした。これは2018年の丹後ウルトラの経験からである。

この年も暑い中のレースで、今思えば脱水症状で、体が動かなくなっていた。最終関門(85km地点)を前にリタイアを覚悟したが、10秒前に関門を通過はしたものの、リタイアしようと思っていた。しかし、マッサージを受け、夕方になり、涼しくなってきたのがわかったので、先に進むことにしたら、なんとかかんとか制限時間の2分前にフィニッシュできたのだ。こんなこともあるので、可能性のある限りは歩いてでも、いや文字通り這ってでも先に進まなくてなならないのだ。

60km過ぎて、碇高原への上りに入る。そうこうしているうちに空も曇ってきて、肌を刺す暑さはなくなってきた。しかし、体はちっとも回復してくれない。ひたすら歩くが、もはや次の関門には間に合いそうにもない。エイドに寄る度に、ここでリタイアしようかとも考えたが、ルーティーンをこなして進むことにした。

もはや、将棋で言うところの敗勢での形づくりなのはわかっていたが、せめて残りは楽しむことにした。そうすることで、次に繋がるだろうとも考えていた。そして、ほぼ上りきった辺りにある、関門の1つ前のエイドに到達。もはやリタイアは確定的だだったが、エイドにいた学生のボランティアが明るい笑顔で迎えてくれた。ここまでたどり着いてよかったと思えた瞬間だった。

もはや前後にランナーもほとんどいなくなった。そして、碇高原の関門に到達。制限時間を20分以上過ぎており、余裕のタイムアウト。仮に第1ウエーブだったとしてもここまでだった。

どうやっても、もう走れない、レースで初めてフィニッシュできなかった。この時点ではリタイアしたことに後悔はなかったし、これで終われることでホッとした自分もいた。しかし、この数時間後に全く別の感情が沸き上がってくるとは思ってもいなかった。

つづく

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