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【白虎隊自刃】

 あの頃、僕は空虚と絶望の中に毎日をただ生きていた。
 将来、自分が何になりたいのかもわからない。まぁそこまでは思春期に多くの少年少女が向き合う壁なのだろう。幼い頃から自分の道を見つけ、頑なにその道だけを歩み続ける者なんて本当に一握りだ。そんな目標も持てずにいる者にとっては、とりあえず目の前のルーティンをこなしながら友と文武両道に励み切磋琢磨の青春・・・それが幼い頃に描いていた「青春」だった。誰もがそうだろう。

「青春」ある日までの僕のそれは悲惨だった。簡単に言えば中学・高校と「苛められっ子」だったんだ。そんな僕に友などいるはずもない。どんな苛めを受け、どんな辛く苦しい思いだったか。それは世の「苛められっ子」が受けた仕打ち、背負う思いとそう変わらないと思う。
 両親には言わなかった。身体的な苦痛を受けもしたが、手を出す連中も巧妙だった。傷跡が残る顔は殴らず、徹底的に身体を痛めつけてきたからね。だから気づかれる事もなかった。多くの苛められっ子がそうである様に、僕も両親には心配をかけたくないと言う気持ちもあったし、「言っても無駄」と言う諦めを抱いていた事も否めない。
バブル期に青春を過ごした父親は、放課後や休日も引き籠りがちな僕を見て
「俺がお前の頃はな・・・もっといい服着たい、いい車に乗りたい、綺麗な女性と付き合ってアレも欲しい、コレも欲しいと欲求と願望に飢えて出歩いてたぞ」
と呑気に言う。その頃の時代背景と価値観を押し付けられるなんて、冗談じゃない。いや、時代背景も関係ないんだ。そう、あの頃の僕はただ、空虚と絶望の中に「居た」だけなのだから。
自分なんて生きている価値はない。苛められる多くの人同様、僕も自殺を考えた事は無いと言えば嘘になる。ま、その話まで行けば本題からどんどん脱線するからこの位にしておこう。

何を機に変わったかって?それが実は、ある夜に見た「夢」だったんだよ。今思えば笑える話だけど、今思っても夢か現実かもわからない。

 よく「人生を変えるのは出会い、そして言葉」だと言うよね。その出会いとは現実に誰かと会う事かもしれないし、本を読んでの話かもしれない。だけど引き篭りの僕に外で誰かと会う事もなければ、何せ僕は空虚なんだ。空っぽなんだ。読書もする由もない。
 そんな僕に業を煮やした「前世の意思」か「守護霊」かは知らないけどね、その何かが僕に夢を通して「人生を変える出会い」を贈ってくれたと解釈してる。所詮、意味の後付けだけどね。

 あれは十一月。夜はもう冬の様に寒くなっていた。僕はいつも通りに部屋の中にただ居た。自分を取り巻く状況を悔しくもなく悲しくもない。ただ空っぽだった。両親は勉強でもしていると思っていたろう。でも本当に何もしていないんだ。
ただその日に限っては「居る」だけで大きな疲労の波が押し寄せた。意識が泥の沼にゆっくり飲み込まれる様に、眠りに落ちて行く。
 どれ程の時間が経ったのだろうか?浅い眠りで寝ている時に「今見ているこの風景は夢だ」と自覚できる事があるだろう。幼い頃であれば更にその時、オネショなようものなら…あの股間や腹部が液体に濡れた感覚。遠い記憶に誰でも覚えがあるんじゃないか?「あぁ、今僕は夢の世界にいて、そしてオネショをしている・・・」という、夢と現を行き来する意識。

 あの時は僕もその感覚が染み広がった時、寝ながらも「この年齢でやってしまったか・・・」と薄ら感じていた様に思う。小学生の頃、オネショをした時にそうした様に脱衣所へ向かって、体を拭いて下着を替えようと思った。そうする為にまずは目を開き「眠り」を断っては本来の意識を取り戻さなければ。要するに起きようとした訳だ。

 目を開くとそこも暗闇だった。薄く見えるはずの自分の部屋がそこには無かった。同時にあの液体に濡れた感覚が、胸元まで重い水圧と共に体を包んでいた。
 よく目を凝らすとそこは洞窟の様だ。そして冷たい水流の中を僕達は歩いている。そう、僕達。暗い中、前にも後にも、共に進行する複数の人間の気配があった。それどころか僕は一人の怪我をしているらしい男に肩を貸しながら、その洞窟の堰の中を歩いていた。後で調べて知る事だが、そこは戸ノ口堰洞穴と呼ばれ湖から水を引く人口の川だったらしい。

「もうすぐ洞門を出るぞーっ」
前方の方から誰かが叫び、洞窟内に反響した。出口から光が射し込んでいる。しかし洞穴を抜ければ辺りに漂う空気には、ざわめきを覚えた。遠くよりかすかに悲鳴や怒号、そして銃声が耳に届く。

視界が開けて初めて気付く。僕達は兵士の服装をしていた。歴史の教科書や小学校の頃の遠足で会津若松に行った時に見た記憶がある。幕末の戦、昔のサムライ時代と新しい洋式スタイルの古今が入り交じる戊辰戦争。そして僕達がまさしく会津で見た白虎隊の少年兵だ。


「林、俺も道に上がりたい」
肩を貸していた男が言った。名前を呼ばれたその時、僕の意識は僕自身の意識と同時に、「林八十助」という男の意識も併せ持った。不思議だった。僕は僕であると同時に、林という男にもなっていたんだ。
 その男の名が「永瀬雄治」である事も自然に認識できていた。永瀬は戦場で散弾を受け、ここまでの退却を皆に必死の思いで付いてきていた。僕は苦しんでいる永瀬の体を土手に押し上げ、皆に続いて自分も道の上に這い上がった。

 洞門の前には弁財天の社があり、さらに飯盛山の階段を登ればさざえ堂という仏閣が立ち尽くす。退却の行軍は無言で山を登り進んだ。一歩一歩進むごとに、今まさに自分達の故郷が市街戦の犠牲になっているであろう空気が、耳鼻に音と匂いを運び、頬を滑り吹き抜けた。
 そして僕達は森が開け、城下町を一望に望める場所まで出た。遠くに見える城の天守閣は黒い砲煙に覆われている。周囲の屋敷が炎上しての煙と認識はとれたが、それでも戦慄は全身を駆け巡った。絶句する者。咆哮する者。そして冷静にどうすべきか論じ合う者・・・僕は永瀬を担いだまま、全員の顔を見渡した。十五歳を過ぎているとはいえ、皆まだあどけない。どれだけ成人の様に振る舞おうとも、本当に本当に彼らの顔つきはまだ少年なのだ。

 野村駒四郎という男が、篠田儀三郎と呼ぶ男に向かって言った。篠田がこの二十人のリーダー格だった。
「我々の任務は終わってはいない。早く城元へ辿り着き、敵と戦おう!」
 何人かが同調していた。
「そうだ。我が若松城はかの蒲生氏郷公が築いた名城だ!そう簡単に落城する事はない!早く援護に参ろう!」

 議論は一時間程に及んだ。その間、篠田は何度も永瀬や負傷者達を慈しむ眼差しで見つめていた事を、僕は見逃さなかった。城では家老達ももはや籠城戦を敷いており、そこへたどり着くまでの城下はもう敵が取り囲んでいるだろう。その中を永瀬達負傷者を抱えて進む事は困難を極めた。
 篠田は視線を皆から天守閣に向け直し、静かに語り出した。
「我らには負傷者もいる。誤って敵に捕まり屈辱を受けるのであれば、主君や祖先に申し訳が立たぬ。そして俺は一人も置いてはゆけぬ」

 遠くを見つめたまま、篠田は続けた。
「もはやこれまでだ。武士の本分を貫き潔く自刃するのだ。城に向かって敬礼。そして・・・腹を切ろう」
 異論を唱える者はもういなかった。

 石田和助の目は潤み顔は歪んでいる。彼も既に深い怪我を負い、かなりの重症だった。
「そうと決まれば・・・俺は苦しいんだ・・お先にみんな・・・御免」
 そう言うと正座し、着衣の前を開いて腹を出して両手で短刀を握る。誰も言葉を発さなかった。その短刀はグッグッと左脇腹に埋まってゆく。石田は苦悶の表情で呻きながらゆっくり右へ運び、獣が吠える様にまた左へ戻した。
 夢にしてはやけに臨場感があり過ぎた。不思議じゃないか。僕は僕という意識を持ちつつも「林八十助」という意識でもあってこの場面に立ち会っている。目を覆いたくなる様な惨状で驚きを隠せずにいるのに、もう片方の意識はそうする事が至極当然の様に受け止めているんだ。その時の僕の頬を、一筋 静かに涙が滴り落ちていたよ。

「見事だ・・石田。俺も行くぞ」
石田の最期を見届けて、次は伊東貞次郎がその場で正座をした。
「父上、母上、長らくお世話になりました」
伊東は両親に口上を述べ出した。
「年少といえども皆様に遅れず、今、果て申す。願わくば・・・次の世も父上、母上の子として・・・俺を」
詰まった伊東の言葉は、溢れ出る涙と共にこぼれ出た。
「俺をまた産んでくんつぇ!・・・えいっ!」
言いながら短刀を抜き両手で握るや刹那、刃は喉を貫いた。

 永瀬は、林八十治である僕に向き直り声をかけてきた。夢とはいえ、僕はその笑顔を生涯忘れない。何とも清々しい笑顔だった。
「林、一緒に刺し違えて死ぬべ」
「そうすっか」
 僕も精一杯微笑んだつもりだ。そう言って頷いた。本当の僕の意思とは無関係に言葉が口から出ていた。不思議だ。言葉が会津弁であった事もそうだが、僕はこの時、本当に永瀬と刺し合って死ぬなら本望と感じていた。
「あの世でも・・・また友達だぞ!」
「ああ、そうすんべ!」
 涙で景色が歪んで見えていた。体は震えているが恐怖なのか喜びなのかわからない。
深呼吸で気を落ち着かせ、二人で互いに抱き合い相手の肩に手をかけ刃先を腹に突き立て合った。僕の意識は緊張しているはずなのに、体はリラックスしていた様に思う。意識のどこかで「これはどうせ夢」という言い聞かせがあったのか、それとも本当に覚悟ができていたのか。
「いいか」
「よし」
「最期、こうする事がオメとで、本当良かったぞ」
「俺もだ」
 僕達は渾身の力で振り絞り突き合った。痛みというより大量の血を吐く様なこみ上がり感が僕を襲った。
 永瀬は倒れた。僕が刺した刃は鳩尾から肺を突き上げる様に刺したらしい。声にならずに僕を見つめやがて絶えた。僕が苦しむのはそれからだった。死に切れない僕を、林を、遅れて激痛が飲み込んできた。刺し傷の穴からは吹き出る赤黒い血液、そして裂けた腸の断片。本来の僕の意識はとても混乱していた。無理もない。そんな事は現実社会で見る光景じゃないし、体験じゃない。本当にこれは夢なのか?現実なのか?

 苦しんでいるとそこへ、正に今、腹に刀を当てていた野村駒四郎が立ち上がった。
「林。野村だ。介錯致そう」
「た・・・頼む」
 僕の中の「林」が苦しみの中からやっとの呼吸でそれだけ言えた。景色はもうおぼろげだ。ぼんやりと感じる野村の気配を頼りに僕は向き直り、正座し片手で腹を、片手で地に支え俯いた。
「か、かたじけない」
 それが僕の中の林が言う最期の言葉だった。野村の一刀に僕の首は地に転がったのだろう。ボールが弾む様に見える景色が揺らいだ。それからも不思議と僕の意識は働いていた。僕の首は確かに胴体と繋がっている感覚はない。先ほどまで襲っていた腹の激痛がもう感じてはいないのだから。地面からの視界で、他の者達が皆続いて最後まで自刃してゆく光景を見ているんだ。いや、あの時の僕は、目に見えない何かによって見させられたのだと思っている。

 有賀織之助も、安達藤三郎も、池上新太郎も、石山虎之助も、伊藤俊彦も、井深茂太郎も、鈴木源吉も、津川喜代美も、津田捨蔵も、西川勝太郎も、間瀬源七郎も、簗瀬勝三郎も、簗瀬武治も、野村駒四郎も、飯沼貞吉も、そして篠田儀三郎もである。皆、享年は十五から十七の少年達。当時の僕とそう年齢の変わらない少年達だった。

 最後の一人までが自刃して散って逝く場面を見届けて、僕の夢はそこで途絶える。凄絶だった。「林」が消えて本当に自分の意識だけに立ち戻り、起きてみれば普通の朝だった。いや、僕の中では何かが変わった朝だ。命の重さ、軽さを悟ったのかと訊かれたら自信はない。生きる事への意味、価値かと言えばそうかもしれない。
 苛めかい?そんなに急に無くなりはしなかったよ。ただ自分自身が変わった。自分を律し鍛え続けた事で苛められなくなった。相手にされなくなったとも言えるけど人生はまだ先が長かったんだ。夢や使命が見つかれば真の友もきっとその時に現れる。
 青春のたかが一ページでその先を台無しにすることは無いだろう。僕達は選択できるんだ。彼らはその選択が出来なかった。あの若さでまだ未来があった彼らの無念と比べたら・・・僕達は恵まれている。バブル期のギラギラした青春時代の父や、便利で情報に溢れた現代に青春を過ごす子供達にも彼らの青春を体験させてやりたいよ。あの幼さで藩や主君、民や家族の為に命をかけねばならなかった青春を。

 僕は「与えられた命を使い切りたい、使い切らずに死んでたまるか・・」そんな思いが芽生えたんだ、あの朝に。

それから図書館や歴史に詳しい先生に訊ねて白虎隊や幕末の事を調べたよ。飯沼貞吉は急所を外れて救助され生死をさまよったと知る。蘇生後、敵藩・長州に救われその地で過ごし、新しい時代を迎えた。家族もできて昭和まで生きるも決して多くを語らなかったらしいけど、ようやく晩年に語った顛末で白虎隊の真実が消える事なく語り継がれてきたんだ。
 長州で生かされてきた事に隊士の仲間達への気持ちで苦しんだのかもしれない。それでも結局は語り残す事が彼の役割だったのかもしれないね。

~ 梓弓 向かう矢先はしげくとも 引な返しそ武士(もののふ)の道 ~

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