見出し画像

涙のキャンディ・2

サーモンピンクのキャンディ。
少し甘酸っぱい。ぽろりと涙が出た。

🍬🍭

私の乳がん手術と治療、子宮と巨大子宮筋腫摘出手術の体験記、その2です。

その1は去年の11月の記事でして、続編が大変遅くなりました。

先ずは、セルフチェックでの乳がんの発見と子宮筋腫の発見についてのお話
その1から是非ご覧いただければと思います。

この体験記は、あくまでも私が体験したことなので「乳がんの医学的な知識」や「すごい治療法がありますよ」
ということは書いてありません。
ただ、このnoteを読んでくださっているみなさんや、みなさんの大切な人達に
「お伝えしたいメッセージ」があります。

※なるべく明るく読みやすく…と体験記を書いておりますが、もし読んでいて少しでも
「辛いな」とか「苦しいな」と思われたら、無理して読まないでくださいね。
私自身も全く乳がんについて触れられない時期がありましたので。

🌸🌸

その1のあらすじ

私はセルフチェックで乳がんを見つけました。
定期検診でのマンモグラフィやエコー検査では見つからなかったのです。
始めは乳がんではないと言われ、半年後の再検査でやはり乳がんだと分かり、手術が決まりました。

乳がんの摘出手術の直前の検査で
お腹にも大きな腫瘍が見つかりました。
巨大過ぎて、MRI検査でも、子宮筋腫なのか卵巣嚢腫なのかもお腹を開けてみないと分からない。

「子宮の外に細くて短い管で風船のように繋がっており、いつ破裂するかも分からない状態です。
(私が動くたび、腫瘍もゆらゆら揺れていた)
乳がんは直ぐには大きくなりませんが、こちらは生死に関わります。
緊急手術します」

しかもその腫瘍も「乳がんとは別の癌かもしれません」と言われて、
落ち着いて乳がんを受け入れて準備していた私も
「そんなことって、あるんかーーーい!!?!」
と、流石にひっくり返った!というところまでした。

長い体験記になりますが、最後まで読んでいただけたら本当にありがたいです。

そして
体験記の下に掲載しました、大好きなnoterねじりさんの
「涙キャンディ」
も是非読んでいただきたいです!
今回の体験記も、私はいろいろ思い出して何度も何度も涙を流しながら下書きしました。そんな時、ねじりさんの「涙キャンディ」が私を支えてくれました。

🍭🍬

今回は、その1の続きで子宮と子宮筋腫摘出の話がメインになります。
最後に2度目の乳がん手術をすることになった経緯を書きました。
よろしくお願いします。

お話を書く前に、私がみなさんにお伝えしたいメッセージは、
定期的な乳がん検診(マンモグラフィやエコー検査)を受けることはとても大切です。そして

🌸乳がんのセルフチェクを
していただきたい🌸

ということです。
自分で簡単にできますし、早期発見、早期治療に繋がります。
詳しくは、「涙のキャンディ・1」に書いてあります。病院、調剤薬局などにも詳しいやり方のパンフレットがあります。ピンクリボンのネットなど、そちらを参考にしてセルフチェックしていただければと思います。

私のこのnoteを読んでくださったみなさんに
「こんな子宮筋腫もあるのねー。ちょっと私も婦人科でも定期検診しておこうかしら」そして
「乳がんセルフチェックしてみようかな」と思っていただけるきっかけとなれば、と願って書きました。

🌸🌸🌸
お腹の腫瘍が見つかって

「お仕事ですか?ムリムリ。(介護職でバリバリ働いていた)
今まで破裂しなかったのが奇跡なんですから。
明日から休職、二日後入院、三日後に緊急手術です。とにかく安静」
「な、なんですと??」


ドクターが、こんな感じのもっと簡単な絵を描いて説明してくれました。

※私は、子宮の外に大きな筋腫ができるという、とても珍しいタイプの子宮筋腫でした。

慌てて職場に連絡。

👜
入院、手術の準備をします

乳がん手術用に入院セットは準備してあったのでそのまま持って行く。
ただ、同じ病院でも外科と婦人科は違うので、また大量の書類に記入する。
誰か代わりに書いてくれ…。

痛みは全くない。

「お腹よ頼む、破裂しないでね」

「手術中にその場で生検して、癌か調べます。そこで、子宮摘出か子宮筋腫、卵巣摘出か決めます。子宮摘出してもよろしいですか?」
「この歳(当時42歳)ですし、不安を残したくないので全て摘出してください!」

📷
手術の立会いと写真

私はシングルマザー。子どもは息子が1人。

息子はその時ギリギリ未成年の19歳。

父は殆ど耳が聞こえないし、病院全般が苦手なのと、年齢的に無理と言われた。

母は早くに亡くなっていなかった。

兄は猛烈に仕事が忙しく、病院には来れない。手術の承諾書と緊急連絡先だけ記入してもらい取り急ぎ郵送してもらった。

手術の立会い(手術中、待合室で待ち、終わったら、摘出した腫瘍を見ながらドクターの説明を聞く役目)だけ、ドクターに頼み込んで未成年の息子で許可してもらった。

今思えば

私は「乳がんにお腹もがん??」で、いっぱいいっぱいだったけど

若い息子にそんな大役を任せて申し訳なかったと思う。
しかも
「摘出した腫瘍の写真を撮っておいてくれ!」とまで頼んでいた。

直ぐ検体に出すので私は見れない。

わがまま母ちゃん…。
ごめんよ息子。

🍭🍬
どんな手術をするのかな?

何をどこまで摘出するか分からないから、腹腔鏡手術では無理ということで、大きく開腹手術すると決まっていました。
短期間でいろいろ調べたのですが、術後は背中に強い鎮痛剤の点滴を入れるから痛みは軽減されると知っていました。

とにかく「お腹まで癌でなければ良い」そう思っていました。

🍀🍀🍀
さて、手術ですよ

てくてく歩いて手術室へ。
「じゃあ、母ちゃん行って来るわ」とニコニコ手を振る私。
「がんばれよ」と息子。

手術室の看護師さんや麻酔科の先生はとても優しい。
麻酔の針を挿す時、「痛くてごめんなさいね」と言われるが、注射や点滴が全然平気な私は「大丈夫ですよー」とニコニコしていた。
「だんだん眠くなりますからね。手術は初めてですか?」
「以前、扁桃腺の手術をしたことがあります。」
「あらー、大変でしたね」
「痛みより、術後の吐血が猛烈で…」
なんて話しているうちに麻酔が効いて眠っていた。

🍈
手術が終わりました

トントントンと肩をそっと叩かれる。

「じゅんみはさん、手術無事に終わりましたよ。腫瘍は癌ではなかったです。」
「ああぁ、よ…よかった…です…ありが…」また眠ってしまった。

目が覚めたら病室のベッドの上だった。
まだ麻酔が効いていたのでそれほど痛くない。でも体は全然動かない。

息子が「摘出した腫瘍の写真見る?」とスマホを目に近づけてくれた。
「うーん、大きいねぇ。サーモンピンクの小玉メロンみたいだよ」
「こっちの小さいのが子宮。大きいのが子宮筋腫」
「卵巣は?」
「残したらしい。後で先生の詳しい説明があるよ」
「そうなんだ、意外と子宮は小さいんだね。それにしても子宮筋腫は大きいね」

「……おふくろさん、無くなっちゃったね」
「おふくろさん???」

私はお腹の腫瘍が癌ではなくて心底ホッとしていたので
その時は息子の「おふくろさん」の意味が分からなかったけど
今思うと、息子は何か思うところがあったのだろう。

⭐🌛⭐
深夜の痛みとの戦い

※ここから先は、あくまでも私の体験です。痛みの少ない方も沢山おられます。
痛いのが苦手な方は「ドクターからの詳しい説明」まで飛ばしてください。

麻酔が切れると痛みが出てきた。

もちろん通常の痛み止めの点滴は常にしている。更に痛くなるらしいので
(とても簡単に言うと↓)
背中に挿された針から繋がる点滴のボタンを自分で押すと、ダイレクトに背中へと強烈な痛み止めを注入される仕組みになっていた。

これが効くからお腹の痛みが軽減されると調べていたので安心していた。

安心していた…が!甘かった。深夜、…痛い!

始めは、まっくろくろすけが5匹くらいお腹の中で楽しそうに飛び跳ねているかのよう。

「可愛いまっくろくろすけ達よ(私はトトロが大好き)もう夜だ。静かに寝ましょう」と言い聞かせるがワイワイ楽しんでいる。

背中の痛み止めのボタンを押した。
少し痛みが和らぐ。

そのうち、いつの間にか
まっくろくろすけから立派な雲丹に交代したらしく、5匹どころか、かなり増殖したかのように活発に動いている。

更に子宮と子宮筋腫が無くなり、空いた空間に別の内臓が収まろうと移動しているのか?お腹の内側でパン生地をこねるような内臓の動く痛みが追加された。

雲丹にパン生地。
おいおい、私のお腹の中でどんな料理を作っているのだい?

自分の意思とは無関係に
「ううう…おおぉ…いたた…痛いいい…」とささやくような声が漏れる。

同室の寝ている患者さんに大変申し訳ないと思うが、もう勝手に声が出て止まらない。ぐぬぬ…。

ナースコールをして
「猛烈に痛いのですが、背中の痛み止めのボタンはどのくらいの間隔で押しても良いですか?」涙を流しながら聞く。
「痛い時はいつでも!できたら30分から1時間は開けてください!」
痛くて勝手に体がよじれる。よじれるとお腹の痛みマシマシ。

そのうち背中に冷たいものを感じる。

ま、まさか?
体のよじれで背中の針が…
抜けた(ずれた)?????
そんなことあるん??

もう一度ボタンを押すと、薬が背中の外に漏れているのがハッキリ分かった。

なんてこったい…。

廊下には忙しそうに駆け回る夜勤の看護師さんが見える。ナースコールするのが申し訳ない。きっと今夜は何かしらアクシデントが続き忙しいのだろう。
(私が介護職の時も夜勤でアクシデントが続くと一晩で1キロ痩せるくらい走り回っていた。)

でも、
針抜けた(ずれた?)
→強烈な痛み止め使えない
→シーツが背中から肩まで濡れ寒い
→更に痛い。

我慢できずナースコール。すみません。

走ってきた看護師さん
「あら!大変、針を挿し直しに来るので準備します。え?シーツもびっしょり?シーツ交換もしましょう。とりあえずバスタオルを背中に入れますね」

何時間経っても来ない。そりゃ夜勤は戦場だ。
同室のおばあちゃんが病室の入口で嘔吐して泣いている。
「申し訳ないのう、こんな夜中の忙しい時に吐いてしまって…」
看護師さん達が猛スピードで処理する。

私も心の中では「おばあちゃん、
心配しないで大丈夫ですよ、具合が悪いのですから、ゆっくり寝ましょう」と言ってベッドに優しく寝かせてあげて、看護師さんの嘔吐処理を手伝いたい、と思った。

しかし、私もそれどころではなくなってしまっていた。
その後、本当に何度もすみません…と思いながら、もう一度ナースコールして処置を頼む。

「今、バタバタしてますが、直ぐ行きます!」

……朝まで来なかった。(痛みに悶絶していた)
夜勤とはそういうものだ。
看護師さんも大変ですよ。物凄く気持ちが分かる。仕方ない。
針が抜けるほど身をよじらせてしまった私がいけないのだ。

早番の看護師さんが見に来て真っ青になっていた。「すみません、すみません、すみません…」
「いえいえ、謝らないでください。大丈夫ですから…とにかく針とシーツを…」
ドクターも来て、針を挿し直し、シーツや寝間着も取り替えてもらう。
ありがたい。

※痛い話が長くてすみません。
背中の針が抜けるのはとても珍しいことらしく、
腹腔鏡手術だった、同室のある患者さんは手術後の夜も熟睡して、次の日にはケロッとしていてビックリしました。人によるようです。


🍀🍀🍀
ドクターからの詳しい説明がありました

「オヘソの下から15センチほど開腹しました。
子宮の外に細くて短い管で繋がった大きな腫瘍は手術中の生検の結果、幸い癌ではなく、子宮筋腫でした。
子宮内にも大小6個の筋腫があり、子宮も摘出しました。
とても珍しい形の大きな子宮筋腫で、破裂する前に発見、摘出出来て本当に良かったです。
今まで相当生理が重かったのではありませんか?」

「子宮の中に大小6個の子宮筋腫に、子宮の外に大きな子宮筋腫(小玉メロンくらいの?)そんなにあったのですね。
生理は昔から重かったので、そういうものだと思っていました。
それであの、卵巣は?」

「卵巣は問題なく、きれいだったので残しました。摘出すると更年期症状が強く出るので」
「はぁ、そうなのですね」

※余談ですが、その後乳がんのホルモン治療で卵巣からのホルモンを止め、直ぐに強い更年期症状が出ました。
婦人科の先生がせっかく気遣ってくださったのに…。
そして今、卵巣は卵巣嚢腫になっています。(こちらは経過観察中です)
手術前、物凄く腰と膝が痛くてサポーターをして仕事をしていたのですが、それは巨大子宮筋腫が神経に触っていたらしく、ピタリと痛みがなくなり驚きました。
子宮摘出したので、長年悩まされていた、とても重かった生理や生理痛が無くなり楽になりました。
※若い年齢の方や出産を希望されている方にとっては、子宮摘出は大きな決断になるかと思われますので、あくまでも私の感じたことです。
不快なお気持ちにさせたら大変申し訳ありません。
特殊な子宮筋腫摘出手術と2回の乳がん手術で、力自慢だった私の体力はとても低下しました。

子宮頸がんの定期検診はやっていましたが、子宮筋腫の検査はやっていませんでした。
だからこそ、乳がん検診やセルフチェック、婦人科の定期検診をしていただければと思います。

🐈🐈🐈
とりあえず退院とまた入院

数日後、退院した。
一日だけ自宅に戻り、次の日には乳がんの手術のために、また入院だ。

数日お休みが欲しいところだが、乳がんの手術日は前から決まっていたので、そうも言えない。

三毛猫三姉妹と抱き合う。
「安静に」と言われていたが、直ぐに家事や明日の入院の準備。自分でやるしかない。

今度は外科の入院なので違う書類の記入も追加。

更に私は食いしん坊なので、どうしても自分で作ったご飯が食べたかった。

甘かった。
先ず食材を切るのが辛い。そこで諦めれば良いのに、フライパンで炒めものをしたら、フライパンが鉄アレイか?と思うくらい重かった。
お腹に全く力が入らないのだ。
背中を丸めてウンウン唸りながら料理するおバカな私。
「お弁当や出前にすれば良いのに」と、息子が心配して言っていた。猛反省。

でも美味しかった。美味しいは幸せ。
息子と三毛猫三姉妹との束の間の幸せな時間を堪能。

入院セットを再び用意する。

👜
今度は乳がん手術の入院ですよ

入院するための病院までは、よく私のnoteに出てくる息子の親友の工藤くんに車を出してもらった。
まだまだお腹が痛いので、とにかくゆっくり平坦な道を走ってくれた。
「病室まで荷物運びますよ!」とまで言ってくれた。とっても優しい。涙ぐむ。
入院の手続きにとても時間が掛かるので「大丈夫!大丈夫!本当にありがとうね」とお礼を言った。

息子は浪人中で、猛勉強と学費、生活費のためにと夜勤のアルバイトを頑張っていた。その中で立会いなど手伝ってくれていた。ありがとう。ありがとう。

🍀🍀🍀
手術前の説明と乳がん手術

「画像見ましたよ。いやぁ、大変な子宮筋腫の摘出手術でしたね。
今度の乳がん手術はステージ0から1と思われるので、傷口も3センチ位切って腫瘍を摘出して終わりですから。痛みも少ないですよ。治療もないと思われますし」
「そうですか」

子宮筋腫の緊急手術とは違い、術後に生検する(がん細胞を調べる)とのことだった。

とにかく痛くても傷跡が大きくても良いので、悪いところは全て取りきって欲しい。
それが私の一番の願いだ。

乳がんの手術はビックリするほど、あっという間に終わり、傷も3センチくらい。
痛みもほぼなく、あっけなく数日で退院。
(その後の2回目の乳がん手術と治療は大変で悶絶しましたが、それはまた次回書きますね)
「これで取り切れましたので、一週間後に経過観察で受診してください」と言われ退院しました。

🐈🐈🐈
やっと帰宅。そして??

一週間後の受診。
何やら様子がおかしい。

ドクターの机に大量の資料。

「やっぱりね、乳がんでした。(※1)
それで断端陽性(※2)と言って、癌が取り切れていないので再手術です。
思っていた以上に癌が大きく、ステージ2くらいでしょう。手術の後には治療を始めます」

「そりゃあ、乳がんでしょうね。ステージ0か1と仰っていましたけど?
断端陽性って何ですか?
再手術ってどういうことですか????
ステージ2で手術後は治療ですか?」

「先ず詳しい検査をやり直します。
○月○日に、エコー検査は○○先生が行います。(エコー検査の名医?検査技師さんらしい)

造影MRI検査は○月○日。

執刀は○○病院の○○先生(某有名病院の乳がん専門の名医さんを呼ぶらしい)が行います。

入院は○月○日。手術は○月○日に予約を全て押さえていますから大丈夫です。」

「いやいや、その前に何か言うことがありますよね?大丈夫って何ですか?」←心の声

ゴルゴ13のような強面の頼もしい友達を連れてくれば良かった……そんな友達いないけど。

口から声が出ない。

「検査後に、執刀医の診察で、詳しい説明がありますので○月○日に来てくさい。」

検査とかあるので、再手術は一ヶ月以上先。
切れ端からがん細胞が増殖して散らばらないの?
仕事はいつまで休職するんだろう。
それより介護の仕事復帰できるのかな?

頭がボーッとする。

何が何だか全然理解できない。
というか理解するのを頭が拒否しているような感覚だった。

今まで診察や検査についての記録を全てノートに書いていたのですが、その時は手が止まり直ぐには書けませんでした。

乳がんについては、いろいろ調べて勉強いたので、ステージやタイプ、リンパ節転移があるかないか、などで治療内容が違うことは分かっていた。
でもそんなこと今は考えられない。

いつものように冗談も思いつかない。

先生の後ろの看護師さんが、心配そうなな顔で先生と私を見ていた。

↓断端陽性をとても簡単に絵にして描くと、こんな状態でした。

帰宅すると流石に息子にはそんな顔見せられないので、簡単に説明し
「再手術だってー。なんじゃらほい??だよねー!」
と笑って話した。

息子は笑っていなかった。

その後、2度目の乳がん手術と治療をしました。(ステージ2b)

🐈🐈🐈
今回はここまでです

またしても
「そんなことって、あるんかーーーい!!?!!」
な内容ですみません。

長い長い記事を最後まで読んでくださり本当にありがとうございます!
感謝の気持ちでいっぱいです。


みなさんに
今は、4人に1人が罹患すると言われている乳がんや子宮筋腫のことを少しでも知っていただき、検診へのきっかけとなって欲しい!私の体験記がほんの少しでもお役に立てればと。

早期発見、早期治療はとても大切です。

みなさんに健康に笑顔で過ごしていただきたい!と、ただそれだけを願って書いております。

4ヶ月かけて少しずつ少しずつ、心と相談しながら下書きしていました。

🌸そんな私も、乳がん発見からもう直ぐ6年!今は元気に過ごしています🌸

また時間が掛かると思いますが、
2回目の大変だった乳がん手術や、その後の治療、そして今の状態についての「涙のキャンディ」続編も書いていきますのでよろしくお願いします。

みなさんのnoteも、いつも通りカメさんペース🐢ですが、これからゆっくり伺いますね。

※1
ドクターの「やっぱり乳がんでした」の言葉の意味は「涙のキャンディ・1」の手術までの過程を読んでいただければ分かり易いかと思います。

※2
断端陽性とは、ザックリいうと、手術では、癌と思われる部分より大きめに切除、摘出するのですが、その端にも癌が見つかり、まだ取り切れておらず、更に癌の腫瘍が大きいと推測されるということです。

「涙のキャンディ・1」を投稿した後 
大好きなnoterの、ねじりさんが
とっても暖かくて優しくて素敵なnote
「涙キャンディ」
を書いてくださいました。
何度読んでも、ねじりさんの優しさが溢れていて涙が出ます。
その涙を優しくて甘いキャンディにしてくれる🍬
是非是非!みなさんにも読んでいただきたいです!

「涙のキャンディ」というタイトルは
嬉し涙も悲しい涙も甘いキャンディになって、ぱくりと食べたら口の中でとけたらいいのになぁ
と思ってつけました。
🍭🍬

・・・

サーモンピンクの涙のキャンディーを舐める絵を描きました。






読んでくださりありがとうございます! 嬉しくて飛び上がります♪ 私の心の中の言葉や絵を見て何か感じてくださればいいなと願いつつ。