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体力ある人が羨ましい!あなたの体力偏差値はどれくらい?

偏差値といえば

まずは学業、受験界における偏差値が思い浮かぶ。
平均値を50として数値がそれより高ければ高いほど優秀とされ、ボーダーを下回っていくほどに数値は低くなり全体の中で成績が悪いことを意味する。母集団の質によって平均値50のハードルは異なり、受験資料には偏差値が記載される。

最近は学業の垣根を越えて、新たな偏差値を耳にするようになった。

顔面偏差値

いわゆる顔の良し悪しを数値化

顔面偏差値が高い人は

スーパーハンサム
超絶美人
顔の天才
顔面国宝

探し出せば
言い回しはさらに増えていくだろう

これより他にも
数値化できるものってないかな

そこで考えてみた

体力って数値化できるかな
スタミナって人によって違うもの

注)あくまで個人の見解です。

体力にも偏差値あるんじゃない?

現在、49歳。
ついに40代最後の年を迎えた。
同級生の友人から
「40代最後の年を大切に」
とメッセージをもらった。
大いに、沁みる言葉。

私はちょっと体力がない
そう自覚している。
持病はない。
寝るのが大好き、なのに最近眠りの質が下がっている
更年期障害の扉は開かれている。

予定を詰め過ぎることがないように気をつけながらスケジュールを確認して過ごしている
滅多に予定のハシゴなどはしない

ちょっと疲れているかな?
と振り返ってみては
休息と栄養を摂って「寝込む」ことがないよう注意を払っている。

おかげさまで元気に過ごせている

ふと先日思いがよぎる

同じ年でも体力ある人って凄いな
イキイキしている

同級生とは思えないようなバイタリティに溢れる、多趣味の人

だいぶ自分より年上なのにいつも前向きで人生の目標を掲げてる人

こんな人に出会うとちょい凹む
私もこんな風に目標持とう!頑張らなきゃ!と思うより先に

少しネガティブモードになる

更年期のせいもあるけど
元来、私自身の体力偏差値が低いからではと認識している

もし私が高い体力偏差値の持ち主ならば、上記のバイタリティ集団との出会いをきっかけに刺激を受けて切磋琢磨していく日々を歩むだろう

しかし そうはなれない

私ってひ弱だなぁ
時間の密度薄いな
今日何歩歩いたかな...

残念ながらこんな始末

冒頭で述べた

私はちょっと体力がない
そう自覚している

これは、相対評価で私より体力がない人との出会いが少なかった人生だったから

きっと思い込みかもしれない
体力がないと一方的に判断しているだけでバイタリティ集団の方々も本当はコッソリ体調不良に悩んでいるかもしれない

勝手な自己診断として

私は体力偏差値ギリ50超え
くらいだと思っている
50あって欲しい、願望

体力偏差値が高い人のマインドはストイック?

個人的な見解であることを先に述べておきたい
体力がある人は総じてストイックだと
思う。本人はストイックだと自覚していない可能性が高い、だから尚更にチャレンジしている姿が眩しい。
毎日の積み重ねが出来る、継続して努力ができるのも才能であり、それには体力がないと続かない。

具体的に体力偏差値が高い人の特徴を挙げてみる

・遺伝的に身体が健康
・趣味が身体を動かすこと
・好奇心旺盛
・負けず嫌い、諦めない
・集中力がある
・悩みを持ち越さない

体力偏差値高い人への勝手な認識

これらの項目で「身体を動かす、運動が趣味」は「社交性が高い」に置換できるかもしれない。
運動が好きではなくても、社交性が高い人は人付き合いがよく人脈が広い。沢山の人と付き合っていくのは体力が要る

私の遺伝子にもストイックがプログラミングされてれば良かったのになー

時間は皆、平等にあるのに
体力偏差値が違うと結果が違ってくる

さらに、体力と気力は別物ではないとアラフィフは知っている。この2つは渡り廊下のように繋がっている。
体力があるからこそ、気力も湧き継続して物事を達成できよう。
体力がないと集中力が途切れたときに再び立ち上がるパワーが沸いてこない

体力の大切さを思い知る


怠けるのも体力がないから

体力偏差値が低い人は上記の高い人の特徴の裏返しになってしまうかもしれない。
体力がある人は怠けていることに苛立ってしまう、耐えられない。
逆に体力がない場合は苛立つも何も、いつの間にか気力がプッツン途切れているから

諦め

が容赦なく押し寄せてくる。
この諦めの波は厄介だ
易き方へ誘ってくるではないか

明日でいいや
もうちょっと休んでから

いや来週でいいかな

当初の予定から少しずつ足並みが崩れはじめてくる。少しの罪悪感と共に訪れてきて、あっという間にヤル気が薄れていき諦めが定住の地となる

こうなると、怠けているという認識よりも「気持ちを切り替えた」というマインドになるので罪悪感もない

しかし、体力がないと己は知っているから「これ以上は諦めたくない」の限界でムックリ起き上がる

それなりには頑張る
ストイックとは程遠いけど

たまに継続できたときは発表したくなる

運動嫌いなのにスポーツクラブに入会したら声高に叫びたい

今日泳いできたんだよね!
心地よい筋肉痛がきた

こんなセリフは滅多に吐かないので
周囲がビックリ

「運動しないのがポリシーかと思ったよ」こんな皮肉を言われても平気

体力偏差値が低い代表の弁明

集中力がないわけではない

短いのだ

短い間に成し遂げた事は責任持って全うできる
プライドだって、もちろんある

長い集中力には、やはり体力ありき

体力偏差値の高い方へお願い

体力がある方を尊敬する
羨ましい
そうありたいと願っている

でも、そうはなれない
次生まれ変われるなら
体力偏差値が高い人に転生したい

誇りを持って仕事に臨み
世界中を飛び回る

そんな人生が楽しそう

だからお願いです

更年期障害?何それ?
って言わないでください

一人っ子って可哀想
もう1人産んだ方がいいよ

そのアドバイス要りません

体力のある人からすると
運動して体力つければいいのに
規則正しい生活してないんじゃないの
と思われるかも

そうかもしれない
誘惑に弱いから...

体力偏差値が高い人からオーラを感じる、圧があるからこわい

そんな中、体力ある人の中で優しい人に出会えると居心地がよくて
頑張ろうって思える

その人は

自分の体力を人に強要してこない

これに尽きる
そういう人へは敬意の気持ちが沸く

私は体力偏差値低い代表として高い人への理解を日々学んでいる。

  共に生きよう
      by アシタカ


Junko Summer

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