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結果がどうなるかは、やりたいことをやるということとは全く関係ない。

「今日は何を書くんだい?」

パソコンの画面に向かって座りながら、今日はどんなことを書くんでしょう?この私は、と思っている。

書くことなんて決まっていないのだ。
そして、どんなことから書き始めても、どんな題材を書いても、結局のところその日のテーマみたいなことを自然と書き出していくことになる。

これはもう私なのか、そうじゃない何かなのかわからない。
でも確かに書いているし、思っているのは私だ。

これは「あなたのお守り絵描きます」(今の、これからのあなたをサポートする絵を描いています)の時も、全く同じなのだ。

でもこれが面白いことに、自分が書いた内容と同じことを、同じ日に、他の人も書いていたり、喋っていたりするのだ。

それ、今朝私も書いたとこ!
そんなことばかりの毎日。

これは宇宙からメッセージが降り注いでいて、人々はそれをキャッチしているという、私の信じている世界をより信じさせること以外の何者でもない。

もうわかった!降参です!
と思いながら、毎回ほくそ笑む。


今日もその視点でチラリとそこに意識を合わせてみると、
「自分をまず、本当に大切にするんだ!」と言っておられる(笑)

その「大切にする」というのが、自分にとっては休むことなのか、動いていくことなのか?過保護にすることなのか、もうバンジー飛んじゃえ!なのか、そこが本当に大事。
(焦って無理をするのはまた違うけれど)

それは自分に聞くしかない。ここで止まっている方が楽なのか、もう進んでいきたいのか?本当の意味で自分を“楽”にするのはどっちか?心地よいのはどっちか?

人は本当にさまざまで、無風を心地よいと思う人もいる。そよ風が、台風が、心地よく感じる人もいる。

その心地よさは、その人にしか知り得ない。

進む前の恐怖があって進めないのなら、「これならできそう〜」という自分にできそうな近いところでやりたいことをやっていけばいい。

こんなことだ。
自然の木々の中にアトリエが欲しい。そこで執筆や、絵を描いたりしたい。たまにオープンデイを作って、人々と集い話したい。
自分1人の空間と時間が欲しいのだ。そして、たまには人とも関わっていきたい。

そうした望みを持ったとして、今すぐ自然の木々の中にアトリエを、なんて現実的にはハードルが高いとする。

それで何もしないのかというと、いやいや、“自分1人の時間と空間で、執筆”はできるわけですよ。今、私が小さいアパートの一室で、パソコン開いて、誰が読むともわからない文章をnoteという媒体に書いている。
そして人々と関わることは、ハイネという店でやらせてもらっている。

その、できているじゃないか!に気づくこともとても大事だと思う。
それを思えないのは、きっと外側を気にしている時じゃないか?

人からの評価や結果、有名かどうか?そういうことを。

結果がどうなるかは、やりたいことをやるということとは全く関係ない。
上手いか下手か、そんなものも全く関係ない。

その思考は置いておいて、「なんか、やってみたい」を、やらせてあげる。


それがきっと、「自分をまず、本当に大切にするんだ!」に繋がるのだと思う。



JunkoShanti(mogrow)

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