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1 韓国語との出会い〜APPキャンプ

韓国語との出会い

 私が、韓国語の勉強を始めたのは、2014年の春だったかと思う。

 きっかけは、その前年の夏に、東京デスロックの公演『シンポジウム/SYMPOSIUM』(2013年7月 会場:富士見市市民会館 キラリ☆ふじみ)を観たことに端を発する。
 プラトンの『饗宴(きょうえん)』をモチーフに、各地で活動する様々なジャンルのアーティストが出演して、時には観客も交えて、おしゃべりしたりする作品だった。この作品に、韓国の「第12言語演劇スタジオ」のマ・ドゥヨンさんが出演されていた。

 作品中で彼が韓国語で話すのを聞き、また観客を交えて話す時間(劇中にそういうのがある作品だった)にたまたま私は彼と同じグループになった。まだ彼も日本語がわからず、観客達は韓国語がわからず、一緒のグループに入ったもう一人の俳優さんの助けも借りつつ、おしゃべりした。(確か、日本語には音読み訓読みがあるが、韓国語では漢字に対して一つの読み方しかない、というような話をしたような覚えがある。)

 また私は、その作品の演出家である多田淳之介さんと仲良しだったこともあり、終演後に、出演者の方や劇団の方、来場されていた他の国から来ていた方(その次に多田さんが一緒に創作される関係者だった)と一緒に、近隣のお祭りに遊びに行くのに同行させてもらった。そこでインターナショナルな時間を楽しんだ。
 雨が降って、少し寒い日だった。「寒いって韓国語で何て言うんですか?」と聞いて、ドゥヨンさんから、「춥다」と言葉を教えてもらった。私が最初に覚えた韓国語は、その言葉だ。

 この公演で初めて触れた韓国語に、私は、言語としての面白さを感じた。
 韓国語は、全ての言葉をハングルで書き記すことができる。漢字の言葉も、外来語も、概念としては存在するのに、(日本語では漢字やカタカナで区別して表現する)それら全てを、ハングルという一種類の文字で表すことが、とても不思議で面白く思った。
 それで、韓国語に興味を持った。

 職場の近くに、韓国語教室があるのを見つけて、そこへ通うようになった。(その教室には、中級のテキストが一通り終わるまで通った。)
 当時、韓国ドラマにハマって韓国語を習い始める人が増えていた頃だったが、私はそれまでドラマを観たこともK-POPを聴いたこともなかったので、それなのに何故勉強しようと思ったのか…と教室の人たちに大変珍しがられた。


APP2014 初めての訪韓 

 2014年、アジアのプロデューサーのネットワーク「アジア・プロデューサーズ・プラットフォーム(APP)」が始まった。
 韓国・台湾・オーストラリア・日本のプロデューサー達が中心になって、さらにそこに多くのアジア・環太平洋の国々の人たちが集まって、ネットワークを築いていく。そのメインプログラムとして、年に1回、持ち回りで一つの国にみんなで会して、1週間のキャンプが行われた。
 最初のキャンプはこの年12月に行われたのだが、その開催地は韓国・ソウルだった。

 私は、参加するのに十分な英語力があったわけでは実はなかったのだけど、「英語できます!」と言い張って、参加させてもらった。それまでは、国際交流的な事業に参加したことはなかった。語学力も経験値も実績も何もかも足りないのにメンバーに加えていただいて、皆さんの足を引っ張ってご迷惑をかけたとも思う。だけど本当に有意義な、貴重な体験をさせていただくことができた。

 そうして私は、初めて、韓国に行った。
 当時の私の韓国語力としては、一応ハングルが読めるようにはなっていたという程度。でも、文字が読めたお陰で駅の表示や看板が読めて、固有名詞は理解できたので、知らない土地で過ごすのに辛うじて十分に役に立った。

 APPキャンプ参加者は、まず、ソウル市内のカフェが最初の集合場所に指定されていた。そこで受付をして、色々と資料などを受け取り、宿に案内してもらうのだった。
 初めて行く国でもあり、また私はそれまで、一人で海外旅行することに慣れているわけではなかった。知らない国の知らない場所へ一人で行くことは、私には大冒険だった。でも、そりゃそうだ、これはプロデューサーの集まりだった。いざ海外公演に行くとかいうことになった場合、私は劇団のメンバーを引率して行かないといけない立場だった。そのことに、初っ端で自覚させられた。

 初滞在の韓国での1週間は、刺激的に過ぎた。ソウルの町はとても楽しかったし、さまざまな国のプロデューサーたちと過ごす時間は、おっかなびっくりだったけど、とても素晴らしい体験になった。
 その後、台湾・日本・オーストラリアで行われたキャンプに、私は参加することができたのだけど、今でも、この最初のソウルでの体験が、一番印象深く残っている。

 APPには、そこから4年間、年1回のキャンプに参加して、今はその卒業生(?)的な立場で、これからのAPPの継続と日本から参加するメンバーのサポートをする活動に参加している。(「Producer connect Japan」というグループに所属している。)
 現在も私は、語学力としては全然追いついていない。各国のプロデューサー仲間ときちんと話せるほどには英語ができていないので、このような活動の末席にでもいさせてもらっていることは、光栄だし恐縮である。でも、あえて私はここにいたい、とも感じている。
 私にとって、APPに参加することは、ゼロからイチに進む体験だった。また私は、「国際交流」を、一部の、英語が堪能な人や国際的な活動実績を持つ人たちだけが行うものにしておくのは違うのではないか…と感じている。実力が足りないからと参加に躊躇することもしたくないし、世界の出来事を「自分に関係ない」他人事だと思いたくもない。私みたいな人間がこの活動に参加してることが、他のみんなの参加のハードルを下げることになったらいいな、と勝手なことも考えている。(もちろん、頑張って勉強していく必要はあるんだけど。)


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