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5 京都公演〜そしてコロナ禍へ

京都での創作・初演

『珠光の庵〜遣の巻〜』韓国語バージョンの初演は、2020年2月に行った。1月中旬から約3週間、3人の俳優とウンミさんに京都に滞在してもらって、稽古と公演を行った。

 海外からのゲストを迎えての創作は、私たちにとって初めての体験だった。どのような創作になるのか全く想像できないままに迎えた合同稽古は、だが初日から、これはおもしろくなりそうだ…と大変ワクワクした。

 英語版を創作した時は、英語キャストは英語を話せる日本人の俳優が演じたので、彼らは日本語も英語も理解していた。また、私たちの側も義務教育で英語を勉強した経験があり、個人差はあれ多少の英語への慣れ親しみがあった。だが今回は、一部のメンバーを除き、日本人側は韓国語がわからず、韓国人側は日本語がわからない状態で始まった。それでどのように同時通訳劇を合わせていくのか…。

 日本語と韓国語は、語順が同じなので英語以上にわかりやすい部分と、だが、同じことを表現するのに文章の長さが違うためにタイミングを合わせるのがとても難しい部分とがあった。だからこそ、日韓の台詞がバッチリ合った時、2人の俳優の息が合った時の面白さは格別だった。稽古を重ねるごとにシンクロ具合が増していく俳優たちを見て、この創作の魅力を感じていた。

 京都公演の客席には、韓国のお客さんは多くないだろうけど、その先に韓国で上演する時のことを見据え、特に韓国キャストのみんなには、韓国のお客さんが観た時に面白いと感じてもらえるようにするには…という視点で、一緒に創って欲しいとお願いした。微妙な言い回しの変更や、伝わりやすいように台詞を足したり、稽古現場でどんどんと作品が更新されていった。それはとても刺激的な作業だった。
 一緒に日本に来てくれたウンミさんが、稽古場での通訳と、韓国人の視点での意見を担当してくれて、大活躍してくれた。本当に心強かった。

 京都公演はそのようにして終わった。これは絶対、韓国でまた上演したい!と気持ちを強くした。このままでは終われない、そう思った。


関連企画

 劇団衛星は、公演の時には「関連企画」と称して、色々なイベントを併催することが多い。この時も、滞在してくれている韓国の俳優のみんなと一緒に、ワークショップや勉強会、茶道体験会など色々なイベントもやった。
 中でも、韓国の演劇についての勉強会の時と、韓国語勉強会で演劇用語を教えてもらった時のことは、印象に残っている。

 近代の韓国演劇の話の中では、総督府の検閲によりそれまでの韓国の文化を失ったことだったり、プロパガンダに使われた「親日劇」についても触れられた。演劇の用語にも当時の影響が残っているもの(日本語由来の言葉)がたくさんある。それらを、韓国の仲間にも教えてもらいながら、学べたのは、とても大事な時間となった。
 私たちは、ヒリヒリするような話を改めてするのは難しくても、"演劇"を通じて考えることならできるだろうし、それは素敵なことだな…と本当に感じた。

 日本と韓国は似ている、言葉は違うけどそれだけだ、というようなことを、初めて日本に来た俳優が言ってくれた。言葉がわからないメンバー同士も、魂で通じ合う実感を持っているようだった。とてもいい時間が作れていると感じたし、そのことがいい創作に繋がったのだと思う。


「外地の三人姉妹」リーディング公演

 私たちが京都公演を行っていたちょうど同じ頃、京都でもうひとつ、韓国からの演劇人がやってきていたプロジェクトがあった。

 大阪大学大学院文学研究科主催のアーティスト・イン・レジデンスのプログラムとして、演出家 ソン・ギウンさんと数名の俳優が韓国から来て、日本の俳優とともに、彼の新作『外地の三人姉妹』のリーディング公演が京都で行われた。(この作品はその後、改めて横浜で創作されて公演された。)
 日本人の出演者は公募されていた。その情報を知った時に、せっかくの機会だからオーディションを受けたらどうか?と私は田中沙穂さんに勧めた。沙穂さんはそれに挑戦して、見事出演を果たした。

『珠光の庵』の京都での創作・公演の期間の途中から、この『外地の三人姉妹』の創作は始まった。なので、韓国から来ている演出家と俳優の方々に、『珠光の庵』の公演にお誘いして、観に来てもらうことができた。
 その俳優の中には、私が韓国語を勉強するきっかけとなったマ・ドゥヨンさんもいた。

 彼らに作品を観てもらえたことは、個人的にもとても嬉しかったし、それが数年後の韓国での公演の実現に大きな助けにもなったので、大変ありがたいご縁であった。


そしてコロナ禍へ

 当時は、新型コロナの感染が世界で始まり出した頃だった。
 ちょうど韓国からのメンバーが日本に着く時分に、中国で新型の感染症が流行り出しているらしいというニュースが聞こえてきていた。彼らを空港まで車で迎えに行ったのだけど、空港へ行くのに気をつけようという話をしていたのを覚えている。まだ、横浜のクルーズ船が大きな話題になるよりも少し前の時期だった。

 無事に彼らが日本に来て、公演をすることができ、問題なく帰国してもらうことができたのは、本当に奇跡的なタイミングだったと思う。あと1ヶ月遅かったら、どうなっていたか、わからない。

 そうして世の中はコロナ禍に突入した。
 日本で初演したこの作品は、本来であれば翌年に韓国で上演したいと思って計画していたが、それも早々に延期の決断をすることになった。


●おまけ:東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』『外地の三人姉妹』のこと

(読まなくても内容把握に支障のないだろうと思う、おまけです。カンパとして、購入いただけると喜びます。このおまけ部分だけが200円の価値があるわけではないので、ご容赦ください。)

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