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9 ついに韓国公演

事前準備(作品の稽古と韓国語の勉強)

 京都での初演から今回のソウル公演まで、すでに2年近くの月日が経ってしまっていたこともあり、メンバーの状況も変わっていたりしていた。そのため、スケジュールの都合で、全く同じメンバーで公演を行うことはできなかった。日本キャストも韓国キャストも、それぞれ一部変更が生じることになった。

 新たなメンバーを交えて、まずは、日本キャストは日本で、韓国キャストは韓国でそれぞれ稽古を始めた。時々、オンラインでコミュニケーションをとりながら、お互いの進捗を共有しあう中で、早く現地に行きたい気持ちは募っていく。

 作品の稽古のほかには、劇団の有志で韓国語の勉強なども行った。私自身が初めて韓国に行った時の経験から、せめてハングルが読めることは滞在中にとても意味がある、という思いがあった。また、多少の挨拶などができたら、共同創作の場もより楽しくなるのでは…と考えた。
 興味を持ってくれたメンバーと、半年くらいの期間、月に1〜2回、合計10回程度の自主勉強会をやった。うち数回は、ゲストにも来てもらって、韓国語や韓国の演劇、歴史などについても少しずつ勉強をした。
 そのことが直接、滞在中の何かに役に立ったかはわからないけど、韓国へ行くのだ…!というモチベーションの向上には繋がったのではないかな、と感じる。


ソウル滞在〜韓国公演

 2023年8月22日午後に韓国へ到着。劇団衛星の俳優とソウルの俳優は、3年半ぶりに実際に再会。新キャストのソル・ジェソさんとも初対面を果たした。
 俳優と私はそれから約2週間、ソウルに滞在する。別の仕事があった演出家と一部の俳優がその次にソウル入りして、最後にテクニカルスタッフが合流した。

 テクニカルスタッフ・制作スタッフとも、今回の公演には、通常の『珠光の庵』ツアー公演よりそれぞれ1人ずつ多く参加してもらっていた。初めての海外公演を乗り越えるのに、それが必要だと思ったので、複数の方に参加を依頼していた。通訳も、現地にウンミさんがいてくれるのに加えて、日本から加奈子さんに来てもらった。
 効率を考えるなら、もう少し節減すべきだったのかもしれない、とずっと考えてはいた。が、結局は必要だったな、と実際に終えてみて思う。もう一度同じ状況になったら、私はやはり同じ選択をするだろう。

 滞在期間は怒涛のように過ぎた。とてもとても、楽しかった。
 最初の1週間は、時間貸しのスタジオ(練習室)を借りて、日韓の俳優が一緒に稽古を行った。稽古の後は、みんなでご飯を食べに行ったり、有志でいくつかの演劇公演を観に行ったりもした。(この辺りの思い出はたくさんあるけど、ありすぎるので今は割愛する。)

 間に1日だけ完全オフの日を挟んで(その日は各メンバー自由行動した)、28日から本番会場である新村劇場に小屋入り。会場に合わせて調整を続けて、そして、8月31日(木)の夜から9月2日(土)まで、4ステージの上演を行った。
 小さな劇場であったこともあり、チケットは早々に完売していた。もっともっと観て欲しい人があったのに、お誘いできなかったことは申し訳ない。(30日に行ったゲネプロにも、関係者の何人かは観てもらうことにした。)

 韓国のお客さんは参加型のイベントが好きだ、ということは、事前に聞いていたが、本当にそうだった。お客さんに参加を促すシーンでは、ノリノリで挙手してくれた。日本で上演してきた時にも、たまに参加しようとしてくれる方がいたことはあったが、ここまで積極的に入ってこようとしたのは、初めての経験だった。

 公演を終えた瞬間、この公演に対して、私は「反省はない」と感じた。それを自分のBlogやSNSで宣言もした。次に向けての改善点はたくさんあるが、今回もっとこうしておくべきだったな…と思う点はない。今できる最善を努めた自信はあった。

 劇団員もスタッフも、「大きな問題なく終わった」と振り返ってくれた。それを私に言う時は決まって、「自分の知らない苦労とかあっただろうけど」と気遣って言葉を添えてくれる。でも、そんな気遣いは不要だった。そのように言ってもらえることが、私の誇りになった。
「問題なく終わった」とみんなに思ってもらえる公演ができた。そのことは、私にとって、大きな自信に繋がるものだった。

 ちなみに、今回の公演にあたり、必要な物品は以下の感じで準備した。
(普段、国内での旅上演の時は、基本的にワゴン車に必要なものを積んで陸路で運搬して移動しているが、海外公演の場合はそういう訳にもいかず。何は日本から持っていくか、何は現地で調達するか、持っていくとしたらどうやって運ぶのか。試行錯誤を重ねた。)

・畳:韓国版メルカリのようなサイトで、中古の簡易敷き畳をウンミさんが見つけてくれて、それを購入した。使い終わったら再度売ろうと言っていた。(終了後の処分についてはウンミさんに任せたが、再演したいね…という話もしたので、結局、保管できる間は保管してもらうことになった。)

・座布団:ウンミさんに頼んで、安いものを探して購入してもらった。これも、終わったら売ってもらう計画にした。

・茶道具:みんなで手分けして、割れないものはスーツケースに入れて、茶碗などの割れ物は手荷物として飛行機内に持ち込んだ。そうして頑張って運んだけれど、菓子鉢は往路に1つ、復路に2つが割れてしまった。(長年使ってきたものであったので、今回の公演でその役目を果たしたということのような気がしている。)

・日本から持って行った機材や、茶道のための電熱器などを使う必要があったので、電圧変換器が必要だった。渡韓の直前、大阪の電気屋でそれを購入して持って来てもらった。重かった。飛行機へ預ける荷物の重量の調整に苦心していたが、この変換器はかなりの難物になった。

・その他:幕などは現地の劇団関係者にお借りしたり、細かいものは現地のダイソーなどで購入したりした。たくさんの方にお世話になった。感謝しかありません。


●おまけ:コロナ禍の渡韓と状況の推移について

(読まなくても内容把握に支障はないだろうと思う、おまけです。カンパとして、購入いただけると喜びます。このおまけ部分だけで200円の価値があるわけでもないので、ご容赦ください。)

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