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#闘病レポ06[術後合併症]。漏れた膵液がじぶんの身体を溶かすホラー現象。

良くなって。悪くなって。また良くなったけど、悪くなる。膵臓の切除をして最短2週間の退院予定が、約3か月になってしまいました。

長引いた要因は合併症。膵臓の切り口から膵液がもれて、身体の中に染み出してしまい、自分の身体を溶かすなど、悪い作用を繰り返してしまったことです。

臓器がじぶんの身体を消化しようとするんです。そんなホラー話的な自己消化の現象が、膵臓だと起こり得てしまいます。

はじめに。膵臓はどんな臓器か?カビキラー並で最恐。

以下noteで膵臓や病気のいろはをご説明しているので興味があれば、ご覧ください。
一言で言うと、膵臓はお肉などを消化するために溶かす消化液を出す機能を持つ臓器。タンパク質や脂肪を溶かす強いアルカリ性の液体をつくっています。膵液がつくと徐々に肌が荒れてしまいます。改めて身体の仕組みは神秘的ですばらしい。この液がすごく強力で、侮れないのです。

術前説明。膵臓切除の手術では、どうやっても膵液が漏れてしまう。

膵臓を3分の2切除しました。術前に説明してもらいましたが、その切った断面から膵液が染み出てしまう事は避けられないことで、いかに膵液を体外に排出させて溜まらないようにするか、という考え方を適用します。世界中どこにも膵液が確実に漏れない方法はないそうです。膵臓の手術は予後が悪いと言われる所以のひとつ。そのため、お腹には体内に長さ20センチ程度、異なる太さの2本の管(ドレーン)を入れて、点滴棒に外側に膵液が排出できるバッグを繋げていました。お腹に穴が空いているのは、かなりグロテスクな見た目でした。なお、ご高齢の方だと臓器自体の機能が低下しているため膵液が漏れるリスクは低く、若くて臓器が元気であるほどリスクが高いそうです。先生は若いと「膵臓が柔らかい」と表現していました。その目で見て切っている人ならではの視点ですね。笑。

術後8日目、順調だと思っていたのに、熱が下がらず。”合併症=膵液が漏れ”が発覚した。

7日目くらいになっても痛みは消えることはなく、よちよち歩いていたため、病院内は車いすで移動していました。ただ、順調な回復だったので、「退院も近そうだね」と主治医の先生もおっしゃっていました。そんな時、合併症が発覚して落ち込みます。病の不確実性を実感し、淡い期待は禁物だと思い知らされました。

日々体調が変化しますが、看護師さんは膵液が漏れているサインなど体調の異変のキャッチアップのため、痛みの有無、バイタルサイン測定、管から排出される液体の色の変化の3つを1日3回見ていました。ほか、週1回くらいで血液検査、レントゲン撮影です。痛みについても聞かれますが、正直どこがどう痛いのか表現が難しく、うまく伝達することができませんでした。
一番わかりやすい指標は熱で、38度以上出ているとだいたい炎症が起きており、入院中は常に意識してみていました。

変化を目視できるのは体内からドレーンで排出された膵液の色と量で、ばい菌の感染有無、臓器への影響などがわかります。正常な膵液の色は透明。手術直後は血が混じっていたものの、術後7日目くらいは透明な黄色い色。それは良い色とのことで安心していました。

ただ実際はこの時、汚い色の液体がお腹の中に溜まり排出されていなかったのだと、後になってわかります。こういうパターンもあります。

7日目くらいから熱が38度を超えて、解熱鎮痛剤の点滴で熱を下げては上がるを繰り返しました。血液検査をしたところ、crpという炎症の値が高く、原因を追究するためCT撮影を実施。CTの結果、膵液がお腹の中にたまっていることがわかりました。術後の経過とともに、左わき腹を刺すような激しい痛みがたまにあったのですが、それは炎症のサインだったようです。

術後9日目。透視室で溜まっている膵液を抜くのは、地獄的痛み。

お腹に溜まった膵液は、管を通して大きな注射器で吸って抜きます。透視室という場所で、X線で身体を透視しながら処置をしました。ドラマ「ラジエーションハウス」で見たようなものかな、、透視…?と何が起こるのかワクワクして向かいました。ステンレスの台の上に横になり、X線でお腹の中が見えるモニターを見ながら進めて行きました。処置をする先生の手の骨の形を見ながらの処置は、不安と興味でいっぱいでしたが、予想を遥かに超えてとても痛かったです。

まず、お腹に溜まっている膵液を管が入っている穴を通じて吸います。次に、ばい菌がついた管を入れ替える、という2つのステップです。痛かったのは2つ目のステップ。恐らく炎症で身体が傷ついていることが原因ですが、気絶しそうなくらいの痛みでした。しばらく堪えましたが我慢できず、大きな声を上げると同時に身体を逆に反らせてしまい、ぎっくり腰みたいになりました。痛みを表現すると、意識あるままブスっと内臓をグリグリえぐられるような、そういうイメージです。以降、透視室での処置は痛くないか確認するようになりました。
何度かやりましたが、痛かったのはこの時だけだったので、炎症の程度が影響するのだろうと思います。麻酔か鎮静剤を投与してほしかったです。涙

やっとの思いで腹水の吸い出しと管交換が完了し目を開けると、吸った液体が大きな注射器に。ヤクルトに血を混ぜたような…何とも言えない色です。先生いわく、膵液がたまって菌に感染してしまい膿となっていたようでした。病理検査に回して、何が起きていたかを調べるとのこと。終わった時には、汗びっしょりで疲れ果てていました。グッタリ。

術後10日目。お腹から出てきたのは茶碗蒸しみたいなドロドロ。リンパが溶けて流れ出てしまった。

処置が終わり安心していましたが、翌日あたりから、お腹から排出される液体の色と質が「ヤクルトとカルピスと茶碗蒸しを混ぜたドロドロしたもの」に変わりました。これはお腹のリンパ節が溶けてしまった色でした。膵液が身体を溶かし始めてしまったのです。

膵液は消化液なので、食事をすると出てしまいます。なので、食事をストップし、抗生剤を点滴投与することになりました。そこから4日間ほど管から出る液体の色と質を見て一喜一憂。早く退院したいと焦る気持ちもありました。

茶碗蒸しのようなドロドロでなくなった後に食事は再開しましたが、次はピンクになり、その赤い色が徐々に濃くなっていき、茶色になったりしました。この時点で体重は入院当初より3キロほど落ちていました。

術後15日目。最大ホラーは鮮血、命の危険を宣告された。

膵液が漏れてお腹にたまってしまうことを、膵液婁(すいえきろう)といいます。ネットで調べてみると、全体の20%くらいの人がなる確率があると記載がありました。そして、リンパ節を溶かす合併症が5%。最大のリスクである動脈を溶かすものも全体の5%程度と記載がありました。

そして、最大のリスクであると言われていた「動脈が膵液で溶かされて薄くなり破れてしまい出血する」という事態を経験してしまいます。

自己認識はなく、夜中に見回りをしていた看護師さんが発見してくれて起こされました。30分後に帰宅後の先生が飛んできてくれて、家族を呼び出す事態になりました。

いま思い出しても恐怖がこみあげてきます。死にそうな時に感じたことは「無」でした。私は生かされていると感じる、死生観に影響する非常に大きな出来事でした。つづく…。

まとめ。ただ向き合い前に進むことで乗り越えよう。

身体の機能はすばらしく、いろんな臓器のうまい連携で機能していて、健康でいることがどれだけ奇跡なのかを身をもって感じました。熱、痛みをはじめ、ちょっとした変化など必ず要因はあるのだと。もっと身体に耳を傾けて、SOSに気付けるようにならないといけません。この気持ちを忘れないためにも、このnoteを書いている気がします。

また、手術したら必ず快方に向かうと信じてやまなかったのですが、合併症が悪化してしまい、病の不確実性にむきあうことになりました。退院できると思ったら、悪くなる。退院したら、また入院になる。そんな繰り返しでした。そんな不確実な状態においては、目の前のことにただまっすぐと向き合い、前を向くのをやめなければ、いつか必ず先に明るい未来があると信じて、淡々と過ごすことを意識していました。




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