ビスポークの語源は、「Be Spoken」 対話である。Tailor makes the Man・服を仕立てて「大人になる」。お金さえあれば買える、といったものとは別次元の経験をする意義、とは。
先日、大切な顧客の藤田様を、注文服のオーダーにお連れしました。彼にとって人生初のビスポークです。
伺ったのは batakさん。
「政近さんがスタイリストなことは知っているけど、普段の現場投稿、あまりなさらないですよね」とたまに言われるので(笑)私の仕事の根幹投稿もたまにはしようと思います。
顧客の多くはSNSをやっていない、やっていたとしても自身は投稿しない、観覧のみ、あるいは宣伝、露出の必要がない、(必要ない方が多いのですが、掲載OKな方は社会に必要とされて、SNSを楽しんでいらっしゃるタイプ)また、私のサービスを受けていること自体をシークレットになさっている方が非常に多いのです。
サービスの提供の仕方、その後のお付き合いの中でのルール、こういったことは「パーソナルスタイリング」をこの日本に創った私としては「お一人お一人、全員が違う」のは当たり前で、顧客とのルールを何より大切にしています。
また個人的な事情になりますが、現在、政近スタイリングの新規のサービスは半年以上お待ちいただいている状態で、すべてご紹介制になっていることもあり、(ありがたいことです)宣伝的なポストの必要性がなく、こうして残したいポストには理由があります。
その理由は、、まぁ 書いた内容の中から読み取って欲しいかな、、
今回のクライアントは、群馬の若きリーダー、藤田裕氏。藤田エンジニアリング株式会社の社長である藤田実氏のご子息で、いずれトップを担うことになるであろう、エレガントでお優しい、芯が強く行動的な方です。
まだ30代というお若さで、私からしたら息子に近い感覚ですが、
(実際息子も30代)
何かを伝えるごとに勉強熱心でいらして、装いに関しては自身でも本を読まれたり実際にお店に行くなどうちの息子とは大違いだわ!笑 というか息子の特徴は単に私のDNAなのであって、
まぁ人間、それぞれの良さがあるわけですが。
藤田氏と息子とでは近いのは年齢だけであって、生き方も外見も大きく違う、ということも言いたいところかな。
ビスポークには重要なところでもあるので、リンク張っておきます。
※今回のサービスの一連についての投稿は、この先に「ある試み」が待っていることもあり投稿の許可を頂いております。
藤田氏との出会いは、群馬銀行さんでの講演&研修会。
藤田氏もこうした7年間オファーを頂いている群馬銀行・顧客様対応で行っている装力研修を昨年受講されました。
講演会のオファーを頂く
藤田さんの経験こそを話せばよいのではないか。
積極的に研修を受けられ、この学びを自分の界隈にも広めたいという思いを持たれた藤田氏。早速藤田氏が所属している、公益社団法人高崎青年会議所 での登壇オファーを頂き、7月の講演会が決定した。
今回のオファーを頂くにあたり、考えたことは
ビスポークの経験を、彼自身が話せば良いのではないか、ということ。
藤田氏が所属する会で参加者が聞きたいのは、なぜ私の講義が青年会議所 に招致するほど、必要だと思ったのか、その熱い思いや具体的な理由を、私ではなくて彼の口から話し、聞いて感じることに意味があると思ったのです。
そして、何を着て伝えることが最善なのか、という発想からbatakさんのビスポークをお勧めしたという経緯がある。
聴講する皆さんにとっても「仲間の変身や経験」ほど刺激になることはない。変身といっても、もともと「普通に」「特に悪いところもなく」スーツを着こなしていた藤田さんの変身は、見た目で奇をてらうものではないからこそ、じわじわと確実に届くものがあると思う。
そう、自分ごととして。
そう、言葉だけではなく 視覚からの情報とマインドの変化によって
人々は「感じる」ことができるのだから。
その人だけのもの、ビスポークという贅沢な一点ものを注文するという醍醐味とは。
今回batakさんを選んだのは
これから広がっていく人生を考えて、ビスポークの奥深さを知って頂きたかったから。ビスポーク、というだけで30代の彼にとっては敷居が高い、という印象があるでしょうし、何か機会がない限りは、なかなかその敷居をくぐることを「積極的に」考えることもなく10年くらいはあっという間に経ってしまうでしょうからね。
冒頭に書きましたが、ビスポークの語源の由来は「be spoke」対話を持ち話し合いながら作り上げていく。
要するに、お店に行けば吊るされて売っているもの(既製服)や、あらかじめ決められた型紙があり、それに合わせて調整するものを、日本ではパターンオーダーと呼ぶが、それはとも違い、その人だけのもの、ほかにはない1点ものです。服が浮き立つのではなくて、それを纏う人が在って醸し出すもの、服ありきではなく人物ありき。
でなければ、いくらサイズがあっていても、自分一人のものなのにもかかわらず、服に着られてしまいます。高価なものを着てさえいればなんとかなるのではなくて、その人が着るからこその雰囲気、どういう人間なのかという証明。そしてそれが出過ぎないようにする品格。藤田氏が、服を手に入れるのではなくて自分自身を手に入れていくといった過程を踏んでいくスタートに相応しいお店を選びました。
batakさんにしたのは、藤田さんの生き方、内面との相性、今後を見据えたお店とテーラーとの関係性の充実を考えてのこと。
まだ早いのでは?
もちろん、敷居は高いでしょうし、まだ贅沢なのでは?と考えるかもしれません。
36歳でのビスポークは、特に経験が無くても困らないものともいえます。しかし、正直なところ、プロとしてというより親のような気持ちにもなるのですが、いかなる経験も早すぎるということはないと考えています。
もちろん何かをチョイスするにあたり、身の丈、ということは非常に重要な価値観なのだが、「ではいつ、越える機会を持つのか?」という問い。
どんな経験も、超えてしまえば楽しみを感じられるでしょうし、最初は私が共にアテンドをしたとしても、次回からは自分の生き方や様々な希望も見つかるようになり、テーラーと対話をしていくことが可能です。
その時の自分にベストな物を手に入れることができるだけではなく、ベストは対話と経験によって、2着目以降からは更に、その時点で最善なものが仕上がっていきます。
こうした経験こそが、この先の人生を拡張していくもの、と私は思っています。
本物に触れる、本場を知る、そして出会うということ。
さて、人生初のビスポーク、3ピースの作成経験は、7月の登壇にご本人から披露されるわけですが、私が思うに、どんなことも本物と出会うということの尊さを思います。
この経験は いずれトップを担う立場になられていく道のりの中で沢山のヒントがあったと思いますし、周囲の人たちへの影響の大きさを考えれば
リーダーの「スペシャルな経験」は、周囲を導く「人間の佇まいの勉強」として大いに必要だと私は思います。
見せ方より 在り方のところですね。
勘違いしてほしくないのは、お金があるからビスポークも可能なんでしょ、というようなぺらぺらな評価です。
ブランドに品位は必要か?
これをブランドとして考えればわかりやすいかと思います。
私は、ブランド=品位を纏えるもの、とは思っていません。
ブランドを着て品位が現れるとしたら、その人自身の品格が現れているから他ならず、ブランドが持つ力があるとしたら、更に人間そのものが引き出しているとも言える。モノそのものにおいては、お金さえ払えば誰でも買えてしまうのが服、価格からしても車や家の次元でもないわけで。
ですからお金で買えないものにこそ、価値があると私は思っています。
ブランド自身がが品位を保つためにも高額設定をしているのは誰にでも容易く買えないようにはなっているわけです。しかしお金さえあれば買えるものだという一方の事実、買ったとして、本当に着こなせるかという問題こそ、忘れてはならないことでしょう。
人は本能的に自分に足りない何かを物で補いたくもなる生物なのでしょう。
そして 必要以上に「見栄を張りたがる」生き物です。
見栄を張り身の丈以上のブランドを纏い、散在して見栄を張った買い物の仕方をする人には、貧乏神が透けて見えます。
だからこそ、「経験」から醸し出す空気感というものや、その機会を得たからこそ積み上げていく日々の営みがにじみ出るのが、服というものなのです。
要するに物、ではなく 人間自身をブランディング(価値の創造)していくということが大事ですね。
豊かな時間を過ごす
体と心でその瞬間の一つ一つを感じ取る、生地を選ぶときも、私自身は「こちらがいいですよ」とは先に言わず、わからないなりに自身で生地を触って頂きます。
菅野さんも仰っていましたが、「自分の感覚でいいのですよ、あ、こっちかなというような感じは大事にしてください」と。
※ここで使われている画像は、ご本人、社長の中寺氏の了承の下、noteに書き上げております。
その自分で得た感覚が実際に服になったときどう仕上がるのか、纏う瞬間の気持ち、その着心地や肌触り、シルエットはどうか、、。
そして、まとう瞬間の感動はスタートであり、一回目から絶対にこれが最高!これ以上のものは無い!ということでもないのが注文服(ビスポーク)であり、だからこそ対話を重ね、2回目、3回目とより良いものにしていくという楽しさ、研究のし甲斐があるもの、とも言えるわけです。
服とテーラーと共に歩んで行く自分史の中で、時間が経過していくからこそ味わえる風合い、表現できるもの、ことも変わっていくこと、そして変わらないものなど、何十年もかけてやっと語れるようなものかと。
超ベテランの 菅野さんが担当をしてくださり、採寸が終わるころ、社長である中寺氏もご挨拶にいらしてくださいました。
中寺氏とは同い年で同じ時代を生きてきたから故の親近感がありますが、メンズファッション業界では雲の上の人。
私はありがたいことに、お食事会などご一緒したことがあり、
奇をてらわずエレガントな佇まいにうっとりな方でいらして、隙がありません。なのに人に緊張感を与えず、そのお人柄も含めての 私の顧客様をお任せできる超プロフェッショナル&経営者でいらっしゃいます。
この日もお写真ご一緒したのですが、今現在はSNSへの露出はしない方向、ということで私の記憶の中に収めることとします。よって残念ながら中寺氏の画像はありませんが、こちらで雰囲気を感じ取ってもらえればと思う。
ビスポークの歴史にも変化
そしてこの日、ぜひ奥様もどうぞ、とお伝えしたのだが、うれしいことにご一緒して頂き、彼女の熱心で温かくパートナーを見守る在り方、積極的にご質問なさる好奇心、熱心にメモを取られるお姿に正直感動しました。
藤田氏の奥様がそうだということではなく、顧客様の中には私と出会う前はすべて奥様が服装を管理されていた、という方が多く、その場合どうしても女性発想寄りなチョイスや拘りが出てしまうというケースが多かったりします。もちろん女性の感性を生かすことは良いのですが、知識がゼロベースでの感性優先となると間違いが起きる可能性が高いことが懸念されるのです。
一方で服装には正解不正解は無い、と私は生徒さん方に教えていえるが
基本あっての自覚と問い、でグレーゾーンの楽しさや、常識を超えていく、許されるケースもあるということもここに言及しておきます。
ご夫婦であれば、共に学び、そのことを愉しみながら習得して頂ければと心から思うし、服装に限らず子育てにしても何にしても、どちからに任せっぱなしにするのではなく、共に助け合い、愛情と信頼を深めていくご夫婦であってほしいと思います。
こういった考えは私自身がイタリアで暮らしていたことが大きいと思います。ちょっとしたパーティーの機会でもクローゼットの中から出した服をベットに並べながら微笑み合う、意見を言い合う姿、私の装力の修業・発想は日本ではなくイタリアで培ったものなのでしょう。
私の両親もお洒落には気を使うほうですが、イタリアでの雰囲気とは、また違ったものだったという記憶です。
また、テーラーの世界に女性厳禁という時代も長く続きましたが特にここ10年でほどで女性のテーラーも増え、確実に時代は変わっていると感じます。
ファッションの専門学校でも、そういった学科が新しく設定されるなど
職業にボーダーを引かない、良い時代ですね。
まさに朝の連続テレビ小説の虎に翼、ではないですが、女性のテーラーが、2016年にサビルロウで初のお店を開業しています。
顧客自体に女性も多いそうで、女性が注文服を纏うことも、現代では「珍しくない」世界になったのです。
よって、男性の「世界」に女性が同行することも自然流れで、ご夫婦でテーラーを訪ねることは、まだスタンダードではないにしても私は、とてもすばらしいことだと思っています。
もちろん 男性の、男性にしかわからないビスポークの楽しさや、誰にも話せないことを自然にテーラーに話せたり、といったこともあるでしょうから
ご紹介後に、どうご利用されていくのかは、自由に考えて頂ければそれでよいのです。
やたらと何か嬉しそうな私。。笑
菅野さん、中寺社長、丁寧なお仕事ぶりとご対応、豊かな対話をありがとうございました。
3ピースの仕上がりも、青年会での講演会も、とても楽しみです。
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