みゅみゅみゅ②~うたう重力ピエロ~
2009年7月4日東京渋谷。
その日の渋谷はいつもにましてひどい有様だった。
高知のよさこい祭のような人ごみ。異臭。耳をつんざく大音量で騒音を撒き散らしながらのろのろ進むド派手なトラック。
それらに混じり、汗だくで重たいトランクを引きずり、道玄坂を上る。今日のライヴ会場は、もうすぐだ。
しかしそのたった10分の道のりで私の神経はかなり磨耗しており、ラヴホテルとライヴハウスが所狭しと隣接するビルヂングに辿り着いた時には、すっかりくたくただった。
エレベーターで7階に上がり、ドアを開ける。誰かがリハーサルをしている。トランクを投げ出し、ソファに転がり煙草に火をつける。
そのまましばらくソファに沈み込んで、半分壊れた耳と頭をもたげ、回復すべくじっとする。リハーサルの音が大きくなる。
ステージに目をやると、ちょっと変わった風貌の男がギターで歌っている。ドラムと音あわせをしているのだ。
じっと聴いていると、さっきまでの喧騒がまるで遠い世界のように、苛立っていた私の神経が音の中に包まれていった。
自分のこころとからだがあるべき位置に、すんなり素直に収まってゆく感じ。
ふと「街中で、音楽は大勢の人々の心を救っていた」というある映画のセリフを思い出した。
扉を一枚開けただけで、何処へでも連れて行ってくれる。やっぱり私は音楽が好きだなぁ、音楽は偉大だ。
それにしてもリハで心を奪われることなんてなかなかないぞ、誰なんだこの男は。今日の同日出演者の名前をみる。
これがS氏と私のファーストコンタクトである。
リハーサルだけでなく、その日のS氏のライヴも素晴らしかった。
一瞬で場内の空気を鮮やかにかっさらっていった。その次に出番だった私のテンションと自由度にかなり火がつき、共演のヴァイオリニストF女史は「1曲目から全然違うアレンジやんっ!」と後で苦笑していた。(すまぬ)
・一見年齢不詳で、髭も髪もボウボウしていて、浮浪者風。
・猫背でしゃべってることが聞き取りづらいがやけに謙虚。
・夜行性小動物のような挙動。
・よほど酒が好きらしく何かにつけ「乾杯しましょかー」を連発。
これがステージ下でのS氏の彼の第一印象。だいぶ変な男である。
私はすっかり彼の歌にひと聴き惚れたので、終演後に声を掛け「高知に是非」と連絡先を教えてもらった。S氏は切り取り線のついた私の手帳のメモ欄に、切り取り線を全く無視し、斜めに流れる素敵な字でアドレスを書いてくれた。
この記念すべき日からS氏との交流がはじまり、その年の暮れには高知を訪れてくれ共演。春には2度目の高知で共演。そしてこの秋にも、高知でのビックイベントにも3日間参加してくれることになった。
「高知すごいす、修行す」と言いながら、すっかり高知の私のホームグランドでもお馴染みのアーティストになってくれた。
ライヴを観る度に違う側面が見えるS氏。
彼の持つ世界の延長でもあるし、変化でもあると思う。せっかちな私と違い、シャイで意外と慎重な彼は、私ならぽいっと流してしまうものも、手にとって拾い上げて、じっと見たり考えたりしているようで、何とかその視点に同調させてみると、「あ、」と気づくことがある。
一見でたらめで、バラバラで、世渡り下手なろくでなしの酔っぱらい(ひどい)、いや、実際そんな面も十二分にあるのではあるが、彼の歌を詩を聞いていると、その視点の繊細と自分の感覚への正直さにいつも小さく感動を覚える。
うまく言えないが、それはとても静かな感覚だ。全ての物事や人との距離感が、同じように自分から均等に離れている。そんな感覚。
随分昔に見た山下清のちぎり絵の風景にも同じことを感じたな。
今でも忘れられないS氏との好きなエピソードをひとつ。
私が制作しているアルバムの話をS氏にしたとき、「タイトル何にするんすか?」と言われたので、「いちばん小さな海」と答えると、彼は即答で「涙っすね」とサラリと呟いた。
私はこっそり、だけど内心とても感動した。「この人は、詩の中で決して嘘をつかない人だ、そして、だからこそ嘘の表現を直感ですぐに見抜ける人だ」と感じた。
冬には長いツアーを共にする。そのツアータイトルを「うたう重力ピエロ」と名付けた。
重いものを背負って、タップを踏むように、という意味合い。(井坂幸太郎の作品タイトルから)
我々歌うたいは、往々にして不器用ではあるが、皆それぞれ自分なりの流儀で日々に向き合い、自分の感覚と向き合い、歌をしょってゆく。
あくまで、軽やかに。
まっすぐ歩いていても、ジグザグ。
表現者はいつでも、愛すべき、まっとうなへんてこなのだ。
(2010年著)
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