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エジプトの旅が教えてくれたこと

エジプトを旅したのは、もう8年ほど前。

と思っていたけれど、そういえばあれは、東日本大震災の次の年だった。

ということは、もう10年前になるのだ、と気づいてはっとする。

時が経つスピードには驚く。

だけど、やっぱり今振り返っても、行ってよかった。

なによりも印象に残っているのは、カイロのギザピラミッドからみた光景だ。

その瞬間にみたのは、薄茶色の世界だった。

ただただ砂漠がどこまでも広がり砂が永遠と続いていく。

なだらかな曲線をどこまでも描きながら、その延長線に見えるのは、同じように薄茶色のレンガ調の家たちだ。

ほんとに素晴らしい景色なのに、マクドナルドが一店、景観のバランスを残念なものにする大きな黄色いMの文字を掲げていた。

もちろん、全体のスケールの大きさからしたらそれはほんとに”点”としてあるだけ、だけど、ちょっと現実に引き戻されるような、ちょっと一瞬しらけるようなおもいにはなる。

そうであっても、刻々と刻まれてきたであろう歴史的ななにかを感じさせる圧倒的な景観で、いまでも思いだすと息を呑む。


なぜそもそもエジプト?

という質問をよくされる。

1番の理由は、ベリーダンスにどハマりして、現地にあるとあるダンスのワークショップに参加するためだった。

エジプトのエキゾチックな空気感を肌で感じてみたいとも思った。

ただ、エジプトではその頃内乱が起こっているとニュースで報道されていた。

その頃、エジプトに興味があったわたしは、言語交換目的でオンラインで出会ったエジプトの友達とチャットしていて、聞く限り、実際の状況はそれほど深刻な印象がなかった。

周りの親や親戚が心配していたので、ワークショップの先生にも問い合わせをしてみたけれど、答えはやはり、

「危ないエリアにわざわざ足を運ばない限り、日常生活には問題ない」

というもの。

ということで、母親の心配をよそ目に、旅へ出た。

行ってみて感じたのは、

やはり人びとの生活はそこにあって、

流血事件みたいな世界になっているわけじゃない。

入国に際しては、

Welcome to Egypt

と言ってもらったし、手配していたタクシーのドライバーは、フレンドリーとは言いがたいが、覚えたてのエジプシャンアラビックで話しかけたら笑ってくれた。

もちろん、平気だったわけじゃない。最終的に好奇心の方が大きかったから行っただけであって、恐いと思う気持ちがあったからこそ、事前に入念に調べられることは調べた。

そこら辺でタクシーを拾うのはとってもリスキーなので、ホテルに予約してもらったタクシーのみ利用。

一度とてもフレンドリーに声をかけてきた若い男の子が

「僕のタクシー乗りなよ!」

と言ってきて、値段の交渉を、他の誰かの車の窓に数字を指で書いてしてきた。

日本では、人のクルマに指で落書きって、仕事中することないよね、とちょっと驚く。

ちなみに、そのクルマが特別ほこりにまみれていて、指で落書きできる、というわけではない。砂漠地帯のカイロでは、きれいにしてもすぐに砂をかぶるのが日常的だから。

大丈夫そうに感じたものの、念には念を、彼のタクシーは丁寧にお断りして。

話しを戻すと、ニュースを見て、それがすべてだと思うのはすごく片寄った理解だと思った方がいい。

血を流したり暴力的になったハイライトを、何度も何度もテレビでみていると、エジプトとはそら恐ろしい国だ、と思えてくる。

そういう事実が街の片隅であることは本当だとしても、それ以外のエリアでは人びとは変わらず生活を続けていて、

歌を大声で楽しそうに歌う大学生も

(ノイズに対して敏感な日本ではあまりない光景だけど、わたしはにぎやかで好きだった。ひとりじゃない、と感じられたから)

通りすがりに、わたしの全身をうえからしたまでジロジロ眺めて、なにかぶつくさ言ってるアラビア人も

(推測するに卑猥なことと思う、この国では、お金がないと結婚も自由にできないし、イスラム教の文化圏なので、そうなると性的交渉を抑圧された男性がうようよいるということだ)

夜中も眠らない街でクラクションを鳴らすドライバーたちも

カジュアルにどこからきたの?と聞いてくる街の人たちも

みんな通常運転だ。


知らない世界はいつだって恐い。

だけど、安全領域からでたときに見える景色はいつだってわたしの幅をひろげてくれるように思う。

カイロのホテルから見えた建物
デジカメで写真を撮っていた
現地の友人とシェアハウスで知り合ったイギリス人の女の子とギザピラミッドへ

B&Bに宿泊したときにいた猫
ノラ子だったけれどレスキューされた

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