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お一人様活

ひとりでいるということ

わたしはこれが恐怖だった。

友だちがいない可哀想なやつ、というセルフイメージと、

自分からのダメ出しや厳しい自分が出てきて、

誰もあんたのことなんて認めてないよ

なんであんなことあのときしたの?最悪

などとセルフトークが始まると、

決まってパワーを奪われて、呼吸さえしんどくなってくる。

そんなときは決まって、話しを聞いてくれる友人に電話をしていた。

苦しくて、誰か助けてって感じだった。

自分を自分で認めてあげることができなかったから。

離婚後のわたしはよく、孤独感を埋めるために、クライアントさんと飲みに出かけたり、友人とパーティをしたりしていた。

コロナが始まって、ひとりがふえるな、と思ったときはがっかりだった。

だけど振り返って思えば、結婚していても子どもがいても、わたしは徹底的に孤独だった。

それはわたしがわたしを愛することができなかったからだろうな。

自分が自分を愛することができないのなら、誰といようと、結局は孤独なんだ。


あるとき、東京まで友人に会いに出かけた。

東京もよく出かけていた場所のひとつだ。

セミナーだったりなんだったり、とにかく足を運ぶのが普通だった。

その日のカフェでの会話はとても苦々しいものになった。

一緒にやろうと思っていたプロジェクトは、わたしの意図しない方向へ進もうとしていた。

誰が悪いとかはないと思うのだけれど、わたしはその場の雰囲気がとても不快だった。

その帰りの電車の中で、

なんかひとにあわせるの疲れたな。

いろいろ行動しようとするのもちょっと休みたい。

とにかくしばらく休みたい。

という気持ちがでてきた。

ということで、それから、ひとりでいることが多くなった。

あんなに好きだった長電話もほぼしなくなった。

友だちとの予定もいれない。

そもそもなぜ友だちがいないといけないと思っているのか。

これをさかのぼって考えると、

小学生の時のある出来事を思い出す。

学校のない週末、母に連れられておばあちゃんのところへよく行っていた。

面倒見の良い母が、よく車でおばあちゃんの買い物や用事を足すのを手伝っていたからだ。わたしは手伝いたかったわけではなくて、むしろひとりでいたかったけれど、母にかりだされて車に乗る。

遊ぶのが大好きな姉はいつもいなかった。

わたしだけいつもそばにいるのをみて、

おばあちゃんに

Junkoは友だちがいないのか。

と言われていたことだ。

それで、なんかとにかくひとりでいるのはさみしくてダメなやつだ、と思うことになった気がする。

だけど、もともとひとりが好きなんだ。

HSP気質で、引きこもることで調整しているような気もするし。

そうして、課題だった厳しい自分とも折り合いをつけはじめた。

よくやってるよね。

誰も認めてくれなくても、わたしはあなたが一生懸命やってることをわかってるよ。

あなたのことを認めているし愛してるよ。


これは言うほど簡単なプロセスではなかったけど、

ちょっとづつ練習してここまできた感じ。

ここから人生イージーモードにしていきたい。

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