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尊敬する人〜尊敬の種類

高校受験の時、学科試験の他に面接がありました。グループ面接で4,5人の生徒と受け、わたしは一番最後でした。
尊敬する人は誰ですか、と聞かれ、わたしはその当時は紫式部の一択だったので、そう答えようと思いました。
が、わたしの前の子たちが皆「父です」「母です」「両親です」と親御さんをあげていて、動揺したわたしは「母です」と答え、とってつけたような理由を申し述べました。

時は流れて約30年後。つい先日エンパス診断という、平たくいうと自分がどんなタイプなのかわかるテストをセラピストの白木蓮さんにしてもらいました。
20問ほどの質問を読みその回答を4つの選択肢から選び、1〜4番のどれが多いかでその人のタイプを診断してもらえます。
そのうち、「あなたが最も尊敬するタイプの人は?」という問いがあり、その回答の選択肢に現在のわたしが尊敬している人をそのまま描写しているようなのがあったので迷わずそれを選びました。
「毎日を丁寧に生きている人」
細かな表現は忘れましたが、こんな感じの文言。

トッコさんは地域の集まりで知り合った女性です。わたしより10才ほど年上で、「古典音読を教える仕事をしています」と自己紹介したら、「わたし古典が大好きなのよ」と言い、「音読×発酵」にきてくれました。それから古典音読の継続コースを受講してくれたりで、トッコさんのことを少しずつ知っていきました。

彼女はもうお子さんが独立していて、ご主人と暮らし、味噌や梅干しなど季節の手仕事を大事にし、音読のレッスンやイベントで知らないことに遭遇すると美しい字で必ずメモに書き取り、知れたことに対する感謝の言葉を表します。レッスンに来た時、「ジャガイモを煮てきたのよ」、「ベランダの植物に○○を施してね」などと聞き、彼女の生活が垣間見え、丁寧な暮らしぶりがわかります。
自然派でも押し付けがましさがなく、体の反応と合わせながら柔軟に色々を選択している印象です。

笑い上戸で初めての人に品よく話しかけ、話に耳を傾け、穏やかな関係を育んで、今までもそうだったのでしょう、お友達がたくさんいて、珍しい話を聞いても割とトッコさんは体験済みだったり、突拍子ないことに誘われてもそつなく受け入れモノにしていき、全くひけらかすそぶりがない。

「尊敬」の定義。
自分と似た要素を持ち突き抜けていて、いつかそこに到達したいと思わせるような尊敬。
自分が持っていない資質を持っているがゆえに憧れて尊敬している。
など幾種類かある。

トッコさんはわたしの持っていない要素を持っている、心の美しいきらきらした存在なのでした。

そんな人にわたしはなりたい。

よかった、ありがとう。

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