見出し画像

子どもと大人が手をつなげる日

先生「はい!今日もよろしくお願いします」
子どもたち「よろしくお願いします」
A君「さようならああ」

先生「質問ある人、はいA君どうぞ」
A君「%&%$’#”」(口パク)

月曜日、息子が卒業した小学校で放課後クラスの運営をお手伝いしています。わたしがいるクラスは騒がしい2年生が多く、特にA君は一事が万事こんな感じ。A君に触発されて騒ぐ子もいれば、いじめられていじけて泣いたり逸脱する子もいます。

ひとクラスに5人くらいの大人が付いていますが、ひとりは逸脱してしまう子につきっきりになり、その他はA君とその他の騒ぎ出す子の対処に追われます。大部分はおとなしく指示を聞いて自主勉強やその日のプログラムをこなしますが、それでも些細なことでも報告に来たり、すりむけば指を見せて処置を求めたり、誰かのことを言いつけに来たりで大人はそちらにも対応します。いつも一人息子を相手にしているわたしとしては何かもが新鮮、いい経験をさせてもらっています。問題児もそれぞれが可愛くてついつい付きまとってしまいます。

昨日は自主学習をした後、昔遊びの時間でした。
自主学習の時、同じクラスを担当している大人のBさんに「A君は音読していないのよ」と言われました。音読したと自己申告してきたその子の音読カードにハンコを押してしまったので、その子のところに行き「音読してないんだってね、聞くから今やろう」と言いました。A君はやったと言います。でも「B先生は聞いてないと言ってるよ、本当にやったならB先生に言ってきなさい」と話したら「B先生って誰?」と聞くので、「あそこに立っている先生だよ」と教えました。音読していないだろうからそこまで言えば音読するだろうと思っていたわたしの予想は外れ、その子はB先生のところに行き「音読やった」と言いました。B先生は毅然と「聞いていません」と言いました。A君にもう一度音読やろうと言いましたが、「家でやる」というので任せることにしました。

次の昔遊びの時間、近隣に住むおじいさんが「こうやるんだよ」と教えに来てくれ、子どもたちは熱心にけんだまに取り組み始めました。おじいさんに教わった通り、膝を柔軟に使ってすぐにコツをつかんでできるようになる子もいれば、なかなか要領を得ない子、頑張るけど出来なくて泣いてしまう子、いろんな子がいます。やはり女の子のほうが熱心に取り組みます。男子はできないと騒ぎやめてしまう子もいました。自主勉強はさっさとして成績のよさそうな子がうまくできずにプライドが傷ついている様子、それゆえかやるのをやめて体育すわりをしていたのが印象に残りました。

子どもたちの様子を先ほどのBさんと眺めていました。
「このクラスで騒ぐ子はね、皆頭がいいのよ。だから何か注意されたら仕返しするかもしれないのよ、根に持って大きくなって復讐しに来るかもしれないから、わたしの名前を教えないでくれる?」
失礼しました、と謝りながら、色々な人がいるものだと思いました。
上品な装いのBさん、お子さんに反対されながらも参加されています。問題児にはどうしても笑顔になれないけど、問題児の陰で目立たないその他大勢の子に目を配り、見守っている。

「みんなちがってみんないい」
金子みすゞさんの詩は小学校の教科書で扱われなくなったそうですが、大人もそう。

今まで感じたことがなかったですが、大人vs子ども(問題児)の構図がボワッと浮かんだ月曜日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?