新年静かに始まる~初詣でのお祈り
義実家を招いて我が家で新年のお祝いをするようになってから数年経ちます。おもてなしは好きだけれど、要領は悪い、大みそかの夜も遅くまで料理、昨日の朝もバタバタと準備。
皆さんが来てからエビを焼き、お餅を焼いてお雑煮にし、お食事。
昨年に参加した会で絵手紙などを作るあゆさんからいただいた祝箸を真似て息子や夫に絵をつけてもらったお箸が今年の新しいこととなりました。可愛い息子や孫の描いた箸袋、皆大事そうに持ち帰ってくれました。
一部はかるた(ジョジョの名言百人一首)、義父はテレビ、わたしは洗い物で時間を過ごした後、お茶を淹れ辰のかたちのお饅頭とおせんべいを出し、14時台にお開きとなりました。
半日遅れでわたしの元旦がスタート。
まずふわっと来た眠気、テーブルに突っ伏してちょい寝、夫にしっかり休めば?と声をかけられて覚醒。そうだ今日は一粒万倍日と天しゃ日で57年に一度の縁起の良い日というではないか。寝ている場合ではない。
せっかくなので散歩に出ることにしました。息子が暇そうだから声をかけたのに行かないと言うのでひとりで行くことに。出るときにスマホがギュインギュイン鳴ってゆらゆらと地震、能登半島で大きな地震があったと知り、おととしに行った能登半島の先端に位置する珠洲市、海もあれば山もある地形を思い出し、津波の犠牲者が出ないことを信じ歩きました。
大宮には大きな氷川神社がありますが、実は家から10分ほどのところにこじんまりと本太氷川神社があります。
近所の氷川神社は公園が付いている上に小学校の敷地と隣接しているので、息子が小さなころからよく行くところ、大きい神社ではないし見慣れすぎてすごさなど感じたことなし。何かと人気の駅の向こうの調神社(狛犬が狛うさぎだったりして可愛い)は混んでいるだろう、氷川神社でいいやと思い歩いていたら割と人が歩いている、着いたらちょっとした列ができていて驚きました。
ひとり並び、横にいた同じくひとりの年配の女性と並んでお祈りしました。
先日偶然インスタで見たリール動画に、「神社は家族や自分の繁栄を祈るところではない、世の中全体のことを祈るところだ」とあったので、お賽銭はいつもの「十分ご利益がありますように」の15円をやめ、「ぼぼすけの成績が上がりますように」とか「ミクマリ音読道場がうまくいきますように」といった切実なる願いは封印してお祈りをしました。
周囲で楽しそうにおみくじを読んでいるのを見て、わたしもおみくじを引いてみました。何年ぶりだろう。15年くらい引いてない気がします。
開きながら凶や大凶だったらどうしようと引いたことを少し悔やみましたが「吉」でした。ホッとしながら吉らしいすごくよくもない内容を読みました。
帰り道、おみくじを引く前と引いた後の自分はどう違うのだろうと考えました。特に悪いのを引いたら意気盛んに毎日生きてきた自分にブレーキがかかるかも、こんなことを考える自分はおみくじに向いてないのかななんて思いました。
本太氷川神社を調べたところ、1500年前から鎮座し、ご祭神は素戔嗚尊とのこと。
へ~、そんなに古い、しかも高鼻郷(大宮の氷川神社があるところ)の本拠地とまで書いてある。近所にそんなスポットがあったなんて。
帰ったらコーヒーを淹れて家族と飲みました。息子は牛乳多め、甘味を入れないカフェオレを美味しそうに飲みました。
夜、息子が夫と約束をしていたようで音読を始めました。
つ れ づ れ な る ま ま に
まさに徒然草の冒頭文がふさわしい元旦となりました。
家族の健康やご利益を祈らなかったおかげで、自分が命をいただいて暮らしている地球や宇宙に感謝できた、よき日となりました。
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