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「許容可能な損失の原則」で行動の幅を広げ「レモネードの原則」で女性を愉しむ。谷口千鶴さんのエフェクチュエーション

福岡で正社員としてキャリアをスタート。二人の子どもを育てながら、宮崎、大阪、福岡、群馬、東京、兵庫と、夫の転勤による引っ越しを繰り返しながらも、リモートワーカーとしてのキャリアを積み重ねられた谷口千鶴さん。
MBA取得可能な関西学院大学の専門職大学院でエフェクチュエーションと出会い、大きな変化を実感されている谷口さんに、その変化について伺いました。

「許容可能な損失の原則」を知り、行動の幅が広がった

____初めてエフェクチュエーションを知った時、どう思われましたか?

「許容可能な損失の原則」に驚きました。自分の中にまったくなかった考えだったので。反対に「レモネードの原則」は、その言葉は知りませんでしたが、自分の気持ちとしては持っていたな、と思いました。

エフェクチュエーションの許容可能な損失の原則を知ったことで、できることの幅が広がって、ここ1年くらいで大きな変化が起きています。

大学院2年の時、セミナー登壇のご依頼をいただきました。とてもありがたいことでしたけど、許容可能な損失の原則を知っていなければ絶対に受けていなかったと思います。エフェクチュエーションを知る前の私であれば「私なんかが受けてはいけない」というような気持ちになってしまっていたと思うんです。

大学院2年の時に登壇したセミナーのグラレコ

あと、副業もそうですね。大学院に入って、いくつか副業のお話をいただいたので、すぐに社長に副業許可を申請しました。社長は柔軟な方なので、許可を下さったんですね。でも、私のほうがやりたいから申請しているくせに、「会社に悪いな」と思ってしまって、報酬をいただくことに、ためらいを持ってしまいました。

____許可をもらったのにためらいがあったんですか?

そうなんです。おそらく「金銭的な報酬は本業からしか受けてはいけない」「受けるべきではない」というブレインロックがあったのかと。そして、「会社に忠実な人でいたい」というセルフイメージを持ちすぎていたからだろうと思います。

エフェクチュエ―ションの許容可能な損失の原則を知ったことで、副業をすることによって「会社に忠実な人」とイメージがなくなっても、それは許容可能だなと思えるようになったんです。「むしろこれからの時代は、そんなイメージはいらないな」と。

「レモネードの原則」で女性を愉しむ

____レモネードの原則はご自身の気持ちとしてはあったということですが、どういうシチュエーションで使われていましたか?

小さいときは子どもであること、大人になってからは、女の人であること、妻であること、お母さんであることに「レモンだなぁ」と思うことがありました。だけど、そんなことは変えられないから。いつも、その「レモン」を愉しもうと考えて「レモネード」にすることを積み重ねてきたと思います。

そうしたら「女の人であること、妻であること、お母さんであることは、実はすごく愉しいし、ラッキーなことだ!」と思えるようになりました。

____私もぜひ実践したいです。どのようなレモネードの原則があったんでしょうか?

私の母親、すごく心配性なんです。進学先とか、結婚相手とか。母親の価値観に反対したいって思う気持ちもありましたけど、非行少女にはならず、いわゆる「いい子」でいました。母親は決して悪気はなくて、娘にとっていい人生になって欲しいという思いで言ってくれていたことは、わかっていましたから。

____親になったら言いたくなる気持ちもわかりますが、子ども時代は窮屈に感じますよね。その窮屈な気持ちがレモンだったんですね。

そう、そうなんです。あんまりうるさく言うから、ずっと嫌だと思っていました。でも、あれだけ窮屈に育てられたから、自分の子どもはのびのび育てようと、自分の子育ての方針となりました。

谷口さんのキャリア変遷

妻になってからでいえば、夫の転勤が私にとってはレモンでした。結婚したのが30歳の時。ちょうど仕事が楽しくなっていた時期だったんですね。私も「がんばるぞ!」と思っていたのに、結婚と同時に夫が宮崎に転勤になってしまって。当時、宮崎と福岡は飛行機で40分くらいかかったので、とても通勤はできなくて。

私は会社を辞めたくなかったんです。仕事は大変だったけどやりがいを感じていましたから。でも、夫に「ついてきてほしい」と言われ、夫の上司にも「奥さん、なんとかお願いします」と言われてしまって。正直「なんだかな」という気持ちもありましたが、やっぱり仕事よりも夫が大事ですから、退職してついていくことを決意しました。そして、夫と一緒に宮崎に引っ越したんです。

そのあと紆余曲折あって、仕事内容はそのままでフリーランスとして契約してもらうことができました。今思えば「通勤できない」というレモンを活かして「フリーランス契約」というレモネードを作っていたんですよね。


____フリーランスライターって、当時だと先進的な働き方ですよね。

そうですね。それで、一人目を妊娠したとき保育園に入れなかったんです。「正社員でもなくて、在宅で働いている人は、ダメです」と断られてしまって。
さすがに家で子どもを抱えながら働くなんてことはできない。そんなことをしたら、中途半端な仕事になってしまうので、契約を解除することに決めました。そしたら、会社から「じゃあ、正社員に戻りましょう」と言ってもらえたんですね。
これも「フリーランスだと保育園に入れない」というレモンから「在宅勤務の正社員」というレモネードを作っていたな、と思うんです。

その後、子どもが産まれても夫の2年に1回の転勤は続きました。長男も生まれて2人の子どもを抱えながら、2年に1回の転勤の日々はやっぱりレモンでしたね。

____お子さんを連れての転勤って、大変ですよね。

もう、本当に大変でした。夫は育児にとても協力的でしたし、結婚した時から転勤があることは覚悟していましたけど、やっぱり大変で。だからこそ、転勤の時にはレモネードの原則を使っていましたね。

例えば、子どもの習いごとは、転勤するときにやめないといけない。そのレモンを「娘にとって、いい習い事にチェンジするぞ」と、レモネードにしていました。

そうそう、実は大学院に入ったのも、レモネードの原則を使っているんです。

____谷口さんが大学院に入られたのも、レモネードなんですか?

兵庫に引っ越したときに、夫が「娘を中学からインターナショナルスクールに入れたい」と言い出したんです。

____インターナショナルスクールということは、私立ですよね。

そうです。娘を私立に通わせることになると、私は転勤についていけなくなるんですよね。そのとき「転勤についてきてほしいと言われたから、退職したのに」という思いが頭をよぎりました。

退職した後、運よく正社員リモートワーカーにはなれましたけど、やっぱり会社に出社して働く人と、リモートワーカーでは出来る仕事が全然違っていましたから。あのとき、いろんな思いで断ち切ったものが、全部無駄になった気がしたんです。
でも、そんなことを考えても、時間が戻るわけじゃない。だから「この機会をどう活かすか」と、考えを切り替えました。それで、ずっと行きたかったけど、行けなかった大学院に行こうと、決めたんです。
「娘が中学1年生になるとの同時に、私も1年生になります」と宣言したりして。そしてそこで、エフェクチュエーションに出会うことができました。

「手中の鳥」を副業で羽ばたかせるまで

____少し話が戻りますが、副業が堂々とできるようになったのは、どのような心境の変化があったんでしょうか。

エフェクチュエーションを知って、少しずつ自分のアイディアを行動に移せるようになりました。何度も小さなトライを繰り返したことで、自己肯定感が育って、自分のことや会社のことを冷静に考えることができるようになっていきました。それで、堂々と副業をできるようになったんだと思います。

大学院に入ってすぐに、副業申請をしたことは言いましたよね。そのとき「会社として認める規定もないけど、禁止する規定もない」「申請してもらった内容であれば、報酬をもらってやってもいいのでは?」と返事をもらったんです。社長にしてみれば精いっぱいの譲歩だったと思います。
それを私はネガティブに受け取りました。「公式に認めることはできないけど、認めないこともできない」というような。

「戸惑いがあるときは、心から笑えなかった気がする」と谷口さん (撮影:吉川慎太郎)

____そこだけを第三者が聞くと副業を認められているように思うのですが、このとき堂々とはできなかったんですか?

そうなんです。一応許可はされたけれど、周りの人は誰もやっていないし、堂々と「副業をやっています」とは、言えませんでした。

ためらいはあったのですが、そのとき会社と私の心理的契約が壊れてしまっていて、それをレモネードにしようと思って、ゆるやかに副業を始めました。

____「心理的契約」初めて聞いた言葉なのですが、どのような意味なのでしょうか?

「雇用主と働く人の間で期待し合う、暗黙の了解」のことです。そのバランスが崩れてしまっていたんですね。

私は、以前から会社にいろんなことを提案していたんです。たくさん提案するから、断られることもありました。その都度、社長が断る理由をすごく丁寧に説明してくださるんですね。けれど、どうしても納得できないというか。社長は会社全体のことを考えなくてはいけない。私とは立場が違うから、断ることがあるのは仕方ないとは思うんです。

でも、私は当然、会社にとってメリットがある話しか、していないと思っています。それでも却下されてしまうんですよね。

たとえば、会社がYouTubeをやろうと言い出したとき、私の「手中の鳥(私は誰を知っている)」にイノベーション界のど真ん中をいくユーチューバーの方がいたのです。私は彼と、クレイジーキルトを組むことを提案しました。彼は、実績もあるし、経営学もわかる方。私達は学ぶことが山のようにあると思いました。しかも、ものすごく良心的な価格で私たちに協力してくださると。なのに、なぜか断られたんです。だから「本当にYouTubeやりたいの?」と思ってしまって。

そのあとも、いろんなことを提案したんですけど、やんわりと差し戻されてしまいました。

____それだけ断られても、提案を続けていらっしゃるのが、すごいですね。

私、才能のある人が大好きで。才能のかけらを見つけると、うっとりしてしまうんです。「私の知ってる人、すごいの」って、言いたくて、言いたくて、仕方がなくなってしまう。だから、そういう人を会社に提案していたんです。それを断られ続けたから、自分の中にいろんな想いが溜まっていきました。「まるで、私の手中の鳥を潰されているようだ」そんな風に思うようになっていました。

そんな状況のとき、ふと「社員であることも私の手中の鳥だ」「自分の鳥を会社で活かす必要は、ないよね」と、気が付きました。手中の鳥は外で活かしきろうと思ったんですね。

そう思ってトライを繰り返していたら『ここからスタート アドバンス・ケア・プランニング』への参加につながり、京都大学で医療とエフェクチュエーションの融合というテーマで、何百人の前で発表もさせていただくこともできました。
ここからスタート アドバンス・ケア・プランニング』の著者の角田さんのことも昔から大好きで、会社のブログで紹介したり彼女の著作を会社のかなり偉い人に渡したりしていたんです。でも会社からはなんの反応もなくて(笑)

ユーチューバーの方も、私はとにかく誰かに紹介したかったんです。会社とクレイジーキルトを組もうと考えていましたけど、できなかった。でも、会社にこだわらなければ、どこでだって紹介できるんですよね。それでSNSで頻繁に紹介を続けていたら、そこからたくさんの人が彼の元で学ぶことにつながりました。そしてさらにそこから発展をしています。それがすごく嬉しくて。
今思えば、あのとき、会社に断ってもらえてよかったと思っています。

1年間、この他にもいろんなトライを繰り返して、たくさんのことを積み重ねてきました。その結果、冷静に許容可能な損失を分析できるようになりました。それで大学院を卒業した時、改めて副業のお願いをしました。

副業のことを堂々と会社に言った場合、失うことは「謙虚な人という信頼」「会社への忠誠心があるという評価」。これは、私は失ってもいいと思えるようになりました。

そうしたら、会社に遠慮せずに堂々と副業できるようになって、きちんと報酬もいただけるようになりました。それに、何より自分の世界が広がりました。会社の枠の中にいたら出会えるはずがなかった人に、どんどん出会えるようになったんです。

自分の殻を破るきっかけをくださったサイボウズ株式会社 社長室室長の中村龍太さん(写真向かって左)会うたび、嬉しくて思わずハグしたくなるそう。


エフェクチュエーションと出会い、行動し、大きな変化を生み出す

____お話を伺っていると、周りからの影響でできた思い込みが、エフェクチュエーションを知って、行動することによって、少しずつほぐれていった印象を受けます。

本当にその通りです。私「行動しなければ何も変わらない」ということは、頭ではよくわかっていたんです。だけど、全然動けなくって。

心から尊敬している起業家の高橋恵さんからも「行動が大事」「行動すれば心がかわる」「即、速、行動」と教えていただきました。尊敬している方から教えていただいたことですから「行動、行動!」と念じていたんです。それでもどうしても、最初の一歩が出なかったのです。恥ずかしいと思ったり、どうしても周りの目が気になってしまって。

でも、エフェクチュエ―ションを知り、その中でも許容可能な損失の原則を知って、まず動いてみたら、高橋さんの言う通り、本当に世界ががらりと変わったんですよ!「あ、これだったんだ!高橋さん!」って思いました。それで、エフェクチュエ―ションのすばらしさを説明する動画を撮影して、高橋さんに送ってしまったくらいなんです。

そこから、副業だけに限らず、やりたいことができるようになったんです。

思えば、成長の過程で母親や周囲から「こうでなければならない」というのを、こう、ベタベタ貼り付けられていたのかなと。そこから少しでも外れると「私は良い子ではない」と、価値がなくなるような気がしていたんですね。それで、母親や会社、周囲に対して無意識に「いい子でいなければならない」が発動して、動きが取れなくなっていたのだと思います。そんな私に、高橋さんがしみじみ言ってくださったんですよ。「もったいないわねー、あなたにはあなたの良さがあるのに」って。

高橋さんのご自宅にて。東京にいくと少しの時間を見つけては高橋さんを訪ねる。「おせっかい」を普及されている高橋さんは、人生そのものがエフェクチュアル。とても勉強になるそう。

行動ができるようになると、不思議なことに周りに感謝の気持ちがわいてくるんですよ。一時期は会社とは心理的契約が壊れていましたが、エフェクチュエーションに出会ったことで「会社も私のやりたいことをできるだけ叶えてくれようとしているんだ」と思えるようになりました。今は、すごく感謝しています。

そもそも毎月お給料くださる会社って、それだけですごいですよね。それに、会社の理念と合わないことでも「社会の役にたつ」と思うことは、自分でやればいい。

「医療×エフェクチュエーション」はまさにその結果の産物で、思いがけないことが次々に起きていて。当初は、想像もつかなかった素晴らしい方達を、大勢を巻き込んで動き続けています。

スナックレモネード1周年。吉田満梨先生、佐藤善信先生、森一彦先生も駆けつけてくださった。(撮影:吉川慎太郎)


「私なんか」と思っているお母さんたちへ

____エフェクチュエーションを、どんな人に活用してもらいたいと思いますか?

「私なんか」と思っているお母さんたちに、ぜひ知ってもらいたいです。

私自身がずっと「私なんか」と思っていて、それがすごくしんどかったんです。それで、いわゆる「自分探し」、自己啓発を山ほどやりました。7つの習慣を読んでみたり、モーニングページをひたすら書いてみたり。でも、全然救われなくて。知識は頭に入っているのに、何一つ救われない。

そんな私がエフェクチュエーションに出会って、救われました。今、すごい幸せなのは、行動ができているからだと思うんです。勉強するだけだったら何も変わらない。世界の見え方はクリアにはなるけれど、自分の世界は何一つ変わらないんです。

エフェクチュエーションを使えば、許容可能な損失の原則を使って、とりあえず一歩を踏み出すことができます。一歩踏み出せば世界が変わります。世界が変わることを実感できたら、また次の一歩が踏み出せるようになる。そうやって変わっていくことで、自己肯定感が上がっていく。

ずっと自分探しをして、探し回ってMBAまで取得しました。そこでエフェクチュエーションを知って、自分探しが止まったんです。たくさん自分を探し回ったけど、それはすでに自分の中にあったことに気付くことができました。

だから、ぜひ「私なんか」と思っている世のお母さん達に知ってもらいたい。一歩踏み出して、自分の世界を変えて欲しいと思っています。


校正:市川律子
デザイン:谷口貴子

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