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故郷があるということ

こんにちは、素頭と共に生きる斉藤淳子です
私の特長は、全身の毛がないこと
みんな違って、みんなそれぞれ


先日、実家に立ち寄ったら
地域の夏祭りのチラシを見ました。
小規模な地域の為、子どもにはとても手厚く
お菓子屋に、アイスにと、
地域の役員さんから頂いた記憶があります。
 
 
 

新型コロナウイルス感染症がおさまり
今年は開催する運びとなりました。
子どもの人数はグッと減り、子供会は解散
その代わり、高齢者が増え
地域の役員は、どんどん高齢化
代わって欲しくても、
次の引き受けてくれる人がいないので
そのまま、継続となる人が多いようです。
 
 
 

実家の畳に寝転び、両腕を伸ばし、
A4サイズの夏祭りのチラシをヒラヒラさせると
まだある、心地いい場所から離れがたい気持ちになります。
 
 

ありがたいことに両親が健在の為、
私の実家は現在もあり、時折帰る場所がまだあります。
木造で、天井にはシミがあり、室内の壁は綿壁
手で触るとポロポロ落ち、キラキラ光るナイロンのようなものが落ちるのです。
廊下を歩けば、ギシギシと音を立て
今さら直してもしょうがないと言いながら、
両親は暮らしています。
 
 
 

あと、一か月もすれば、
世間は帰省の時期になります。
帰省する理由はそれぞれだと思いますが、
やはりどこか、故郷に懐かしさを求めているのではないか?と、思うのです。
今まだ、心が戻る場所があるということは
幸せと言ってもいいでしょう。
 
 
 

故郷というものは、
心が帰る場所といったらいいのでしょうか
それが、場所なのか、空間なのかはわかりませんが
心が帰る場所だとするならば、
心が帰ることを許してくれるのではないでしょうか
そして、心を癒し、心の傷を修復し、
自分があるべき場所で、元気に過ごせるよう
空気も、水も、食べ物も血となり肉となり
身体全体が生まれ変わる
そんな場所なのかもしれません。
 
 
 

そう考えると、故郷があること、実家があることは
何よりも、幸せなことです。
 
 
 

数年もすれば、私の両親はこの世からいなくなり
家だけが残ります。
その後の対応は、両親も気持ちを汲んで
どうするのかは、大まかに決めてあります。
 
 

いつかは処分をし、無くなることになりますが、
その時の私の気持ちはどうなんでしょう
と、今から想像をしてもしきれないので
やめておきます。
 
 
 
私の心がさまよわないように
今から、心が帰る次の場所を探しておきたいと思います。
 
 
 
 
それでは、また

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