わたしらしく、Aileらしく

主催の発表会開催まで、ついに一か月を切った。
8月に開催だった会は、コロナの影響で会場が閉鎖となり11月の平日に延期開催することになった。舞台ができるだけでも、有難い。何とかみんなの練習の成果を舞台に乗せたい、今はただもうその想いだけしかない。

延期になったことで色々と変更を余儀なくされてしまったことがある。
会場、出演者、演出…等々。どれも仕方ないことだし、誰のせいでもない。
キャストの変更を何度も経て、ようやく形になったのは本番2か月前だった。ギリギリの状態だった。
出演できなくなった生徒も何人も出てしまった。心から残念に思うし、一緒に舞台を作りたい気持ちは今でも変わらない。けれどそのことを無念に思ってみても仕方ないので、今はとにかく前に進むしかない。

私は今回の舞台で主催の発表会で踊ることをおしまいにしようと決意していた。カッコよく言うと引退。だから自分の好きな作品、踊りたかった作品を最後に締めくくりとして踊ろうと思っていた。けれど相次ぐ辞退とキャスト変更によって、代役として入ったパートに出演することになり、自分のソロは断念した。

当初、この決断が良かったのか?どうなのか?と考えた。生徒の一人は「先生にそのパートを踊ってほしくない。私が主役を降りてもいいから替わりたい。」とまで言ってくれた。涙が出そうなほど、嬉しかった。みんな私がこのスタジオの中心となって、作品の中心となって踊ることを望んでくれている。それは心から嬉しいことだった。
その提案は確かに『スタジオ主宰として舞台に立つ』という意味においては正解なのかもしれない。けれど発表会はあくまでも生徒が主役だ。身震いするほど嬉しかった提案、その気持ちだけを有難く頂いて、私は予定通り一パートキャストとして踊ることを選んだ。

リハーサルが進んでいく。
一キャストとして舞台に立つと、当然前から客観的に見ることが難しい。映像に撮ったり、人にお願いしたりしながら、リハーサルを進める。生徒達にも意見を聞いたり、まさに”みんなで一緒に作っている”という感覚だ。
同じシーンを踊る人たちとも、何度も合わせたり確認したりする。同じキャストとして、ともに踊る。

「先生とこんな風に舞台に立てると思っていなかったから、嬉しいです。」

ある日、とある生徒の方がそんなふうに言ってくれた。先生は前から見て指示を出す人、とイメージだったからとのこと。確かに普通はこういう形でキャストに紛れることはあまりしない。
でも、その嬉しさは私も同じように感じていた。
一緒に舞台に立つ、それもリアルに同じ場面の同じパートを踊ること。今まで一度もやったことはなかった。でも、今、不思議なほどに違和感がない。

今回、自分の踊りに幕を引く。だから自分のために踊ろうと思っていた。
カタチを決めようとしていた。
けれど、カタチに決められてみんなと踊ることになった。
とても私らしい、そしてAileらしい、このカタチ。
そしてとても嬉しい。みんなと一緒に踊れることが。何よりも。

本番を終えたら、どんな気持ちになっているのだろう…と思う。
でも、このカタチで踊ることを選んで良かったと、心から思うだろう。

またいつか、舞台に立つ日が来たら。
この日のことを私はきっと思い出すだろう。

わたしらしく、Aileらしく、舞台に立った日のことを。

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