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純子へ。

私の名前は純子。父が付けたと聞いた。

父は私が6歳の時に不幸な形で亡くなった。

18歳の私は、幼い頃住んでいた家を片付けていた。その時、父の日記を見付けた。一冊の古いノートなのに重く愛しく感じた。父は確かに生きていたのだ。

私は父を感じながら、父の生きていた証を読んだ。そこには、「純子へ」という私への手紙があった。

  

純子へ

純子、お父さんは今日、お前の無事祈願をするために五葉山に来た。

五葉山の頂上にはね、白蛇神社があって、そこからは遠野の方や大船渡や気仙沼の方まで見渡せるんだ。

この山頂小屋まで来るのにも一苦労したんだ。

ところでお前の名前を純子とつけたのは、お父さんが純粋という言葉が好きだからだ。

お父さんは登山が好きで、はじめてからもう10年もたっているが、だんだん山への純粋な気持ちが薄れてきたようだ。

これは登山だけに言えることではないと思うけど、自分の愛するものに純粋な気持ちを抱き続けることはとても大切なことだと思うんだ。そんなことを考えてお前に純子とつけたんだよ。

これからお父さんは今まで以上に主体性をもって山に登るよ、そうでないとお前に純子とつけた意味がなくなるからね。

お前が大きくなって歩けるようになったら、天気のいい日を選んでお父さんといっしょにこの山に来ようね。

その時にはお母さんに大きなおむすびを作ってもらってこの山のてっぺんでいっしょに食べようね。

おそらく、おてんとうさまも空からうらやましそうに眺めていることだろうね。

お父さんはその日が来るのを楽しみに待っているよ。

          昭和54年2月4日
       五葉山頂上しゃくなげ荘にて

父は、確かに生きていて、私を愛してくれていたのだ。

時々、私は空を見上げる。「お父さん、私を愛してくれてありがとう。そして、純子という名前をつけてくれてありがとう」父が返事をしたかのように風が吹く。「純子、幸せになれよ」

私が父を想う気持ちは、永遠に純粋である。

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