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14年ぶりの1人旅

おそらく。

おそらく大学4年生の時にヨーロッパに旅に出て以来。
その後の記憶が定かでないのでおそらくとしか言えないが、そうだとしたら14年ぶりだ。


1人で1時間ほど車を走らせる。宿に着く。目の前にはすぐ海だ。

階段があって砂浜に降りる。岩場があってそこに腰掛け、ざーざーざーと言う波の音を聞き、いその香りに気づく、
遠くにはたくさんの島々と瀬戸大橋だ。まぶしいので、そこまで遠くを見るわけではなく近くの水際に目を落とす。

少し吹いている風が涼しい。寒くはないか少し体が冷える。水が不規則に波打ち、岩場にあたって大きな音を立てそしてまた戻る。大きな音といっても瀬戸内海は波が穏やかで静かなものだ。
遠くに釣りをしている人たちが見える。


1人旅だ。いつぶりだろう。思い出せない。子供が生まれてから?いや、何か違う。そうだ、多分大学4年生の時にヨーロッパ一人旅に行って以来だ。多分。


あの時、航空券と、初日のやつだけ取り下調べもなく、フランスのパリに飛んだ。

予定も何もかも全て自由で、制限といえばお金だけ。学生でバイトで貯めたお金なので、ホステルやゲストハウス、ときにはドームのようになっている百人以上も入りそうなテントにも泊まった。

その日にどこへ行くか、何をするかも全て自由だった。

たまに人と一緒に移動したり、話してご飯を食べたり、街並みを眺めたり。

とにかく自由だった。

そうだ。

私は自分で選ぶ感覚が大好きなのだ。

そして自由に動くには、時間が、余白が必要なのだ。


パソコンを持ってきた。手帳を持ってきた。
最低限のものだけ、リュックに詰め込んだ。

積ん読だった本を7冊持ってきた。


ただ泊まるところが決まっているだけ。ここに観光に行きたいとか、何もない。ただ気が向くままにゆっくり時間を過ごす。

そんな夢のような時間だ。

とは言え、実は現地に着くまで、現地に着くまでといっても、1時間程度の話だが、「本当にこんなことをしていいんだろうか」と言う思いが上がって来ては小さくなり、思い出しては、その思いをさせつつ、そんなふうにしながら今日まできた。

実際、宿を決めたのも昨日だ。

正直に言えば、子育てと言うものは、考えることがあまりにも多く、本当にそこに行ってしまうまでは、頭の中に自分について考える余白がないのだ。

と、現地について気づく。

そうだ、ヨーロッパに一人旅に行った時も。1人旅前が大学のテストシーズンで、旅行の計画なんてそれどころではなく。あまりにも勉強する範囲が私にとっては広大で理解できず、それに集中して注ぐ時間がないと太刀打ちができないのだ。

だから、あの時試験から解放されて、現地に飛び立ち自分のことだけを考えられた1ヶ月はとびきりだっだ。自由って、なんと素晴らしいのだろうと。

子育てしていると、圧倒的に自分のことなんて後回しになってしまう。
あの時と同じ感覚なのかもしれない。


1人で自由に過ごす時間、というワードで思い出すのは長女のことだ。長女の習い事や予定に合わせて動くことはよくある。一方、長女に何かを手伝ってもらったり、弟や妹により何かのめり込んでいるときに中断されることも多い。

子育てを始めてからというもの、何一つ思い通りに進まないことがよくある。

それを彼女は、時々体感している。

それを解消するには、1人でゆっくり過ごせるか、または親と1対1で自由に過ごせる時間作ることが大事だろう。

気がついたら、家族の方に思考が移っている。

海のそばで腰掛けて、海を見ながら波の音を聞きながら1人で思考を巡らせる。それができただけで私は本当に本当に幸せだ。

何か高級なアクセサリーを買いたいとか、めちゃくちゃ高級なフルコースを食べたいとかというよりは。
基本的に必要としているものは、こういう時間なんだ。


今年、友人達と一緒にやりたいことリスト100を作った。

5人でそれぞれ公開して、それぞれの頭の中を楽しんだ。

否定するでもなく、自分と違う視点を楽しんで、なんとなく少しずつ影響しあったりして。
そういう関係性は、とても貴重だ。

自然の中に佇む。ただそこにいるだけで、涙が出るほど幸せだと思えることがあるのだ。

そしてそれは、やってみないとわからないことでもある。

私はその、やりたいことリスト100の中に、「一人旅をする」と書いていた。

でも、それは、絶対やると心に誓ったことだということではない。

頭のどこか気づかないところにしまいこんでいたとしても、ふとした時にそれが出てくることがあるのだ。

こうやって、アウトプットするできるということで、ふと扉が開くことがある。


あぁ、穏やかだ。

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