大学まではプロ野球選手を目指していたが、国指定の難病になって自分の身体が動かなくなった時、プロ野球選手になる夢を完全に諦めてしまいました。 大学3年までは野球を何とか続けたものの、4年生に上がるタイミングで、野球からは離れて就職活動を始めた。 ただ、就職活動も周りの人ほどは真面目にやっていない。 エントリーシートも1社しか出していない。 この会社にエントリーシートを出したのも、その会社に入っておけば大丈夫だろうくらいな感覚だった。 何なら、本当はその会社の子会社に入社
病気が発覚し、3ヶ月の入院生活中は、栄養剤しか口にすることができず 固形物は全く食べれませんでした。 身長179センチ、体重52キロでの入院から始まり、固形物を口にしていなくても点滴と栄養剤だけで55キロまではなんとか体重は戻った。 2021年3月に退院して、4月には大学のあった岩手県に戻った。 そこから、4月の中頃には野球も復帰したが、病気で苦しんでいた年末も含め、6ヶ月のブランクはかなり大きかった。 着いていくのがやっとでしたが、病気になる前の自分を超えたかったの
野球が難しいかもと思った僕は、生きている意味も失ってしまうくらい落ち込みました。本当に病室のベットの上で抜け殻のような生活をしていました。 大学を辞めることも考えましたが、そんな時両親から言われたのが、なんとかして野球を続けれる環境は作るから、大学卒業と野球もできる限り続けて欲しいと言われた。 そこから、2週間くらいは、首に点滴を繋がれていたためベットの上だけの生活だったが、点滴が取れた後からはトレーニングを始めた。 どのくらいしたかは覚えていないが、毎日1階から最上階
2015年、9月から12月にかけて25kgの体重減少をした僕は、当時の野球部のヘッドコーチの勧めもあり、熊本県の総合病院を受診した。 内視鏡検査、胃カメラ、CTなど一通りの検査をした後は、診察室に呼ばれ 「かなり状態が悪いので、そのまま入院してください。」と医者に言われ、そのままストレッチャーで運ばれ、病棟の処置室に運ばれた。 首の血管に点滴用の針を刺され、意識が朦朧としたまま病室のベットに運ばれた。 医者、両親と何を話したのかは、ほとんど覚えてないが、母が廊下で泣き崩
こんばんわ! 熊本のマーケッターJUNKIです! 本日は、病気になって夢を諦めてしまった僕が、当時の様子と今考えていることをお話しさせていただきます! 僕は、プロ野球選手になることだけを目指して小学3年生から野球を続けてきました。 小学生時代は、毎日お母さんが投げる新聞紙のボールで2時間のバッティング練習、その後5キロのランニング 中学生時代は、お母さんが投げるスポンジボールで2時間のバッティング練習、お母さんは野球肩になるまで練習に付き合ってくれました😭 それが終わ
こんばんわ! ✨魅せ方を変えれば集客力UP!✨ 熊本のマーケッターJUNKIです! 今日は初めての投稿なので、簡単に経歴をお話しさせていただきます! 熊本県在住の今年28歳になる歳です! 小学3年生から野球を始め、大学4年生までプロ野球選手を目指して野球一筋の生活を送ってきました! 本当に野球だけの学生生活で、授業中は部活のための睡眠時間。 もちろん成績も悪かったです。 そんな野球一筋の生活を送っていましたが、大学1年の時に 食事が取れなくなったり、原因不明の嘔吐、