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昔持ってたガジェットの思い出(1990年代〜2003年頃)

こんにちは。北山です。
今回は、私が昔持っていたガジェットの話をしようと思います。
私は1985年生まれで1990年〜2003年頃と言えば中学〜高校生頃、
当時はまだスマートフォンなどもなく「ガジェット」という単語もそれほど認知がなかったように思います。

ただ、あの頃に今でいう「ガジェット」に触れていたことは
間違いなく現在の私のガジェットへの興味に大きな影響を与えているので、まずは今回は思い出話に花を咲かせようと思います。

〜1995年頃:ポケベル、リコー Mr.マイツール

私の父は小さな法人を経営しており、
日常的に自動車を使って事業を営んでいました。
それはもう日に100〜200kmほど自動車に乗って移動するような生活だったようですから、当時まだ肩掛け型で巨大だった携帯電話(のようなもの)やポケベルを持ち歩いている生活をしていました。

私自身はポケベルを持ってはいませんでしたが、ポケベルの入力の2タッチ入力(11→あ、23→く)の変換表を片手に自宅の黒電話から父のポケベルにメッセージを送ったことを覚えています。
「1243211493」→「いつかえる」
などと父のポケベルにメッセージを送ると、父から自宅に電話がかかってくる、というような感じですね。
懐かしく感じる人もいるのではないでしょうか。(おそらく私よりもやや年齢が上の方だと思いますが)

今思うと、私がプログラミング(のようなもの)の初歩の初歩に触れたのはこのポケベル2タッチ入力だったのかもしれません。

また、父の会社ではリコーのMr.マイツールという事務用コンピュータを使っていました。

日本語版Windows3.1の発売が1991年頃ですから、当時はWindowsではないまだ様々な事務用コンピュータが存在していたようです。
そんな中、父の会社ではリコーが販売していた「Mr.マイツール」という事務用コンピュータを事務業務に導入していました。
Mr.マイツールは漢字ドットプリンターがついていたため父としては重宝したようです。

ドットプリンターというのは、ピンをインクリボンに押し当てることで印刷を行うプリンターです。ピンを押し当てるという方式のため、現在普及しているインクジェットプリンターは不可能なカーボン紙による領収書の複写などにも対応できるものです。

そんな父が使っていたMr.マイツールですが、たまに父の会社へ遊びに行った時などに触らせてもらう機会がありました。
Mt.マイツールは限りなくCUIに近いGUIインターフェースで操作するコンピュータで、マウスはついているもののほぼ補助的な使用しかできず、
アプリケーションを起動するにも「コマンド?>」などと表示された部分にアプリケーション名を入力してEnterすることでアプリケーションを立ち上げるようなコンピュータでした。
今考えると難解なコンピュータですが、父はマニュアル片手に領収書や請求書、封筒の宛名などの作成を行い、ドットプリンターで印刷するというような操作をやっていたことを覚えています。

これも今思うと、私が2004年ころにLinuxを使い始めた時に特に心理的障壁なくCUIコンソールを操作することができたのは、こういう体験があったからなのかもしれませんね。

〜2000年頃:Fujitsu FMV-DESKPOWER, PlamVx

そんな幼少期を過ごした私ですから、自分もコンピュータが欲しい、といった欲求が強かったことを覚えています。
そんな中、祖父(こちらも小さな土木建築業を営んでいました)の会社にWindows98(98SEだったかも?)搭載機の Fujitsu FMV-DESKPOWER が導入されました。主に祖父の会社では給与明細の作成や年賀状の宛名印刷に使われていました(宛名リストの入力と印刷は主に私が手伝っていました)

待望のパーソナルコンピュータ購入にとても大はしゃぎした事を、
よく覚えています。
また、ダイヤルアップ接続(後に私の使いすぎによりISDNが導入される)でのインターネットに触れたのもこの頃で、インターネットに触れる事で私の世界は大きく広がりました。
ジオシティーズ+ホームページビルダーでWebサイトを公開していたような気もします。あまり思い出したくはないですが……。

しかし、ある程度自由に使えるとはいえ「自分専用のコンピュータ」への憧れが消えたわけではありませんでした。しかし、当時のパーソナルコンピュータはそれこそ何十万円もするような高価な商品であり、多少お願いしたところで当時中学生くらいの私の手の届くものではありません。
電子手帳や電子辞書など似たようなものありましたが、既にWindowsに触れている私からすると購入時点で用意されている機能以上のことができないような端末には興味が持てませんでした。

そんな中、インターネットで見つけたのが「PDA」でした。
PDAとは、Personal Digital Assistant で、現在のスマートフォンの前身に当たるような端末で、Windowsなどのように後からアプリケーションを追加できる仕組みをもった手のひらサイズの電子手帳のようなものです。

当時の日本におけるPDAはシャープが販売していた「ザウルス」ですが、当時ザウルスはカラー液晶型の製品を売り出したところで割と高価でハイスペックなものという位置付けでした。

そんな中私が目をつけたのはPalm社が発売していたPalmシリーズです。
Palmシリーズはカスタマイズ性が高く、インターネット上で公開されているアプリケーションを簡単に導入できる、グラフィティと呼ばれるアルファベット一筆書きのような特殊な入力を使用することで当時としては認識率のとても高い手書き認識を持った端末で、当時の私の心をガッツリと掴みました。

そこで当時の私が購入したのがPalmVxでした。白黒液晶であるために比較的安価ながら高いパフォーマンスを誇る名機としてインターネット上でも評判が高く、大阪日本橋で中古販売されていたのが決め手となりました。

PalmVxはインターネット上での評判どうりとても面白い端末で、
私はインターネットから入手した日本語化パッチ、小遣い帳アプリやゲームなど様々なアプリケーションをPalmVxに導入することでますますインターネットやPDAにのめり込んで行きました。これが、私のガジェット好き人生の始まりだったのかもしれません。

この頃、「スタパ斎藤」さんの記事を読んでいた事を覚えているのですが、スタパ斎藤さんは今でもガジェットライターとしてご活躍されており、いつか会って話してみたいなあなどと淡い思いを抱いています笑

〜2004年頃:SONY CLIE PEG-NX73V, iPAQ Pocket PC H3850

その後高校生になった私は祖父の会社の手伝いなどである程度自由に使えるお金が手に入り出したこともあり、お金を貯めては大阪日本橋の中古ショップでPDAを買うような生活をしていました。

PalmVxの次に手に入れたのは確か SONY CLIE PEG-NX73V で、SONY CLIEシリーズは待望の日本向けPalmシリーズのPDAでした。
PalmVxとは違い公式でサポートされた日本語、カラー液晶、カメラ、イヤホンコントロールなど現在のスマートフォンと機能的にはほぼ変わらないような機能を提供しており、音楽アプリやより高度な表現を用いたゲームなどとても魅力的な端末でした。当時まだMDで音楽を効くのが一般的な時代でしたが、私はCDをリッピングして32kbpsなどでエンコードした音楽ファイルをCLIEに入れて聞いていた気がします。

ちなみにこのCLIEは高校生活中、上着の内ポケットに入れたまま殴り合いの喧嘩をする事で壊れるという壮絶な最後を遂げました。ガジェットオタクながら高校生なりに血の気が盛んだったんですね笑。

CLIEが壊れたので、次に入手したのが iPAQ Pocket PC H3850 です。
これは Windows CE3.0ベースの Pocket PC 2002 搭載の端末で、WindowsXP風のUIで操作できるものでした。
当時、祖父の会社ではまだWindows98(か98SE)が現役で稼働中で、Windows XP への憧れから入手したような気がします。

Palmに比べると当時のWindows CEはとてもモッサリした挙動で不満が多かったのですが、Palmとは違うOSという事でそれまで試せなかったアプリケーションを色々入れて遊ぶのはとても面白かったです。SNESのR@M(わかる人だけわかってください笑)から吸い出したBGMファイルを使って音楽プレイヤーのように使っていた事を覚えています。

まとめ

特にとりとめもなく私が昔触っていたガジェットの思い出についてお話しましたが、懐かしい端末の話があった人もいたでしょうか。

もし、昔話に花を咲かせたいという人が居ましたら、気軽にTwitterなんかで話しかけてもらえればと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

最後になりましたが、カバー画像はマッスルプラスさんのフリー素材「たくさんの焼き芋に歓喜するマッチョ」をお借りしました。いつもありがとうございます。


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