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父親の趣味

昨年、92歳の父が亡くなりました。
一生のうちの殆どを海で過ごしてきた父。
海運業を営んでいた祖父が怪我をし、15歳ぐらいから船に乗り手伝っていた。
28歳のとき、祖父が完全に船に乗れなくなる怪我をしてからは父本人が経営者と船長という大役をこなさなければならなくなったということだった。
そして父の唯一の趣味が釣りだった。
僕が物心ついた頃からずっと天気予報ばかり気にしていたが、自分には全く分からなかった。

最近になって自分も釣りをするようになり、海の事情が少し分かるようになってきた。
陸地ではそんなに風が吹いてなくても、海はそういう訳にはいかない。
かなり風が強かったり、波が高かったりする事が多い。

仕事で海の事情を常に把握しておかなければならない中、趣味が釣りだったが、今思えば本当に海が大好きだったのだなと思う。

父の仕事は1〜2日航海して半日から1日休みという流れだったが、家にいるときは殆ど自作で釣り道具を作っていた。
(日曜大工で家の修繕とかもやっていたが)
自分も一緒に釣り道具作りをやらせてもらったのを今でも覚えている。
よく船で釣りに連れて行ってもらったが、ほんとに楽しかった。
何百という魚が釣れる時代だったから。
釣り仲間の人たちは竿釣りだったけど、父はあくまで手釣りに拘っていた。
魚が食いついた瞬間の引く感じは竿では感じられない感覚で、今でも鮮明に記憶にある。

自分が中学、高校、社会人と歳を重ねていくうちに釣りから離れてしまったが、40歳半ばを過ぎて父が大好きだった釣りをするようになった。

父は自分のコンセプトをしっかりと持っていたように思う。
周りの人たちは高い竿を買った、高いリールを買ったと父に見せに来ていたが、全く興味を持つわけでもなく、せっせと自分のオリジナルのエギなどを作っていた。
勿論竿やリールも持っていたが、諭吉さん超えなんてほぼ持ってなかったしね。

ホントに道具にこだわらないというか、釣るために魚にどんなアピールをすればよいのかとかどんな素材でどのぐらいの大きさや形にすれば良いのか、狙う魚の性質など、釣りの本質ともいえるべきところに全神経を集中させていたように思う。

その結果、父と僕が釣りに行った時はいつも近所のおばちゃん達が一輪車や台車に発泡スチロールの箱をのせて波止場に5〜6人待ってた。
釣ってきた魚を分けてあげていたのだ。
こちらから声をかけているわけではなく、波止場にうちの船が無いとおばちゃんたちが寄ってくるってわけ。
他のおっちゃんたちの船がなくても誰も待ってない。
父が釣りに行ったときだけ待ってるという状態になる。

確かに父と釣りに行くと、坊主で帰ってくることなど一度もなかったな。
「今日は釣れないな」という日でも30匹は釣っていた。
常に100匹以上が当たり前だった。
今では考えられない事だが。

振り返ってみると、みんなが釣れていたわけじゃない。
釣れない人も沢山いた。
父だけがコンスタントに釣っていた。
本当に海を愛し、心の底から釣りが大好きだったからこその結果だったのかもしれない。

今はもういない父だけど、本当にもっともっと一緒に釣りを楽しめばよかった。
僕にとっての父は本当に尊敬できる偉大な人です。
生前、父は自分ともっともっと話したい。
顔を見せに来いとよく言われていたけど、仕事が忙しく、あまり顔を出すことをしなかった。

仕事が落ち着いたら顔だそうって、その繰り返しをしているうちに亡くなってしまった。
今更何を思っても父は戻らない。

ならば、父が大好きだった釣りを思う存分楽しんで、あっちの世界で釣果を報告しようと思う。
父のコンセプトを引き継いで、道具にこだわらず、考えて作っていこうと思う。

「親父、天国に最高の釣果報告持っていくからな。待ってて。」

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