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SUMMER SONIC 2022

2022年8月20日(土)・21日(日)

ZOZOマリンスタジアム&幕張メッセで、SUMMER SONIC 2022。

3年ぶりの開催となったサマーソニックは、去年のスーパーソニックとはまったく異なる様相を呈していた。サマソニとしての開催がなかった2回の夏はなんだったのかと思うほど、いつものサマソニの熱気がそこにあった。

一昨年の夏は開催が見送られた。まだ海外アーティストの来日がほかではなかった昨年の夏は、いち早く海外アーティスト(主にDJ)を呼んで「スーパーソニック」が行なわれた。そのときのnoteの感想を読み返すと、たかだか1年前のこととは思えない。1年でここまで元に戻ったのか。1年でこんなにムードが変わったのか。と、なんだか奇妙な気持ちにもなる。

観客数、ムード、それから感染対策のありようが、1年前のスーパーソニックとは全然違っていた。注意事項のアナウンスはマリンスタジアムのステージ上から何度かはあったが、それほど厳重ではなかった。マスク着用がMCや係員によって促される場面もあったにはあったが、どのステージでもそうというわけではなく、基本的には自分の判断(または責任)で、自分なりに対策をして楽しむ。そういうあり方だった。

今年のフジロックの感想を、noteにこう書いた。

感染しないようにできるだけ注意して自分を守る必要があるのは当たり前のことだが、完全なる対策なんてない。かかるかもしれないという可能性を考え、そのつもりで参加する。そのつもりで楽しむ。
言ってみれば、つまり今年のフジロックはもうそういうフェーズだったということだ。フジロックに限らず、2022年夏のフェスはそういうフェーズを迎えている。

今年のサマソニもまさしくそういうことだった。

これまでのあり方が戻った、そんな今年のサマソニには、(自分を含む)フェスの常連ばかりじゃなく、若い人、初めて来たと思しき人がたくさんいた。フジと比べると明らかに世代交代がなされているように感じられた。サマソニはフジと違って、出演アーティストによって客層が大きく変わる。毎年客層が変わる。フジはそこまで大きくは変わらない。で、変わらないことに批判的な人もいるが、自分はそれを悪いことだとは思っていない。それぞれにそれぞれのよさがある。こっちはいいけど、あっちはダメだ、という考え方には、自分はならない。という前提に立って書くが、初めて海外アーティストの出演するフェスに来て、初めて海外アーティストのライブ力に触れ、そうして今まで体験したことのないような感覚を味わっているのであろう若い人たちの反応を間近に見ながら、いいな、これがフェスのあるべき姿だな、フェスの素敵さだよなと自分は思っていた(その象徴がマネスキンだったと言い切りたい)。

自分にとっても今年のサマソニは、予想を遥かに超える素晴らしいライブを複数観ることができて、ものすごく充実した2日間となった。いいライブが多いほど、フェス自体の充実度が増す。当たり前のことだが、その当たり前のことを改めて実感した。サマソニ完全復活。いや、それ以上の祝祭感があの2日間には間違いなくあった。

自分の観たアクトの感想を、翌日、FBに殴り書きしたので、(一部加筆を加えながら)ここに載せておこう。

8月20日(土)

この日観たのは以下の通り。

THE LINDA LINDAS→BEABADOOBEE→SQUID→Maneskin→ザ・クロマニヨンズ(3曲程度)→KACEY MUSGRAVES→St.Vincent。

2日間通しのリストバンド引き換えのためにメッセ側からマリンスタジアムまで歩き、リンダ・リンダズを観るため慌ててメッセへ引き返し、今度はビーバドウービーを観るためまた急いでマリンへ動き、そしてスクイッドを観るためにまた駆け足でメッセに戻って…。このように午前から午後早め頃までにメッセ~マリン間を数往復したら(バスに並ぶ時間も惜しかったので歩いて往復)、前日のソニマニから数時間後だったこともあって早くも疲れてしまい、スクイッドのあとリナ・サワヤマのマリンへとまた引き返すのをやめてしまったことをちょっと後悔。この日はこのようにカラダがふたつないと無理な場面がいくつかあり(タヒチ80とThe 1975とSt.Vincentがかぶった時間帯とか)、「そうそう観れない海外アーティストが重ならないようにもうちょい考えてくださいよ~」と主催に言いたくもなった。

それはともかく。リンダ・リンダズは早くナマで観たいと楽しみにしていたバンドだったが、実際ナマで観ると、ポップさも可愛さもかっこよさも演奏力も何もかもが最高の上を行く最高さで、もう自分のなかの好きが溢れ出して、最後にブルハの「リンダ リンダ」を聴いていたときには涙まで溢れ出てきた。横見たら一緒に観ていた妻も同じ場面で泣いていて、ふたりして泣きながら笑ってしまった(歳とるとどうにも涙もろくていけねえ)。なんだろか、あれは。『ストレンジャー・シングス』(のシーズン2。3や4じゃなくてあくまでも2)を観て10代前半のあの時期特有の輝きにやられて泣いてしまう、その感じにもしかするとちょっと似ているかもしれない。あの輝き……あんなに楽しそうに自分たちの「好き」を大事にして、友情を大切にして、生き生きしていたいから差別やらなんやらのいろんな抑圧と戦って、カラダ丸ごと音楽表現をしている彼女たちを見ていたら、このスピリットをみんなが共有できれば戦争なんか起こらないのに、とか思っちゃってね。サマソニ1日目の初っ端でもう、こんなにも胸が熱くなるなんて!

続いてマリンで、大好きなビーバドゥービー。配信で見たコーチェラのライブがとてもよくて、特にバンドとしての一体感が出てきたところがよくて、新作が出るタイミングでZoom取材もして、彼女もバンドとしてすごくいい状態にあるからサマソニでやるのが楽しみだと言っていて、だから自分も大いに楽しみにしていたのだった。実際、彼女自身の魅力&表現力に加えて、バンドとしてのありようもよく、とりわけ2ndアルバムのゴリっとしたバンドサウンド曲に昂りもしたのだが、一方でアコースティックの出世曲「Coffee」を歌ってくれたのが嬉しかったし、それがやけに沁みた。マリンの出演と知ったときには正直まだ早いんじゃないか、メッセのどこかのステージのほうが絶対映えるだろうと思ったのだが、萎縮することなく楽しそうな笑顔で伸び伸びと歌っている彼女を観ていたら、今回マリンで観れたのはよかったことだと思えた(それほど暑くもなかったし)。まあまた改めて、今度は屋内でロングセットをじっくり観てみたいところではあるが。

スクイッドは、出演が決まってからライブ映像を見てこれは凄いんじゃないかと思っていたんだが、実際のところライブバンドとしての実力・強度がちょっと破格すぎた。ドラム&ヴォーカルのシャウトっぷりは荒く激しく男臭く、しかしアンサンブルはしなやかで、ロックにファンク、ときどきジャズ的なインプロも。パーケイコーツとキングクルールが混ざった感じと言えなくもない。反復と爆発。楽器と楽器のぶつかり合いと混ざり合い。緩急自在とはこのことで、各自のとんでもない演奏力とアンサンブルにグイグイ引き込まれ、圧倒された。とりわけ終盤が凄かった。ずいぶん短く感じたので、次は単独が見たいし、フェスならフジのホワイトあたりがよく似合うだろう。言葉も含めて大評判になったリナ・サワヤマもそりゃ観ておきたかったが、スクイッドを選んだのは自分的には大正解だった。

ここでしばらくレストランで休憩して(サマソニで一番落ち着いて過ごせる場所、なのに意外とすいている)、いよいよこの日の大本命マネスキンを観るためスタジアムのアリーナで待機。来なくなったリバティーンズのライブ映像が流れていたんだが、この太ったおじさんは一体誰だろう?と思ってよく見たらピートで、容姿の変貌ぶりに驚いた。

マネスキンはライブバンドとしてあまりにも最高だったし、あまりにも凄かった。「ファック、プーチン!」と叫んだコーチェラの配信で改めて完全にやられ、凄いことはわかっていたつもりだったが、想像を超えていた。こんなにもスタジアム映えするバンド、スタジアムの大人数を掌握できるバンドだったのかと。彼らはポっと出なんかじゃなく、ストリートに始まりライブで叩きあげてきたバンドであって、だからこその全てに対する気の回り方も素晴らしかった。その瞬間、どう動いて、どう見せれば映えるかの判断力が恐ろしく高いのだ(それはダミアーノだけでなく、ビクトリアやトーマスにも備わっている)。同様に、例えば前のほうで暑さと圧迫で危険な目にあっている客に気付いて「具合悪くなったら近くのスタッフに言ってね」と直接水を渡したりする配慮も怠らない。グラマラスな感覚と真摯さ・誠実さをこのように同居させているバンドは稀有で、そこが2020年代的とも言えるかもしれない。音楽性についてはもういろんな場所で文章化されているので改めて自分がここで書くまでもないが、明快なロックンロール曲のようであっても、彼らは実はロック以外の多様な音楽を聴き込んだ上で2020年代に響くものとして更新していて(例えば歌い回し、音と声の強弱のバランスなどなど)、それゆえ古臭さがない。「まだこんな音楽やってるのか」ではなく、「今だからこそ」であり、聴く者がそう思えるように更新されている。だから洋楽ロックに普段それほど馴染んでいないような10代のコも、ストーンズやグラムロックが好きの50代のおっさん(自分含む)も惹きつけるのだろう。10代・20代にとっては、初めての、自分たちに近い年齢の、ロックの興奮を示してくれている海外のバンドがマネスキンなのだ。初めての、オレたち・私たちのロックンロールバンドなのだ。そんなバンドと観客が生んでいる熱狂をアリーナ前方で直に感じながら、60年代70年代にストーンズやフーのライブを初めて観て衝撃を受けて熱狂した人たちもこんなだったんじゃないかと想像した。言い換えるなら、昔のストーンズやフーみたいなライブの熱狂をいま生み出せるただひとつのバンドがマネスキンであるのだなと感じた。こんなふうに海外のロックバンドが日本で盛り上がるのって一体何十年ぶりのことだろう。なんならエアロやキッスやクイーンが盛り上がっていたあの時代以来の現象なんじゃないか、とも思ったりした。

リンダ・リンダズを観て、マネスキンを観て、そしてそこで熱狂している若いコたちを見て、ロックンロールに希望を感じた。同時にフェスにも希望を感じた。今回のサマソニの意味の、それが全てだなんてふうにも言いたくなった。

マネスキンが終わってメッセに戻り、たまたま通りがかりにクロマニヨンズを観た。クロマニヨンズはクロマニヨンズのやり方、あの年齢なりのやり方でロックンロールを更新している。それは間違いないので、低く見るつもりはまったくないしリスペクトもしているが、マネスキンを観た直後であるだけに、持っているものとアプローチの仕方、更新の仕方の違いについて考えさせられた。国籍と年齢の違いだけではないはずだ。

ソニックで観たケイシー・マスグレイヴスは、マリンでキング・ヌーが出演していた時間だったこともあってか、あるいは日本での知名度がイマイチなのか、人が少なかったが、強さよりも繊細な歌唱表現で聴く人を惹きつける彼女のヴォーカルも、それを支えるバンドの演奏力の高さも素晴らしく、いいもの観れたなと実感した。誕生日の前日ということもあり、お祝いのあたたかなムードが感じられたのもよかった。それにしても思った通り、年齢高めの男性客がずいぶん多かったが。

ケイシー・マスグレイヴスに続いてソニックでこの日最後に観たのはセイント・ヴィンセント。マリンではThe 1975をやっている時間だったが、セイント・ヴィンセントを観ることは早くから決めていたので、ケイシー終わりから前方中央に座って待った。コンセプチュアル。時にシアトリカル。ジェイソン・フォークナー(ギター)やマーク・ジュリアナ(ドラム)ら凄腕とコーラスの黒人女性3人を適切に活かしながら自身のギターを主軸に物語を進めるセイント・ヴィンセントのライブは、決して間口は広くないけど、どこまでも創造的で刺激的で一瞬たりとも目が離せなかった。あんなライブ、ほかの誰にもできない(やろうとする人もいない)。エレクトリックギターミュージックの可能性を大きく広げる革新的で素晴らしいライブだった。

と、このようにロック系アクトが多めに配された今年のサマソニ初日を見て、ロック・ミュージック、エレクトリックギターミュージックの喜び・興奮・価値・意義が本当に再び戻ってきたことを実感した。まわるもんだなぁ、面白いなぁ、長く生きるもんだなぁ。やはり音楽的にすごく面白い時代に僕たちは生きている!

8月21日(日)

この日観たのは以下の通り。

SALEAM ILESE(初めの2曲のみ)→SE SO NEON→EASY LIFE(2曲のみ)→ちゃんみな→3OH!3(2曲のみ)→Griff→chelmico→Kilombo→Megan Thee Stallion→CL→POST MALONE(3曲のみ)→CARLY RAE JEPSEN(2曲のみ)→PRIMAL SCREAM。

前日はマリンのヘッドライナーがTHE 1975だった故にロックミュージック系アクトが多数出演したが、この日はラップ~ヒップホップの流れを汲んだアクトが多め。自分は普段アメリカのラップミュージックをあまり聴かないのだが、例えばメーガン・ジー・スタリオンのようになかなか観ることができなさそうな人も勉強のため(?)に観てみた。とにかく観てみないことには話にならない。それもフェスだから叶うことだ。

ソニックステージのセイレム・イリースでスタート。ポップシンガーだけど意外とロック味もあり。もっと観ていたいと後ろ髪ひかれつつも、気になっていたSE SO NEONを観るためパシフィックステージに移動。

KANGDANIELの代打出演で急遽決まったらしいが、SE SO NEONには驚かされた。韓国のインディ・ロック事情をよく知らずに観たのだが、楽曲がなんとも不思議な構成で惹きつけられるし、3人の演奏力が高い上にアンサンブルも見事だし、すごく高度なライブをやっている……のにメンバーみんな力みなく自然体。フロントのソユンはシューゲーザーっぽくギターをかき鳴らしもすればブルーズっぽく弾いたりもし、歌もシンガー・ソングライター的に囁いたりもすればオルタナロック的に絶叫したり。ドラムは思い切り攻め立てて、ベースはそれをなんてことないように受け止める。ジャンルもこう!と言えるものではなく、テクがある上に実に柔軟。スタイリングがもうちょっと洗練されたら世界的に評価されるんじゃないか、とも思ったけど、いや、あの感じだからいいのだろう、きっと。今年のサマソニの大収穫。

ソニックステージのちゃんみなは、前回だったか前々回だったかのサマソニに続いて、観るのは2回目。大人数のダンサーを率いた圧倒的なエンターテインメント・ショーだった。安室奈美恵や浜崎あゆみや倖田來未らエイベックス系のかつての女性歌手たちが築いた何かを更新しているようでもありつつ、でもそことはまったく違う文脈と意識で自分なりの高みを目指しているステージであるところがかっこいい。韓国展開も楽しみ。

中国とジャマイカのミックスであるGriffは、可憐さがありつつ、とにかく歌唱力抜群。歌声が伸びやかで、溌剌としていて、ホイットニー・ヒューストンのカヴァー「I Wanna Dance With Somebody」も彼女に合っていた。ただ曲調がやや一本調子で、もう少し変化があったらいいのに……と思っていたところ、最後に「ブラックホール」を持ってきてムードチェンジしたのがよかった。これからにめっちゃ期待。

そのあと居心地のいいビーチステージに動いてchelmico。ビーチのユルさにちょうどいい夏っぽい歌。リップスライムの「楽園ベイベー」やってたけど、確かに最盛期のリップのあり方を継承してるようなところもあるような。

で、ビーチの後ろのほうでドリンク買ってゆらゆらしていたら、特設ステージみたいなところで始まったのがキロンボという多国籍のおじさんバンド。ジプシーキングスの「ジョビ・ジョバ」や「ボラーレ」のカヴァーが堂に入っていて楽しめた。フジではよく遭遇するこういうストリート演奏的なものが、サマソニにももっと増えるといいのにと思ったりも。

スタジオムのアリーナに入ってメーガン・ジー・スタリオン。現行のアメリカのラップミュージックにまるきり疎い自分でも、ラップのスキルが相当高いことはよくわかった。ラップとお尻であれだけスタジアムを盛り上げられるのは凄い。言葉がわかればもっと深く理解できたのだろう。

続けてソニックステージで2NE1の元リーダーであるCLを観た。お尻こそ出さないがメーガンに通じるエンパワーメント表現を音楽とダンスにて。かっこいい。CL、メーガン、ちゃんみな、観てないが前日のリナ・サワヤマと、今年はエンパワーメントの概念、意識を、MCとラップまたは歌でどんと伝えるアーティストが多く、2022年的であることを思ったり。それにしても「HELLO BITCHES」のアンセム感たるや。

マリンのスタンドで座って観たポスト・マローンは、白Tと短パンでステージにたったひとり。バンドじゃなくひとりでやるのが彼流なんだろうし、ひとりでスタジアムであんなって凄いという絶賛評も多くTLに流れていた。けど、楽曲自体に思い入れのない自分にはピンとこず。バンド形態を観たらもっと入り込めたのかどうか。とか思いながら早々にメッセに移動。

カーリー・レイ・ジェプセン。できることならしっかり観たかったのだが、後ろまで人が溢れていて、前にも行けず。「I Really Like You」がキラキラと響いていたのだが、今回は諦め、ソニマニでは観なかったプライマル・スクリームを集中して観ることにした。新作は楽しみにしてます。

マウンテンステージで、プライマル・スクリーム。2時間以上のロングセットで、本編は数年ぶりの『スクリーマデリカ』セット。ベースのシモーヌがいい。終盤では亡くなったアンドリュー・ウェザオールの写真もどーん。で、思った通りアンコールはヒット曲の畳みかけ。「Loaded」で始まり、ずいぶんアレンジの変わった「Swastika Eyes」「Jailbird」ときて、「CountryGirl」、最後は「Rocks」。わかってはいても、さんざん聴いた曲でも、ナマで聴く「Rocks」には抗えない。2022年にもなってまだ「Rocks」かよ、懐メロじゃん、ってな批判をされる方もいそうだが、関係ない。最高なロックはやっぱり最高なのだ。というわけで大団円。それまで無表情気味だったボビーもみんなの熱い拍手&声援がよほど嬉しかったのか、何度もガッツポーズ決めて、最後はめちゃめちゃいい笑顔。あんなにいい笑顔を見せる人だったとは!!   とまあ、なんだかんだでこの日結局自分が一番熱くなったのはプライマルだった。ラップミュージックもいいけど、エレクトリックギターが大きな音で鳴るロックミュージックが結局自分は好きなのだ。その興奮が沁みついちゃってる世代の人間なので、これはもうしょうがない。

お祭りから一夜明けた月曜日。SNSを遡って眺めると、ほとんどの人が言及するのはライブ中にそのアーティストが何を発言したか、どういう行動をとったかばかりだった。もちろんその人がアーティストとしての立場で何をいま発言するか、この社会に生きる人間として、またはカルチャーを引っ張っていく者として、それは超大事なことで、そこなしで今ポップカルチャーを語ることはできないことも理解しているつもりだ。が、演奏そのものやアンサンブルの強度みたいなことについて、つまりライブそのものの力、よさについて語る人は、発言や態度を語りたがる人に比べてずいぶん少ないんだなというのが自分的には少しモヤっとしたところ。例えば初日に観たスクイッドセイント・ヴィンセント、2日目に観たSE SO NEON。このあたりはまさに個々の演奏力の高さとアンサンブルの強度に圧倒され、興奮して、ああすげえライブ観ちゃったぜと心底思えたアクトだったんだが、そこまでSNSで騒がれることはないという。音楽のよさと発言のよさは違う。発言のよさ=ライブのよさ、みたいになりすぎてるきらいがあるのは、やはりどうしても気になってしまう。

そのことと関連すると言えばすることだが、日本の3つのバンドの発言と態度がツイッター上で騒がれすぎていたのも、なんだかなぁという感じだった。その場でその様子を実際観た人がひっかかって、純粋に感想または疑問として述べるのはいい。その人がそう感じたのだから。でも、それに対してやいのやいの文句言ったりふっかけたりしている大半は実際にその場でライブを観ていない人で、つまり自分の目で状況を見ることなく誰かの切り取られた言葉それだけに反応しているわけだ。観ていないのに、誰かの言葉から勝手にミュージシャンの発言または態度の意図を想像して、あれはよくない、あのバンドはああだから、と決めつけるのは(もっと言えば断罪するのは)、ツイッターがそういうゲームであるとはいえ、やはり怖いことだなと思わずにいられない。

そのようにSNSのいい(悪い)ネタみたいになってしまったところがあったのは残念だけれど、それでもよかった面があったとするなら、そのこと(差別的とされる発言や態度など)についてみんなが知り、考えることのきっかけにはなったかもしれない、ということ。それもフェスが、音楽が、文化が、社会が、より成熟していくために必要なプロセスなのだと考えれば、前を向ける。

まあとにかく。今年のサマソニは本当にいいライブをたくさん観ることができたので、自分としては大満足。フェスが過渡期であることを強く感じていたこの2年くらいだったが、少なくとも今年のサマソニを観て、新しく始まった何かがあるような感覚も持てた。

それと個人的にはフジのあとコロナ陽性になって体力が落ちたようだったのが心配だったのだが、ソニマニ~サマソニと3日間長時間動き回ってもそこまで疲労しなかっし、年寄りくさい言い方でアレだけど、まだまだフェスを存分に楽しむ体力があってよかったとも思った。それがなくならないよう、普段からの走りや泳ぎをやめないようにしよう、とも。で、これからもまたいいライブを求めて生きていこう。そう改めて思った2022年夏。

居心地のよさとしては、やはりビーチステージが一番。
レアンドロ・エルリッヒの砂の自動車で「温暖化」「気候危機」を表現。「Traffic Jam 交通渋滞」


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