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『リスペクト』感想

2021年11月14日(日)

吉祥寺オデオンで、『リスペクト』。

少女期から30歳になる1972年まで20年間のアレサ・フランクリンに焦点を当てた伝記映画。10代後半からのアレサ・フランクリンを、アレサ自身が指名したジェニファー・ハドソンが演じると知ったときから楽しみにしていた。

アレサがどんな環境で育ち、どのようにしてヒット曲を獲得し、どのようにしてソウルの女王と呼ばれるまでに至ったか。欧米と比較すると、アレサがどういうひとか日本ではそれほど知られてないし、自分もそこまで詳しくないので、まずはそれを知れるというところで意義のある映画。SNSなど見る限り「感動した」「泣いた」といった感想が多く、かなり好意的に捉えられているようだ。が、否定的な意見もなくはない。自分はどうだったかというと……。

まず、よかったのは、アレサの代表的な曲に彼女の実体験とそれについての切実な思いがいかに投影されていたかに気づける作るになっていたこと。人生の光と影で言えば、描かれているのはほとんどが影の部分で、束縛する父親と暴力もふるう初めの夫に彼女は苦しみ続けるわけだが、オーティス・レディングの「リスペクト」を“自身の歌“として捉え直し、その曲のカヴァーで苦節を突破してみせたり、威圧的な夫に「あなたが私にしてたことを考えてみてよ」「大事なのは自由よ」と叩きつけるかのようにステージで「シンク」を歌ってみせたり。ヒット曲に彼女の切実な思いが強く投影されていたことがわかるのだ。そうか、アレサが歌う「リスペクト」は、アレサが歌う「シンク」は、そういう歌だったのか。と、この映画を観て自分のなかで曲の捉え方が大きく変わった気がしている。

ああ、いいなと思ったシーンもあって、自分が特に好きなのはマッスルショールズのフェイム・スタジオにおけるセッション・シーン。グルーブが生まれる瞬間の歓びが描かれていたし、本当にあれがアレサの転機だったんだなと理解できた。と同時に、シンガーとしてだけでなく、作曲というか編曲というか、アレサの創造性とその拘りも伝わる場面だった。あのシーンが最も好きだ。

全体通してジェニファー・ハドソンは熱演だったし、いかにアレサの歌表現に近づける努力を重ねたかもよくわかった。ジェニファーは素晴らしかったと思う。

けれども、ひとつの映画としての満足度は、正直に書くと自分はいまひとつ。はっきり書くなら、型にハマった伝記映画で、2時間半がずいぶん長く感じられた。監督のリーズル・トミーという女性はこれまで古典劇やミュージカルなどの演劇監督として活躍してきたそうで、長編映画はこれが初とのこと。確かにミュージカルなど舞台だったらこの繋ぎ方が活きそうだけど、ただただ「こんな苦難もありました、その次にはこんなこともありました」「そのとき彼女は歌でこのように乗り越えました」とアレサの20年間の劇的なエピソードだけをぽんぽん繫いでドラマ化している印象で、ひとつひとつの感情の機微が描かれないまま進んでいく感じなのだ。

また先に書いたように、光と影で言えば、描かれるのはほぼ影の部分。よって全体的に暗めで、それに対する音楽の昂揚感や輝きも残念ながらそれほど際立ってこない(ジェニファーの表現力は高いのだが、監督がそれを活かしきれてないように思う)。クスっと笑えるようなシーンもなく、監督がいかに忠実に、生真面目に作ったかがわかる。真面目に作るのはもちろん悪くないが、何かこう、はみ出す面白さが少しもなくて、ワクワクできないのだ。

また、それでいて肝心なところを描かない。観終えたあとで監督のインタビュー記事を読み、「性暴力をエンタメにしたくない」という思いがあったことを知ったが、その思いはわかるものの、しかし例えば前半、父親が頻繁に開いていたパーティ(レイ・チャールズは、アレサの父親の教会コミュニティを「セックス・サーカス」と呼んでいたそうだが、そこまでのものだということも、ほのめかしはするが描かれてはいない)で男が幼いアレサのいる部屋に入っていくシーンなどは、襲い掛かるところを描かないまでも、もう少し何か必要ではなかったか。それがないので、アレサの背景をよくわかってない我々としては後半になって「あ、妊娠してたんだ…」と驚くことになる。幼い頃のそれもあってのあれほどの葛藤や絶望だったと誰もが理解できる作りになってはいないのだ。それはもしかするとアレサからの注文で、それを監督が守ったということなのかもしれないが。

「彼女が肉体的に受けた傷をスクリーンで再現する必要はないと思いました」「私は"女性がどうやってトラウマを乗り越えるのか"という部分のほうを描きたかった」と、このインタビューでリーズル・トミーは話しているが、アレサがどうやってトラウマを乗り越えるかがしっかり描かれているようにも自分には思えなかった。そのあたり、ベテラン監督の手で丁寧に描かれていたら、印象は大きく変わっただろう。

それから72年1月のチャーチ・コンサート。今年『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』というそのライブ映画が公開されたばかりだが、あそこでアレサが見せた驚くほど緊張した様子、歌う前に不安でいっぱいになっているようなその表情も『リスペクト』では描かれず、初めから強い気持ちをもってこのコンサートに臨んだかのようになっているのも気になった。『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』は、(2日めに)父親が見に来たこともあって不安や緊張を含んだ複雑な思いで歌い始めたアレサが、歌ううちにどんどん自信を取り戻していくようだったのが感動的だったわけだが、そのへんの心の機微を『リスペクト』が抜き落としているのも残念だった。

『リスペクト』を観ると、アレサがずっといっぱいいっぱいで苦しみながら歌をうたっていたひとみたいに思えてしまう。例えば『ブルース・ブラザース』で「シンク」を踊りながら歌っていたあの楽しい感じを持たずに生きていたひとのように伝わってしまうのもどうなのか。アレサはソウル音楽の歓び・楽しさもたくさん伝えたひとだと思うのだが。

プログラムの表紙やポスターのように、無理やり過剰にキラキラさせる必要なんてないがしかし、もう少し光の部分や音楽の高揚を伝えて、影の部分とのコントラストをつけてもよかったんじゃないか。

史実を変えたとしても、例えば『ボヘミアン・ラプソディ』などは映画的なダイナミズムも昂揚感も強くあってものすごくグッときたわけで、やはり生真面目に撮ればいいってわけではないんだなぁ、ということも改めて思ったのだった。


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