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『ビリー・アイリッシュ 世界は少しぼやけている』

2021年7月4日(日)

吉祥寺アップリンクで『ビリー・アイリッシュ 世界は少しぼやけている』。

SNS時代のスーパースターはこんなにもたいへんで痛ましい。スターであることを引き受けるにはどれだけ身を削らなくてはならないのか。それがどれほどきついことか。なんとなく想像できてたつもりだったけど、こうして映像で見せられるとやはり胸が苦しくならずにはいられない。まして(この当時)17~18歳の女の子。文字通り心身ともに傷だらけになっていく姿は、観ていてなんとも辛い気持ちになる。こうして作品になっている=カメラを回させている・映像として記録させている・残させているのだから、当然そこにはアーティスト本人の意図が反映されているわけだけど、それを承知した上でもなお。

(芸能の世界の)「家族」についても考えさせられる作品だ。ビリーがこのように圧倒的に優れたミュージシャンになったのは楽器も弾ける音楽好きの父親と母親、何より兄がいるなかで育ったから。映画を見る限り、父親はビリーがデビューしてからも口数少なめにサポート。そして誰より兄フィニアスのサポートが大きく、彼はあの若さで実に人間ができているというか、精神が大人だ。改めてフィニアスなくしてビリーの音楽はこうは成り立たなかったということがよくわかる。問題は母親だ。当初は一般的というか健全に子を思いやる母親だった(ように見えてた)のが次第に過干渉の度合が増し、ステージママ的な側面が母親のなかに芽生えだす。この映画が撮られてた時期から1~2年が経ったいま、あの母親はアーティストとしてのビリーにどう関わっているのだろう。まだ同じような立場でいるのだろうか。だとしたら、余計なお世話だけどやっぱりちょっと心配だ。

で、そういう「家族」という最も近い単位とは別のところに、ジャスティン・ビーバーというビリーにとってとてつもなく大きな存在があったり、あるいは楽屋でちょっとした…でも的確なアドバイスをするケイティ・ペリーのような存在もある。若くして成功し、様々なトラブルをくぐりぬけていまを生きているそういうひとたちのアドバイスが、ビリーのこれからにはものすごく大きいはずだ。

3年後、5年後、10年後、ビリーはどんな表現者に、そしてどんな大人になっていくのだろう…。

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