亜無亜危異@江古田マーキー

2019年6月4日(火)

江古田マーキーで、亜無亜危異「BACK TO MARQUEE」。

江古田マーキーは収容人数70人の老舗ライブハウス。昨日はそこに100人ちょっと入れたのかな。僕は発売開始と同時に速攻でチケットを獲ったわけだが、当然のように即完だったようで、獲れたのは本当にラッキーだった。

江古田マーキーがオープンしたのは1978年。その年に彼らはアナーキーとしての初ライブをそこで行なっていた。アナーキーのデビューは1980年で、ヤマハ主催のアマチュア音楽コンテスト「EastWest」にて優秀バンド賞と最優秀ボーカリスト賞を獲ったのが1979年。その前年であり、つまりそこから彼らの歴史がスタートしたとも言えるわけだ。

茂によれば、当時好きだったセックス・ピストルズがロンドンのマーキーでライブをやり、同じ名前のライブハウスが日本にもあるじゃないかということで、そこを初ライブの場所に選んだのだそうな。なんせ「EastWest」に出る前の年だから、そのときの客は全員が学校の友達や知り合いで、ライブ中に「メンバー紹介します」と言ったら「知ってるよ!」と返されてすげぇやりにくかった…と話していた(笑)。

昨日・6月4日で、マリが亡くなってもう2年。ということで、これはマリの三回忌・特別ライブであり、会場内にはマリの写真がいくつも飾られていた。また、開演前に太田達也監督によるドキュメンタリー映画『アナーキー』の映像などが流れ、ライブが始まってからもずっとメンバーたちの後ろのスクリーンに当時の写真が映されたりしていて、ときどき茂や寺岡や伸一の横にマリ(の写真)が並ぶみたいになって、それだけでも胸にくるものがあった。

ライブが始まってすぐ(確か2曲目だったか)「333」を演奏している途中でなんと電源が落ち、真っ暗になって真性アンプラグド状態に。しかしバンドは演奏を続け、そのときコバンのドラムと観客の歌声だけが響いた。まさかのハプニングだが、それはなかなかいい場面だった。誰かが「マリのいたずらかな」と言ってたが、きっとそうだろう。因みに終盤でももう一度電源が落ちた場面があったが、最早それすらみんな楽しんでいた。

バンドはマリが在籍していた初期の曲だけで約1時間ちょっと、ぶっとばした。ステージ横にはマリの服やギターが飾られ、茂は何度もマリの名を呼び、アラバキなどフェスに出るときもマリが背中を押してくれてるといったようなことを話し、マリのことを忘れんなとも叫んだ。伸一はマリのギターで「心の銃」と「530」を弾いた。

凄かった。初めは後方で観てたのだが、僕は気がついたら真ん中あたりで腕をふりあげ、ずっと一緒に歌ってた。汗でぐっしょり。僕は10代の自分に戻っていた。


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