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日記。くすんだ色の黄金週間。

日記。2020年5月6日(水・祝)

どうやら今日でゴールデンウィークが終わりだと、カレンダー上ではそうなっているが、世の中は金色に輝くこともなく、明日も明後日も来週も再来週もどこかくすんだ色のまま続いていく。会社員の妻もステイホームが続いている故、休日と平日の境目が最早なくなり、曜日感覚も失ってしまった(よって、ゴミを出し忘れること度々。いかんね)。

並行世界の自分は、4月~5月はフェス三昧で、浮かれまくりの真っただ中。毎週末がフェスで、「いやもう忙しくってたいへんよ、遊びで。仕事してる暇ないわ」とか言ってる……はずだった。

4月の25~26日はアラバキ・ロックフェスで仙台にいるはずだった。早くに宿を2泊おさえ、27日はゆるりと仙台観光して帰るつもりでいた。ゴールデンウィークがあけた頃にはカナダに飛んで、ストーンズのライヴを観る予定でいた。カナダに住む友人にチケットをおさえてもらい、一緒にライヴを観て遊ぶつもりだった。久々に海外でストーンズを観るのを本当に楽しみにしていた。5月の23~24日は毎年行っている横浜赤レンガ倉庫でのグリーンルーム・フェスで、今年は一泊しようとこれも宿もおさえてあった。5月の30~31日は「FFKT」の第2回目ということで、長野県木祖村の「こだまの森」でキャンプしているはずだった。29~31日に愛知県豊田市で「橋の下世界音楽祭」があり、29日だけそれを観てから「こだまの森」に移動して「FFKT」を楽しもうと妻と計画を立てていた。

言うまでもなく、全部なくなった。

ライヴを観にいったのは3月8日の「梅津和時・プチ大仕事」が最後で、そこからもう2ヶ月観ていない。そんなに長い間ライヴに行かないというのは何十年ぶりになるのか覚えてもいないし、今度観に行けるのがいつになるのかもまったくわからない。

「(ライヴは)どんなに早くても6月いっぱいまではできないだろうなと僕は思っていますけど」と、コンサートプロモーターズ協会・会長の中西健夫さんは話している。まあそうだろうし、夏も秋もフェスの開催が現実的に可能だとは思えない。来年以降がどうなるかだって誰にもわからない。一体何を楽しみに生きろと?  という感じだが、それによって実際的に生活ができなくなるひとが(身近にも)大勢いることを考えると自分のような立場では文句も言いづらい(酷すぎる政府に対する文句は言い続けるべきだが)。困ったもんだね、まったくね。出口はいったいどこにあるん。

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ライヴのなくなってしまったこの世界だが、やることのない……わけではなくて、片づけなきゃならないモノとコトは山積みだし、突発的に起こることもあるわけで、こうなってみても意外とのんびりできないもんだなというのが日々の実感だ。

これから先は少しでも身軽に暮らすのだという気持ちに至り、数十年分のCDとレコードと雑誌を大量に置いていたある場所を引き払うことに。よってそこにあった荷物の3分の1程度を処分し(そのより分けをするのに5日くらいかかった)、残り(段ボール32箱分)を引っ越し業者に頼んでいま住んでいる家に移した。それが4月30日のこと。これからこの中身をさらにどれだけ減らせるかが勝負だ。こんな馬鹿みたいな大荷物の移動、もうしたくないからね。

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果てしなく終わりの遠い、そんな断捨離を地道にやりつつ、並行してまだどうにかいただけている原稿仕事をいくつか。先週仕上げた某ミュージシャンの長めのインタビュー原稿は緊急事態宣言発令前にぎりぎり対面でやれたもので、面白いので早く読んでもらいたいところだが、しかし話の中心となった新作はいまのこの状況から発売日未定の延期に。こういうケースはたくさんあるだろう。

5月3日。この日は初めて「Zoom」を使ってのインタビューを行なった。対面取材ができなくなって以降、オンラインでの取材が世の中で当たり前となり、僕などはデビューの遅いほう。相手は結成から40年も好きでい続けたバンドで……って、伏せずに書いちゃってもいいっすよね、亜無亜危異なんだけど。ずっとファンだったわりにはこれまで取材する機会がなく、ここにきて20年ぶりのフルアルバムを出すっていうんで遂にその機会が訪れたってわけで。昔も“不完全復活“を果たして以降もけっこう熱心に追いかけてきたバンドである故、ただでさえドキドキだったんだが、それに加えて自分史上初めての「Zoom」取材。正直、緊張しましたわ。

メンバーの4人にとっても初めての「Zoom」取材だったようだが、結果的にそれを新鮮なものとして楽しんでくれたみたいで、まあまあいい感じでできたし、読むひとにとってもたぶん面白いインタビューになったんじゃないかと思う。ただやっぱりオンラインだと喋り出しのタイミングが難しかったり、会話のテンポ感が対面のときのようにはうまくつかめなかったりで、ひとつの話題を深く掘り下げにくいかなという印象も。今回は4人が相手だったけど、1対1だったらまた違うものなのかどうか。まあでも自分が慣れたらもう少しスムーズにできそうだなという感触はとりあえず得られた。この先しばらくはこの取材法がデフォルトになるだろうし、きっとアフターコロナの世界でも時間や経費の節減になることから「Zoom」取材は多用されるだろう。

とりあえず新たな一歩感はあったし、確かに便利は便利だなと。でもねえ。初めましてのお相手に自分の印象付けをするのはやはり難しいし、もちろん握手したりもできないし、やっぱり対面でやるに越したことはないですね。

いや、それにしても。まさか亜無亜危異にオンラインでインタビューする未来が待っていようとは。(彼らがデビューした当時)高校生だった自分に言っても、意味わからんかっただろうなぁ。

(*記事がアップされたらまたお知らせします)


5月4日。叔父の葬儀。叔父が入院したと母から電話で聞いたそのわずか2日後に急逝。3日の夕方に遺体と対面し、4日の朝に送った。僕が子供の頃にはよくドライブに連れていってくれたりもした「僕の好きなオジチャン」。毎年1月2日には必ずお宅にお邪魔してゆっくりゴハンをいただき、今年も呑みながらいろんな思い出話をしたものだった。

こういうときなので、家族葬。自分ら家族はもちろん、葬儀セレモニースタッフの方々もみなマスクを着用。火葬後の精進落としも(その場所では)なく、別の場所に移動してだった。

SNSやニュースを見れば、世界はコロナによる死の悲しみで溢れているよう。しかしそれとは別の悲しいことも、日々なにかしら起きている。当たり前のことなのに、いまの世界の悲しみはコロナによるものばかりだと最近は思い込んでいた。

悲しいことはふいにくる。

亡くなった叔父の家の書斎に入ると、歴史や法律の難しそうな本と並んで僕が数年前に作った『ぼくの好きなキヨシロー』が手に取りやすいところに置いてあった。葬儀場で涙枯れるほど泣いたのに、また泣いた。

断捨離と荷物の移動をして、好きなバンドのZoom取材でドキドキして、総理の「憲法改正」戦略と外出自粛延長の心ない会見に憤って、叔父の死を悲しんで、そうやってやけに感情が忙しく動きながら、ゴールデンとはまるで言えないカレンダー上の連休が終わった。


5月2日、忌野清志郎の11回目の命日に、この曲を聴いた。

奇妙な世界よ消えてくれ  

奇妙な世界よ消えてくれ




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