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ビョーク@東京ガーデンシアター

2023年3月31日(金)

東京ガーデンシアターで、ビョーク「cornucopia」。

楽隊がいて、歌手がいて、演奏に合わせて歌を聴かせる。そういう、所謂コンサート(協奏曲を聴く演奏会)というものとは種類の異なる表現様式だ。3月20日に観た「orchestral」は32人のオーケストラとビョークで構成される古典的なコンサートの様式だったが、「cornucopia」は演奏・電子音・映像・演出・舞踏・照明(光)・衣装を有機的に合わせて「どこかにきっとある世界」を現出させ、それによって強いメッセージを伝えてくる総合芸術。コンサートとも映画とも芝居とも違う、あえて様式の種類で言うならばオペラ的とも言えなくないものだが、デジタルの要素が多いのでもちろんそれとも異なる現代的な実演。見せ方は新しく、メッセージは普遍的な、まだどこにもないエンターテイメント・スペクタクルといったものだった。

それはビョークの頭のなかにある理想郷のようなものだった。どこかの辺境の森のなかを深く分け入っていくとあるのかもしれない、まだ文明の暴走に侵されていない地。そこでは自然界の生物の摂理に則った暮らしがあり、音楽があって、祝祭がある。その地で生きるビョークは、鳥類と魚類と植物(あるいはキノコ類)のハイブリッドのような生命体で、これまでもビョークは作品のなかで自らをそういった存在として定義づけながら表現をしてきたわけだが、今回はいよいよ音楽作品の世界を立体化して拡張させ、このようなスペクタクルに仕上げたわけだ。

ステージ上で行なわれていること、演出、場面は、(流れはあれども)めまぐるしく移り変わっていく。ものすごい情報量。故に、ひとつひとつを理解しよう、ついていこうとするのはなかなかたいへんなことだった。自分は前から9列目のステージ向かってやや右寄りという良席で観ることができたのだが、近いだけにステージの隅々で何が行なわれているかを目で追うのも忙しく、頭がくらくら。終わったとき、かなり視神経がやられた感じになっていた。ひとつひとつの起こっていることを理解しようとするよりは、とにかく「感じる」ことが大事で、まずはそうやって楽しむべきライブであっただろう。

ステージに登場するのは、ビョーク、アイスランドの女性7人からなるフルート・アンサンブル、ハープ奏者、ドラム&パーカッション(木魚ほか)奏者、鍵盤&トロンボーン奏者、日本人20人のコーラス隊たち…。とりわけバリ島を拠点に活動するGabber Modus OperandiのDJ Kasimynが起用されたことには「さすがビョーク!」と唸らされた(新作『Fossora』にも参加)。こうやってビョークに「発見」されたことで地位を築いたアーティスト/DJはこれまで少なくない。

演出による情報量は相当多く、観る(聴く)者それぞれの想像力に訴えかけてくるものだったが、しかしメッセージはかなりストレート。終盤にグレタ・トゥーンベリの映像が映され彼女の言葉が紹介されたが、気候変動、環境破壊など、まさに今起きている問題に目を向けよというそのメッセージを音楽と演出/物語性で伝えんとする、そういうものであったと自分は受け止めた。

これまで作品のなかで訴え続けてきたことを今回はステージ表現、総合芸術表現として昇華したわけで、つまりビョークの思想&メッセージのひとつの集大成的なるものだったと言えるかもしれない(それをアートとして難しく伝えるのではなく、あくまでもエンターテイメントとして、ある部分においては大らかに伝えてくるのがビョークなんだなと改めて思った)。

何しろ圧巻。歌唱表現含めて凄まじいエネルギー量。ビョークのやりたいこと、やるべきと感じていることが完全な形で表現された素晴らしいライブだった。

音楽そのものの豊かさを大いに感じることができた「orchestral」と、メッセージの強さをしかと受け止めることになった「cornucopia」。両方観ることができて本当によかった。


↓「orchestral」の感想はこちら。


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