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『THE FOOLS 愚か者たちの歌』(感想)。

2022年1月13日(金)

ヒューマントラストシネマ渋谷で、『THE FOOLS 愚か者たちの歌』。

昨日(1/13)はフールズのドキュメンタリー映画『THE FOOLS 愚か者たちの歌』公開初日。去年10月に新宿ロフトでの初上映(&LIVE)を観たのだが、劇場の大きなスクリーンで観ると、また違ったぶっ刺さり方。あらゆるロックバンドのなかでフールズが一番やばくて最高じゃないかと、2度目を観たばかりの今はマジでそう思う。

伊藤耕の圧倒的なエネルギーに身体が熱くなり、川田良の凄まじいギターに身震い。亡き者たちにこれほど胸をつかれるというのもおかしなことだが、つまり肉体は滅びても魂は残ると、そういうことなのだろう。伊藤耕らのエネルギーと高橋監督の執念が凄いので、こちらも居ても立ってもいられない、元気なうちに何かことを起こさねば、という気持ちにもなるが、もしも自分が弱っている状態でこれを観たらば、もらってしまって死の方向に向かってしまうんじゃないか、という危険性もある。それくらい強力な映画だってことだ。

「本物……、いや、違うな。”本当”のことをやっているバンド」「練習の成果を発表するようなバンドじゃなかった」といった甲本ヒロトの言葉が出てくるが、まさしくフールズは「本当」を体現していたバンドで、『THE FOOLS 愚か者たちの歌』は本当の一部を記録したドキュメンタリーだと感じた。

例えばフールズはロックバンドがコマーシャルになることを徹底的に否定/拒否していた。川田良が、ライブでバンドが客に伝えて、客がそれをバンドに返して、それが全てで、そこに音楽業界なんてものが入り込む余地はない、みたいなことを話していたが、それがロックをやる理由の「本当」であって、フールズやじゃがたらはそれをやっていたわけで、となると売れるため稼ぐため成功のためとかで音楽をやってる世のバンドの多くが途端に嘘に見えてくる。「わけ」なんてないさ、であり、自由が一番最高、であって、それがつまり「本当」のことなのだ、ということをフールズは見せていたのだ。

一昨日はDOMMUNEで『THE FOOLS 愚か者たちの歌』封切り前夜SPECIALを3時間半見て(じゃがたらの「でも・デモ・DEMO」の江戸さんの歌詞が伊藤耕の言葉を引用したものだったと知って驚いた)、志田歩さんの書かれたフールズ本を(まだ途中だけど)読んで、そして劇場で映画を観て、フールズの歌や言葉が頭のなかでグルグル回っている昨日今日だ。

映画は、フールズのライブを観たことなかった人、フールズをまったく知らなかった人に観てもらいたい。「生きること」と「死ぬこと」について考えさせられる。ほんと、絶対に観たほうがいい。

終映後の、生き残ったメンバーたちと高橋監督の舞台挨拶も全て”本当の言葉”で印象に残った。



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