「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー」@日比谷野外音楽堂

2019年5月4日(土)

日比谷野外音楽堂で「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー 日比谷野外音楽堂 LOVE&PEACE 2019年5月4日~FINAL~」。

午前中は晴れていたけど14時過ぎくらいから空が暗くなってきて雷も鳴りだし、うわぁ、雨の野音はキツイなぁと思ってしっかり雨具を準備した上で会場へ(結局、降られなかった。よかった!)。席とトイレが改修されてキレイになってから初めての野音。パンフを買って席についたらちょうど開演時間となった。

「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー」。今回が10年目(8回目)で、ファイナルだそうだ。自分がこのイベントを観に行ったのは武道館の初回と2回目と一昨年のサンプラの3回で、今回が4回目。2017年のサンプラのときにもブログに書いたが、自分的には毎回必ず違和感が残ってしまって心底楽しめない・満足できないイベントだったりした。けど、今回は好きな出演者が多いし、野音だし、ってことで迷わず速攻でチケットとってヨメと観に行ったのだった。

↓2017年の公演の感想はこちら。

16時半に開演し、第1部はまずバンドなしでのソロセット(浜崎&高野、のん&矢野など、この日のための特別デュオ含む)。続いてザ・タイマーズ・セット。

ゲストが歌うのはみな1曲ずつ。それがルール。ああ、この人の歌はせめてもう1曲聴きたい…と思う場面も当然あるわけだが、それは叶わない。

1曲終わったら、セットチェンジ。タイマーズの出番まではそれの繰り返し。よってグルーブなんてものは生まれようがない。ライブを観ているというよりテレビの歌番組の収録を観ている感覚だ。どんなに優れたアーティストであっても1曲で「つかむ」のは相当難しい。たった1曲で自身のパフォーマンスの個性と清志郎への愛となぜその曲を選んだかの理由を感じさせるのは、やはり相当難しい。そんななかでは清水ミチコの「帰れない二人」が格段によかった。短時間で「つかむ」術をわかっているし、この曲を選んだ必然性も清志郎愛もしっかりあった。1曲のみというルールをむしろうまく利用した形で、さすがと言えるものだった。

休憩挿んで第2部はチャボ・バンド・セット。音が鳴った瞬間に引き込まれる。ぬるめだった第1部から空気が一変した。やはりバンドはいい。やはりチャボ・バンドはいい。早川とカースケのリズム、チャボのギターとkyOnの鍵盤。引き締まった音である上、グルーブもある。特にkyOnさんのプレイの豊かさを随所で感じた。

チャボが自ら歌った「お墓」、Charの「ロックン・ロール・ショー」、HARRYの「いい事ばかりはありゃしない」、宮本の「君が僕を知ってる」。この4曲がとりわけよかった。チャボの「お墓」は一昨年のチャボの野音公演『雨あがりの夜空に 2017』を(あのとき語っていた、初めて清志郎の歌う「お墓」をチャボが聴いたときの話込みで)思い出さずにいられなかったし、だからなぜチャボがこの曲を選んだかもよくわかった。それからCharを紹介する際に1979年のJ.L&Cの武道館公演のこと(RCをその前座に抜擢したのがCharだった)にチャボが触れてたのにもグッときたし、昔はRCのライブをよくこの曲で始めてた…という曲紹介も懐かしさ込みでよかったし、Charが弾きながら背中でチャボを押して押されたチャボが笑ったり…ってなちょっとしたやりとりの仲良し具合はついこの前のEXシアターの続きを観てるようだったし、なんたって「ロックン・ロール・ショー」のCharのギターはそりゃもうかっこよかった。HARRYの「いい事ばかり~」はこの曲を選んだこと自体が少し意外な気がしたが、しかしHARRYは自己流に崩すことなく丁寧かつ誠実にそれを歌っていて、2番、3番と続くうちに味が滲み出てきてた。因みにこの曲の間奏で梅津さんがテナーサックスを吹いた際、チャボは「片山広明!」と名を呼んだ。梅津さんが吹いてたのは片山さんのテナーサックスで、そこ、自分的に涙腺がやばかった場面のひとつ。そして宮本はいつもの宮本なんだが、爆発力という意味ではこの日の全出演者のなかで一番だったし、声の大きさも一番だった。清志郎がこのライブをどっかから観てたとしたら、「なんかみんな真面目に歌ってるけど、こいつは違うぞ。面白い!   ロックはこれでいいんだ!」ときっと思ったんじゃないかな。

休憩挿まず、第3部は三宅伸治率いる形でのナイスミドル・セット。(厚見玲衣は不参加だったが)このバンドの音もやはり素晴らしい。ニューブルーデイホーンズは片山さんのテナーサックス・パートを多田葉子さんが吹いていて、それがまたすごくよかった。多田さんと梅津さんの吹奏からは(もちろん渡辺さんもだが)片山さんへの思いがものすごく感じられたのだった。

その第3部では、金子マリの「恩赦」とBEGINの「雑踏」がよかった。ゲストの出演順としてはBEGINが最後で、それは(失礼ながら)少し意外な気がしたのだが、比嘉栄昇のヴォーカルの強弱のつけ方に素直にグッときたし、「雑踏」という曲のよさに改めて感じ入ってしまった。清志郎の歌というのは清志郎の声と歌い方の個性や節回しで歌われてこそ、というものばかりであって、だから清志郎が歌うよりもよく聴こえる清志郎作の歌というのはそうそうないんだが、BEGINによる「雑踏」はBEGINの歌になっていて、これはすごいぞと唸らされた。物まね的ではなく、かといって自分の個性に引き寄せすぎるでもなく、作者と楽曲への愛を持ちながら自分(たち)の歌として昇華していたということだ。

本編最後の「JUMP」に続き、アンコール1曲目の「雨あがりの夜空に」は(Charと矢野さんはいなかったようだけど)この日の出演者ほぼ全員によるもので、それはサプライズゲストに象徴されるようにフジテレビ的。とりあえずみんなで最後に「雨あがり~」をやっとけば大団円、みたいな感じはレゲエのイベントでとりあえず最後に「ワン・ラブ」やっとくのと同じように前時代的で僕はどうしても冷めてしまうほうなのだが、でも大人数の前にグイッと出ていってソロを弾いたチャボからはある種の使命感または責任感のようなものも伝わってかっこよかったし、HARRYと宮本と鮎川さんがワンマイクで歌うなど絵的にしびれる場面もあった。そして今回のこれはそこで終わらず、最後に梅津さんとチャボと三宅伸治の3人だけによる「多摩蘭坂」があり、歌ったのはなんと梅津さんで、その歌には清志郎と片山さんへの思いがこもっていて、ここで自分は泣いた。「清志郎の戦友」という梅津さんに対するチャボの言葉も泣けたし、みんな一緒の「雨あがり~」で終わらず最後にこれを持ってきたことにチャボの意志を強く感じた。何年かしてこのイベントを振り返ったとき、真っ先に思い出すのはこの梅津さんの歌った「多摩蘭坂」だろう。

その「多摩蘭坂」の前だったかあとだったか忘れたが、清志郎の家族にチャボが語った言葉も胸をうった。みんなで一緒に雨上がり~みたいなあの感じが僕はちょっと苦手で、たぶんチャボ自身も喜んでやってることではないと思うのだけど、「こんなにたくさんのミュージシャンが集まるなんて、お父さん、すごいぞ」と清志郎の子供たちに伝えるチャボは本当に優しくてあたたかくて、またその言葉で、みんなで一緒に雨上がり~にも意味を持たせてしまうその説得力・人間力もすごいなと改めて思わずにはいられなかった。

2017年のサンプラのあとでブログに書いたのと同じように、自分としては正直言って今回も心から大満足できたイベントというわけではない。ひとり1曲ルールには物足りなさばかりが残り、出演者たちにとっても1曲歌ってエンジンがかかったところで終わるというのはキツイだろうなと観ていて感じた。公平性を重んじたのはわかるが、もう少し人数を絞るなどして何人かには2曲歌わせたほうがライブとしてのよさは出ただろう。また、RCのハードフォーク期、電化期、タイマーズ、ソロと、清志郎の一通りのキャリアを網羅するのはいいが、その文脈作りがうまくいっているように思えなかった。何かちょっとした工夫でそこのところはもっとうまく見せられるのに…という気がしてならなかった。あと、ライブのあとの2曲のフィルム上映(あれ、できれば2曲目も過去の野音の何かを選んでほしかったが、それよりも「毎日がブランニューデイ」で終えるほうに意味性を持たせたのだろう)のあと、清志郎の言葉(「愛してまーす。また会おう」だったかな)で終われば余韻も残ってステキだったところを、最後にナニワサリバンショー開催の告知をバーンと映し出すのは実に無粋だと思った。そういう告知はフライヤーかなんかですればいいのに……。そういうちょっとしたところに主催~制作側のセンスというか美意識の欠如を感じ、惜しいな、残念だなと僕は思ってしまったのだった。

がしかし、興行的(またはお祭り的)に思えたところもありながら、何人かの出演者、いくつかの場面からは清志郎(や片山さん)への思いとか魂の躍動する様が強く感じられたのも確かなこと。わけても愛と優しさのなかに少しの哀しみも滲ませつつステージを進行していったチャボにはやっぱり何度も心揺さぶられた。自身も言ってた通り、紆余曲折ありながらとにかく10年間を務めきったのだ。本当はこんなイベント、やりたくなかっただろうに。こうしてやりきったチャボ(もちろん三宅さんも)には心から「お疲れ様でした」と伝えたい気持ちでいっぱいだ。





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