TOKYO SOY SOURCE 2019@渋谷クラブクアトロ

内本順一

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2019年3月16日(土)

渋谷クラブクアトロで、TOKYO SOY SOURCE 2019。

1~3階を占めてたブックオフが昨年7月に閉店し、ついこの間まで4~5階のクラブクアトロ以外何も入ってなかったクアトロビルには新たにGQが入っていた。前日15日に開店したばかりとあってオープン記念の抽選会などやっているらしく、ビルの入り口には10代20代くらいの若者がたまっていたが、それとは別に40代50代くらいの男女何人かがかたまって「久しぶりー。何年ぶりだろ?  どうしてるのー?」とか言いながらハグし合ったりしてて、ああ、この方たちもかつて芝浦に行ってたんだな、当時はGQに入っていく若者たちぐらいの年齢だったんだろな(自分もそうだ)、とか思いながらビルのエスカレーターに乗ったのだった。

TOKYO SOY SOURCEは1986年から88年までに5回行われたシリーズ・イベントだ。因みにクアトロビルは88年オープンで(当時はクアトロ・バイ・パルコといった)、つまりSOY SOURCEの最後の年にクアトロが始まったことになる。

86年の1回目だけ渋谷ライブイン、2回目以降は芝浦のインクスティックで行なわれた。自分は渋谷ライブインでは観てないが、芝浦インクのSOY SOURCEはたぶん3回だったか(さすがに記憶が曖昧…)観に行った。

わりと最近、ツイッターで「#自分自身を創り上げた日本のバンド10選」というハッシュタグ付きツイートが流れているのを見たが、自分にとってのそれを考えたとき、真っ先にあがるのがRCサクセションとじゃがたらだ。79年~81年あたりはRCのライブをずいぶん追いかけて観に行ってたが、徐々によりラジカルなバンドを好んで聴いたり観たりするようにもなった。じゃがたらは81年の1stシングル『LAST TANGO IN JUKU』を当時通ってた専門学校(東京デザイナー学院)の帰りに御茶の水のディスクユニオンで見つけ、ジャングルズとかオートモッドのシングルなんかと一緒に聴いてたが、繰り返し聴くほどにハマって抜け出せなくなったのがじゃがたらのその2曲(タンゴとHEY SAY)で、だから『南蛮渡来』も出てすぐに買った。死ぬほど聴いた。

じゃがたらのライブを初めて観たのは82年4月4日、代々木公園特設ステージでの「反核ライブ」だ(『南蛮渡来』の出る前かな。このときの映像はビデオ作品『ナンのこっちゃいⅠ』の初めのほうに収められている。前のほうで踊ってる人たちと座ってぼんやり見物してる人たちとにはっきり分かれ、10代後半の自分は前のほうで写真撮りながら踊ってた。そのときの写真、まだ持ってます)。その後、野音の「天国注射の昼」とかでも観たりしたけど、江戸さんの状態がそれからいろいろたいへんになって、じゃがたらはしばらく活動休止に。85年の「アース・ビート伝説」で復帰した際のライブは、僕はバイトの帰りに野音の外で音だけ聴いた。そして、じゃがたらは86年から揃いの衣装でライブをやるようになって動きが活発化していき、そこからは観れるライブは必ず観に行くようになった。追いかけるようにして、いろんなとこで観た。思い出はたくさんある。けど、長くなるのでここではやめておこう。

TOKYO SOY SOURCEは、江戸さんが復活してOTOさんを中心にバンドがどんどんまとまって調子をあげていった頃(ある意味でポップなアプローチをしだした頃、とも言える)のじゃがたら、それからs-ken&hot bomboms、TOMATOS、MUTE BEATの4バンドが中心になって行われていたシリーズ・イベントだった。s-kenはアルバム『魔都』が出たときすぐにお茶の水ディスクユニオンで買って以来ハマって聴いてたけど、ライブを観たのはもしかするとSOY SOURCEが初めてだったかもしれない。たぶんhot bombomsが結成されてまだそんなに経ってない頃のはずだ。TOMATOSはSOY SOURCEで初めて観て知った。MUTE BEATは何度か観たことあったけど、SOY SOURCEで観るようになってハッキリと好きになった。また同イベントにはそういえば藤原ヒロシ&高木完のTINNNE PUNX、いとうせいこう、ランキン・タクシー、NAHKI、ECDなんかもDJやらで出ていた。そうだった、ECDを初めて観たのは、じゃがたら絡みだったのだ。で、ライブを観たあと、僕と友達のサクラバくんは必ず田町駅近くで飲んで終電ギリで帰ったものだった。しかし、なにしろ30年ちょっと前のことなので、とにかく楽しかったという以外、記憶はぼんやりしたものだ。

そんな個人的な思い出話はいいとして、「TOKYO SOY SOURCE 2019」は前売りもソールドアウトとなって大賑わい。Rankin TaxiのDJに始まり、途中でチエコ・ビューティーが呼ばれてそこに加わった。ランキンさんの「チンチンピンピン」はこの歳になって聴くとまた昔とは違う意味で最高だった。チエコ・ビューティーのかけるロックステディはスウィートでいい気分になれたし、歌声も変わらずにキュートだった(デビューする頃だったか、僕がやってた情報誌「any」の取材で会社まで来てくれたことがありましたっけ)。

ステージ上のライブ一番手は、KODAMA AND THE DUB STATION BAND。DUB STATION BANDのライブは、つい約1ヵ月前に吉祥寺スターパインズカフェで観たばかりだった。それは七尾旅人との2マンライブだった。そのときの感想はこちら↓

新生DUB STATION BANDをこの吉祥寺スタパで初めて観たわけだが、今回はそれともまた少しだけ違う感触があった。クアトロはスタパよりもステージが広いため、メンバーそれぞれの立ち位置バランスがよく、だからか音がより整理されているというか、ダビーで迫力ありながらも洗練されてて耳に優しい響きに感じられたのだ。

新加入したトロンボーンのアリワさん(ZELDA~サラコオトナラのサヨコさんの娘さん)もスタパのときより表情が柔らかで、リラックスして演奏を楽しんでいるように見えた。そのアリワさんが歌ったのが、朝本浩文さんの作曲したMUTE BEAT「Sunny Side Walk」に歌詞をつけたもので、澄んでいて柔らかな彼女の歌声からは青空が見え、春が近づいてきた感覚があった。それまでのDUB STATION BANDの表現には切なさや哀しさの成分だとかが多めに含まれている気がしてたが、アリワさんが加わったことで優しさとか温かみの成分が増量した。そんな印象を、スタパで初めて観たとき以上に受けた。

その曲の次だったかどうか忘れたが、DUB STATION BANDはあの曲もやった。じゃがたらの「もうがまんできない」だ。実は1ヵ月前の吉祥寺スタパでもこの曲をやり、そのとき自分はとっても昂ったのだが、クアトロではこだまさんの呼び込みでふたりのギターが加わった。OTOさんとEbbyさんだ。ヴォーカルはこだまさんで、歌が力強かった。そしてやはりOTOさんとEbbyさんが弾くとなると、DUB STATION BANDでありながらも、それは限りなくじゃがたらのあの音、あの曲になる。その音を聴いてたら、自然と涙が溢れ出た。「心の持ちようさ」。この言葉にこれまでどれだけ救われたことか。

「なんとか今日までこうしてみなさんと生きながらえて…」「日々の暮らしがあってこうしてまた会えるわけで…」。そのようなことをこだまさんは話してもいた。朝本さんも松永さんももういないし、江戸さんもナベちゃんも篠田さんももういないけど、生きてる人ひとりひとりに今の日々の暮らしがあって、それをちゃんとおくっていれば、またこうやって再会できる(もちろん我々観客も含めてのこと)。そういう思いがこだまさんの言葉とバンドの音からビンビン伝わってきて、どうしようもなくグッときてしまったのだった。

DUB STATION BANDのあと、DJは EGO-WRAPPIN'の森雅樹さんに。80年代ど頭当時のラフ・トレードの曲やらをかけてて、カリブ方面やらあちこちの国の音楽が混ざり合ってたあの頃の英ニューウェイブはSOY SOURCEの元にも確かになってるよなとか思いながらカラダを揺らした。

ライブ二番手は松竹谷清&Chocolate Dandies。ギター弾いて歌ってる清さんの笑顔は相変わらずステキで、観る人たちを幸せな気持ちにさせる。じゃがたらのナベちゃんやEbbyも在籍し、カリブ海方面の音楽をいい塩梅に取り込んだR&BをやってたTOMATOS時代のシングル曲「青い影」もよかったし、新曲のクリスマスソングもとってもよかった。それにやっぱりTOMATOSの人気曲「Rock Your Baby」。いつ聴いても、ああ、いい曲だなぁって、あったかい気持ちになる。で、聴きながら、その曲出してたレーベルのナツメグって、この夜そこにいたチエコ・ビューティーやエマーソン北村さんのレコードも出してたよな、とか思い出したり。

再び森さんのDJタイム(こっちではさっきと少し変わってレゲエを中心にかけてた)があり、次はいよいよ、JAGATARA2020。セットチェンジ段階でナベちゃんと篠田さんの顔写真の風船が持ってこられ、それを見た観客たちが「おおっ」と声をあげた。それから少ししてメンバーたちがステージに登場し、最後に南流石さんが江戸さんの写真の風船を持って出てきて、うしろに江戸さん、篠田さん、ナベちゃんの顔がフワフワと浮かんで並んだ。

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JAGATARA2020。メンバーは、OTO(ギター)、Ebby(ギター)、ていゆう(ドラムス)、南流石(ヴォーカル)、Yukarie(サックス)、吉田哲治(トランペット)、村田陽一(トロンボーン)、関根真理(パーカッション)、エマーソン北村(キーボード)。そしてベースは黒猫チェルシーの宮田岳が担当。あとでSNSで知ったが、彼の着ていたアロハシャツはナベちゃんが着ていたものだったそうだ。そんな彼のベースは実によかった。軽く驚くくらい、ばっちりハマってた。

始まりは短めのインスト曲(OTOさんの作った新曲だそうだ)。続いて「裸の王様」と「Hey Say」と「クニナマシェ」をメドレーっぽく立て続けに演奏。「裸の王様」はEbbyが、「Hey Say」は南流石が、「クニナマシェ」はOTOがヴォーカルをとった。「裸の王様」のあのイントロが始まった瞬間、血が躍った。前のほうの観客たちもみんながそんな様子で、途端にあのアフロなビートに合わせてみんなのカラダが跳ねたり揺れたりしだした。自分のそばにいた小さなお子さんふたりを連れた女性も子供もリズムに引きこまれているのがわかった。

続いてホーンの3人が「みちくさ」のあの前奏部分を吹いた。そうそう、こうしていつも「みちくさ」が始まったんだった。その前奏部分がやけに胸に響いて僕は泣きそうになったし、そうして始まったファンキーな「みちくさ」の歌詞のひとつひとつがまた今聴くとあの頃以上に突き刺さってくるように感じられた。「おまえの考えひとつで、どうにでもなるさ」「たまらん世界に、たまらんやつら」。江戸さんの言葉は鋭くてリアルで予言的で示唆に富んでいる。

この曲はゲストがふたり呼びこまれて歌われた。SUPER BADの高田エージと、いとうせいこうだ。高田エージさんはオリジナルの譜わりにかなり忠実に、迫力のある声でこれを歌った。せいこうさんは、あれはフリースタイルかな、自分の言葉をリズムに乗せて強く放っていた。「今日は死んだもんも生きてるもんも一緒だ!」と衝動的に叫ばれていて、その思いはなんかすごく共有できた。

続いての曲で、もうひとり。予告されてなかったゲスト歌手がサプライズ的に呼び込まれた。七尾旅人だ。自分はツイッターで彼をフォローしていて、彼が出ることを知っていたし、じゃがたらの曲を歌うということだったので、なんとなくそれは「都市生活者の夜」なんじゃないかと勝手に想像していた。旅人が歌うならファンキーな曲よりきっとスローな曲だろうし、歌詞世界が彼のそれに通じている気がしていたからだ。ただ、セットチェンジの時間などにツイッターを見ていたら、18時過ぎの段階で福岡からの飛行機がまだ飛んでくれないというようなことを彼はつぶやいていて、果たしてじゃがたら出演時間に間に合うのか否か、どきどきした。同じツイートで、歌うのが思った通り「都市生活者の夜」だとわかって、なんとしても間に合ってほしい、間に合ってくれと、僕は祈った。だから、南さんが「七尾旅人!」と呼んで、彼がステージに出てきたときは心底「よかったぁ」と思った。

旅人の歌う「都市生活者の夜」は素晴らしかった。江戸さんと同じ高知県出身だというのはあとで「そういえば」と思ったことだったが、確かに彼の価値観というか、何よりも何を大事にするのか、何に危機感を抱くのか、その基準に江戸さんと通じているものがある気がする。「昨日は事実、今日は存在、明日は希望」。この歌詞は誰が歌ってもリアリティを持つもの、ではない。が、震災のあったあとからいままでそれに向き合った表現をしてきた旅人がその言葉を歌えば、そこには実感が伴う。だからズシンと胸に響く。「昨日は事実、今日は存在、明日は希望」。あの頃、自分はこの歌の意味をどう捉えていたのだろうか。今はわかる。今ならわかる。今だから響く。歌はすごいと思った。

「都市生活者の夜」では旅人ともうひとり、DEEPCOUNTのNobuこと桑原延享さんもステージに登場してマイクを握った。DEEPCOUNTは2003年の江戸アケミ十三回忌イベントにも出演していた。江戸さんも出ていた山本政志監督作『闇のカーニバル』でNobuさんは主演を務めてたり、ジャングルズ解散後しばらく休んでいたものの江戸さんが亡くなったことで再びマイクを握るようになったりと、じゃかたらとは切っても切れない存在。そんなNobuさんの言葉とその発し方は、激しいというよりズシンと重みがあった。Nobuさんは曲の終わりのほうで、「甦れ、江戸アケミ!   甦れ、ナベ!   甦れ、篠田!   甦れ、ECD!」と叫んでステージをあとにした。

JAGATARA2020の最後の曲は、先にDUB STATION BANDの演奏でこだまさんが歌った「もうがまんできない」だった。OTOさんはエレキギターではなくカバキーニョを弾き(それはOTOさんの熊本での生活の気分を反映させた音の楽器なんじゃないか)、ヴォーカルを南流石さんがとり、この曲はここではアコーステイックなタッチで演奏されたのだった。

七尾旅人さん、宮田岳さん、それにDUB STATION BANDのアリワさん。TOKYO SOY SOURCEは30数年前に一度終わったイベントだけれど、そういう若い世代のミュージシャンたちがあのときそこにあった「大事な何か」を確かに引き継いでステージに立っていて、それはとても意味のあることだし、ステキなことだ。それこそ「明日は希望」を表わすことだ。と、改めて今そう思う。

正直に告白すると、江戸さん亡きあと何度かのじゃがたらのリユニオンに行ったときは、何か自分のなかでしっくりこないものがあった。でもこの夜は違った。心にビンビン響くものがあった。日々の暮らしがあってこうしてまた会える。たぶん、こだまさんが言ってたその言葉にその答えがあるのだろう。

JAGATARA2020のあとは、高木完さんがDJをした。電気グルーヴの「Shangri-La」をかけると、その意味のわかるひとたちが大いに沸いた。最高だ。また、エンケンさんの「不滅の男」もかけ、そうして最後のライブへと繋いだ。

トリは、s-ken&hot bombomsだ。s-ken&hot bombomsは『SEVEN ENEMIES』を出したときのレコ発ワンマンをクラブクアトロでやっていて(確か3時間強の長尺ライブだった)、自分はそれも観ているが、それは1990年だったから今回29年ぶりのクアトロライブということになるか。

s-kenさんは長い間プロデューサー業に徹していたけど、3年前くらいにアーティスト活動を再開。六本木・新世界でのライブ復活からしばらくして2017年にアルバム『Tequila the Ripper』を出し、それからビルボードライブ東京でライブを行なって、昨年は下北沢ガーデンでもライブをやった。写真展のクロージングパーティとして青山CAYで行なわれた昨年夏のライブだけは観に行けなかったが、それ以外は観てきた自分が思うに、この SOY SOURCEでのs-kenさんのヴォーカルは最高の仕上がり具合を見せていたと思う。ある種の余裕を見て取ることができた。hot bombomsとの一体感・信頼感が歌に表れていた。それはこの3年くらい、何度かライブをやってきたことのひとつの成果と呼んでいいものだったと思う。

それに何より、クアトロという音響の良好な会場であるだけに、(ゲストの増井朗人さん含めて)hot bombomsの演奏力の高さが際立っていた。グルーブは凄いし、ソロをやればひとりひとりの演奏スキルがまたとてつもない。「よろめきながら地下鉄へ」で特にそれを実感した。こんなバンド、ほかにない。

セットリスト的には「酔っ払いたちが歌い出し、狼どもが口笛を吹く」「ジャックナイフより尖ってる」「千の目、 友にはふさわしき贈り物を」など、それほど長くない持ち時間のなかでも新作『Tequila the Ripper』の曲を多めにやったあたりに現役ミュージシャンとしての矜持も感じた。何しろ新世界やビルボードライブのときよりも「現在進行形のバンド感」といったものが一層強まっているように思えたのが嬉しかった。

s-kenさんは自分のステージを終えると、「最後にみんなで一緒になんかやりたいと思って考えたら、(一緒にできる曲が)ひとつだけあって。それをやります」と言い、そこでこの日の出演者全員がステージへ。hot bombomsの演奏をバックにみんなで歌われたのは、芝浦のインクに行ってた人だったら忘れるはずのない「イヤダヨ」だった。ステージの上にいるみんながすごく楽しそうで、嬉しそうで、幸せそうだった。ステージの下にいる僕たちみんなもそうだった。なんたる多幸感!    s-kenさんとOTOさんを中心にしてその曲は長く続き、そしてその曲が終わってステージを去るとき、南さんが「じゃあまた来るね!」と言い、OTOさんがそれを受けて「クニナマシェ」の終わりの「じゃあ~ま~た~来~るね~」「じゃまた来~るね」と歌いだし、それがステージに広がってしばらく続いたのだった。

「じゃあまた来るね」。そう、みんなきっとまた来てくれる。DUB STATION BANDはアリワさんが加入してフレッシュになったし、松竹谷清&Chocolate Dandiesは変わらず続いてくはずだし、s-ken&hot bombomsは今が最高と言える状態にある。そしてじゃがたらは、来年が江戸アケミさん三十回忌ということで、それに際して何かやることと、それ一回だけではなくそこまで動きを見せていくことがOTOさんから発表された。みんなここから続いていく。昔と同じではなく、今のあり方で。嬉しいことだ。

s-kenさんが昨年、熊本に住むOTOさんを訪ね、そこで話したことがこのTOKYO SOY SOURCE 2019に繋がった。再会がこの特別なイベントへと結実した。昔(東京ロッカーズからカメレオンナイトまで)もそうだったように、人と人との出会いや繋がりを形にしてシーンと呼べるものにまでしていくのは、やっぱりs-kenさんだ。その実行力とプロデューサーとしての嗅覚、何よりその人間力なのだ。

ノスタルジーに浸るためのイベントなどでは断じてなく、s-kenさんもステージ上でおっしゃってたが、間違いなく未来に繋がるイベントであり一夜だったと、強くそう思う。音楽が表現する本当の意味での自由。オリジナルであり、そうありながら続けるということの大事さ。そういういろんなことを考えた。SNS上だけでふりかざす正義なんてものがなんの役にも立たないとみんなが気付く日もいつかくるんじゃないかと、そんな希望すら持てた。そういう絶対的に価値のあるイベントだった。生きていれば、こういうものに立ち会える。

「心の持ちようさ」。「昨日は事実、今日は存在、明日は希望」。「おまえの考えひとつで、どうにでもなるさ」。次の日もこのイベントのことばかり考え、江戸さんのそうした言葉が頭のなかにグルグルまわってた。

↓これを芝浦でナマで観ることができたのは自慢であり財産とも言えるか。







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