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「梅津和時プチ大仕事2021 歌を尽くす」@新宿ピットイン

2021年3月5日(金)

新宿ピットインで、「梅津和時プチ大仕事2021  歌を尽くす」。

出演は、梅津和時(Sax、Cl)、七尾旅人(Vo、G)、瀬尾高志(ベース)。

あれから1年かぁ。という感慨を抱きながらピットインの席で開演を待った。そう、2020年3月8日にピットインで見た梅津さんと旅人の公演から、もう、というか、ようやく、というか、とにかく1年が経つのだ。

1年前の梅津さんと旅人のプチ大仕事は、自分にとって特別で忘れられない公演となった。新型コロナウイルスの感染は2月に日本で拡大し始め、2月の最終週から多くのイベントやライブが延期または中止となっていた。3月1~2週目のプチ大仕事は、そんな逆風吹くなかでの開催となった。やれるギリギリのタイミングだったわけだ。

除菌スプレーをプシュッとしてから会場に入ることも、マスクを着用しながらライブを観ることも、まだ僕(たち)は慣れていなかった。上に貼った去年の日記に書いたように、梅津さんは「ライブハウスから文化は生まれます。だからここから感染させるわけにはいかない。ドアを開けて換気します。外に出るのも自由なので、よければいい空気を吸いに出てみてください」と話していた。

あの公演はギリギリで開催できたわけだが、その後しばらく、世の中から(有観客での)ライブがほぼなくなった。毎年平均140本のライブを観に行っていた自分も、去年3月8日のプチ大仕事を境に生活リズムが変化した。あのライブのあと4ヵ月は1本もライブを観に行けなかったし、その後1度目の緊急事態宣言が解除されて少しずつライブをやるひとがでてきてからも、以前のようなペースで観に行くことはできなくなった。僕(たち)はライブを観に行くのが普通のことではなくなり、ミュージシャンにとってはライブで演奏するのが普通のことではなくなったのだ。

ギリギリで開催できた(ギリギリで観ることができた)去年のプチ大仕事は、だから忘れられない公演となったし、梅津さんにしてみれば、そういう意味での意識(ライブハウス文化を絶やしてはならないんだという気持ち)と共にもうひとつ、そのプチ大仕事が終わったら歯の治療で少し休養に入るということでの特別な思いもあり、旅人もそれを受けて梅津さんのために「最後の大仕事」という新曲を作ってきたくらいだった。

あれから1年。同じ場所にちゃんと梅津さんと旅人がいて、だから僕はこの1年のいろんなことをぼんやり思い出しながら見始めたのだった。

始まりに旅人もそんな話をし、1曲目でその(去年のプチ大仕事の直前に作ったという)「最後の大仕事」を歌った。

そのあと前半、旅人は新曲ばかりを歌っていった。「コロナで死にたい」と言ったという少女のその言葉が作るきっかけにになったという「リトルガールロンリー」、去年5月に白人警官によって命を絶たれたジョージ・フロイドさんのあのことがあって書いたという「SOUL FOOD」など。ほかにも死に関してを着想とした曲がいくつかあるが、そのどれもが死ではなく「生きること」を歌っている。思えば旅人はずっとそうだった。目の前に死があったとき(そのことと向き合わざるをえないとき)、彼は死を歌うのではなく、生きることについて歌うのだ。

と、そんなことを思うと、梅津さんのサックスの音もまたそういうものに聴こえてくるのだった。死という概念にどこかで向き合いながら、生きること、生きていることを表現している、そんな音のように聴こえてくるのだった。

旅人は去年8月1日の『ライブフォレストフェス ~森と川と焚火の音楽祭〜』で会場の照明をオフにして焚火の灯りと炎の音と共に歌われた「if you just smile(もし君が微笑んだら)」(思いだした、あれは本当に素晴らしかったのだ!)を歌い、そこで前半が終了して、休憩(換気タイム)に入った。

後半で歌われた曲のなかでは、まず「十数えてそして愛する」と仮題がつけられた歌がとてもよかった。子供の心にも響くだろう歌。「オッケー、イコー」とすぐに口ずさみたくなるような歌。それは重度知的障害とされている次郎くんが日常で使う10の言葉を繋げて作った歌だそうで、どういう歌かというとこういう歌。その次郎くんも会場に観に来ていた。

癌になった飼い犬のことを、しかし楽しいエピソードをまじえて話してから歌われた「はぐれ犬のワルツ」のあと、ライブ終盤は「東北」「Alive」「途方もないこと」と続いていったのだが、この3曲は個人的なことも重なってとりわけ胸の深くに響いた。3.11震災を受けて、仙台出身の梅津さんが作曲、おおたか静流さんが作詞した美しいうた「東北」。「会いたくて 会いたくて 名前を 呼びつづける」というその歌詞。それを聴きながら僕は、被災地に度々足を運んで被災者たちの話を聞いて文章にしていた友人……この2月に癌で亡くなってしまった彼女のことをどうしようもなく思い出していた。この曲での梅津さんのサックスが、僕には鎮魂の音のように聴こえていた。梅津さんのサックスは歌っているようだった。

続く「Alive」も、「東北」と繋がっているようというか、生と死を受けいれ、それでも生き抜いていくことを肯定する新曲だ。そして次の「途方もないこと」ではこう歌われる。「懐かしい この願いは 途方もないこと」「君の喜びが 僕の喜びに 変わる時 ちいさすぎて 途方もないこと」。

2月に亡くなってしまった友人のことをますます思いながら聴いた。できることなら彼女に届けたいと僕は思った。涙がでて、そして改めて「生きていこう、いかなくちゃ」と思った。

政府の時短要請故、ライブは20時には終わらないといけないことになっている。梅津さんと旅人のライブはいつもなら3時間強やったりもするのだが、だからこの夜は2時間内に収まるセットリストで、「梅津さんと何時間でもやっていたいし、何時間でもやれる。今度は別の形で10時間くらいやりたい」と旅人が言えば、梅津さんも「朝の10時くらいから始めよう」と答え、「朝、梅津さんに起こされるところからライブが始まる、というのをやってみたい」と旅人が子供みたいに笑い、つまり2時間じゃ全然やりたりないという感じがとても出ていた。けど、最後に「まだ3分あるから」と旅人が言うと、瀬尾さんの即興が始まり、そこから「サーカスナイト」が始まった。

3人の、信頼あってのバイブス。即興。梅津さんは去年のこのライブの確か「across africa」だったかでやったように、象がパオーンと鳴くみたいに吹き、旅人も動物の鳴き声を発し、そうして楽しさ込みの「サーカスナイト」でライブは終わった。

生活することの困難さが強まるばかりのこの「社会」。日々の普通の「暮らし」。そして「生命」。

優しかったり、力強かったりする音と歌に、心地よく揺れたり、揺さぶられたりしながら、その3つの繋がりについて思った夜となった。

やっぱり観に行ってよかった。

で、2022年の梅津さんと七尾旅人のプチ大仕事を、僕はどんな思いで観ることになるだろう…。わからないけど、ちゃんと日々を生きないとね。とか思ったりも。

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