【記憶をたどる】#02 共同体感覚、社会への奉仕

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目標は社会に奉仕することを通じて実現される。by アルフレッド・アドラー

いや、本当にそうだと思う。

けど、異様にその共同体感覚、とか、社会への奉仕、というのが苦手だ。

苦手というか、、実の所理解出来ないのだ。これを言うと、非常に問題なような気がして、隠してる訳ではないが、あまり誰にも伝えて来ず、密かにそんな自分は少しおかしいのではないかと思ってる。

高校3年の時に、クラスの女の子で「福祉の道に進みたい」と言った子がいて、私は大袈裟ではなく椅子からずっこけるぐらいびっくりした。「え…?な、なんで???」「わたし、おばあちゃんっ子で、そういう人たちと居るので好きだし、お手伝いをしたいの」そう言われて、「ほほぉ〜なるほど、なるほど、納得、納得」何を納得したかと言うと、自分には(そういう奉仕の心的な発想が)なくて当たり前だわ、と納得したのだった。私は、おばーちゃんが嫌いだったし、別におじーちゃんも好きと言えるような関係ではなかったから。「よかった、私、別に変じゃないよね」と、納得したのだった。

「奉仕の心」や「動物や子供や弱者に対する慈悲の心」というのは、いつか大人になると出てくるものなのだろうと思っていた。

が、、、出てこない…出てこないよぉーーーっ!!!身体中のどこを絞っても私には「子供を愛おしい」て気持ちも「ストリートチルドレンをかわいそう」という気持ちも出てこないのだ!!!本当に怖くて声に出して言えない…涙

(動物に関しては人間の傍若無人の為に被害被ってかわいそうだと思う)

いや、百歩譲ってかわいいとかかわいそうとかは思うけど、それに対して、自分が何かしてあげたいっとは思わないのだ。

血も涙もない、、、

と、これだけ聞くと思うかもしれないがそうではない(とりあえず、自分で弁護してみる)

わたしは割と人情熱い方だし、余計なお節介とは思いつつあれやこれや口出ししてしまいがちな人間だ。(大抵が的を得てないアドバイスなのでうざがられるが…)

でも、それは完全に自分に関わった人間に向けられるものであって、見ず知らずの人に対して感情移入することが難しいのだ。

ただ、奉仕のココロというのはどうやら感情移入とは違うらしいと最近気づいた。むしろ感情移入してしまっては、奉仕も救済も出来ない。

医者も患者にいちいち感情移入はしないだろう。ただ、それを自分の使命として自分の為にその行為に至っているのだ。

(、、、よね?多分、きっとそうかと!)

してあげてるというか、

そこで自分が生かされているというか、

自分が仕事をさせてもらっているという感じだろうか。

奉仕がしたくて仕事をするのではなく、仕事をすること、それは結局は社会への奉仕である。

えっと

なんか

ぐるぐるしてきちゃったけど

そういうことである。






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