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「生産性」でもやもやが高まる話

※最初に断っておきます。勤務先の代表、昭和気質やや高めですが😀、多様な働き方に理解はあり、よい仕事環境をつくることを重視している受容力のある方です。

先週のこと、うちの代表「生産性が上がるアロマディフューザー、買ってきたよ~」「これで1.5倍のスピードでサクサク仕事進めれると思うし~」と・・冗談ぽくだけど本音入っているやん、直接的過ぎで、せっかくのいい香りのアロマの代わりなのに、「もっと働けってことか」と言い返したくなり、ちょっと気分悪くなる。良好な関係性だとは思っているので、「その言い方、直接的過ぎると思うんですけど~」と笑いながら一応受け答えしておく。なんてデリカシーない・・と心では思う。そんな、「生産性上げて」で上がるわけないやん、もっと言い方あるでしょ?「集中力が高まるアロマなんだって」「気持ちよく仕事できるように買ってみたよ~」とか・・まあまあ普段から報告書には、「〇〇と△△の実施により生産性向上を図る」だとか「○○の導入により労働生産性を高めていく」などという言葉がいつも使われている仕事柄、かなりなじみの強い当たり前になってしまっている言葉ですけどね。「生産性」「効率性」って言葉。

次の日、さらに、訪問先から帰社した代表、「外から帰ってきたら香りよくわかるわ。いい感じやね。生産性上がった?」またまた・・上がった?これって、直接聞く内容ではなく結果でしょ?って思う。機械じゃないんだから、機械だって使う人の扱い方によるし、試運転ってものがあるでしょ?って突っ込みたい。

「生産性」の前提フレーム


「働き方改革」は生産性向上策とセット、企業の評価軸は生産性となっている。それを把握するために、生産性指標を分析してもっともらしく論評している。「生産性向上」って言葉は巷に当たり前に使われすぎている。でもそれって、経営者側の都合で、従業員には響かないし、安心で働きたいって思える仕事でモチベーションが上がることで、また未来への見通しに安心感を持てること、明るい展望を描けて仕事を進めることで、結果的に生産性や効率性はついてくるものである。「生産性上げよう!」って前世代の製造業が中心だった時代のフレームにはまっている。

生産性=産出÷投入

投入したリソース(労働者の人数や労働時間)に対してどの程度の生産量があったのかを費用対効果を確認する。働き方改革の流れからは、将来の労働力不足が見込まれる中、ITの力を借りることも併せて、1人当たりの生産性を上げること、働き手を増やすことがいわれる。残業制限がかかる中、より時間当たり生産性を上げないと従来の仕事量はこなせないといわれる。

「生産性」へのとらわれ


「生産性」っていわれて気持ちよく働けない、「生産性が良くないよなー」という自分への負い目もあり、割り切れていない自分もいる。「生産性」にとらわれたくない。生産性以外の指標となるものはたくさんあるはずだ。働きがいと自己成長実感があれば、楽しく働ける、そして安心安全な場で将来の明るい見通しを感じられる働く場であればより、自分自身を高めよう、行動しよう、周囲にもいい影響を与えたいと思う。経営者にとっては現状での会社の評価がどうしても「生産性」があり、事業の発展のためには大切なものであるが、それ自体を変えていくにはどうしたらいいのかしら・・と考える。ここも結局「仕事」「金額」という結果の部分だけしかないことにあると思う。単に役割分担、機械としての人になってしまっていることにあると思う。

子育てと「生産性」


仕事と育児の両立の話の中で、育児も家事も生産性を上げようというようなノウハウもある。より効率の上がる方法は?と自発的に取り組むのはとてもいいことだし、限りある時間を活用するには大切なことだ。ただ、子どもが大人の都合で動くように、生産的にやろうとしてしまっていないかと、安心安全な場をつくれているか・・自律的に動けるような促しができずに。「生産性を上げろ」的な指示になっているかも。時間に追われているので、少しでも早くやってしまうことを強要したり、近道を教えてしまったり、大人の言う方向をむかせてしまっている。これって、大人視点の沁みついた生産性が土台にある行動になってしまっていないかと、振り返ってみる。生き抜く力をつけるには、生産性じゃないところ、もっと大切なことを見失わないようにしないとな。

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