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虚しくなって泣いていたら、腹が減った。

今朝は寒かったなぁ。目が覚めると、気持ちがしくしくしていた。もそもそ起き出して、岡山までの汽車とホテルを予約して、もそもそ布団に戻ってみる。なんか、胸がきゅーーーっとなる。お腹の方から虚しさが上がってくる。じっとして、湧いて来るものを受け止める。体の感じ、言ってること。だめだ、だめだ、わたしはだめだって叩いてる。あれこれ、自分は間違って無いだろうかって気にしてパニック気味になってるみたい。足が冷えて冷たかった。

ひとまず、もこもこの靴下とカイロ!お風呂沸かすところまで頑張れなくて、足湯するにはキッチンが寒い・・・。ということで、応急処置の靴下カイロ。じんわり、ぽかぽか温まって来る。

気にしなくていいのにな。間違えてもいいのにな。やってみる、挑戦することに「失敗」はつきもの。わたしは不器用で、勘違いしやすいと思う。3回投げたら2回は外れる。また投げ直す。やってみては、やり直しする。なにやってんだろ。ばかみたいに進歩が遅く感じる時がある。でも、それでいいんじゃないかな。それで今まで回ってるだけ。走ってるだけ。十分じゃないのかな。だめだ、だめだの自分の隣で、虚しい気持ちを受け止めながら、そんなことをぼんやり思ってた。

べてるの家の本が読みたくなって、押し入れから引っ張り出した。北海道の日高地方にある精神障害者の活動団体。世界的にもその進んだ取り組みが注目されてて、年中国内外から見学者がやって来る。年に一度のべてるまつりはすごい人で、小さな町のホテルがどこも満室で、出遅れると宿が取れないくらい。べてるの家ではそれぞれが自分の病気を受け止め、研究する。発信する。表現する。その存在感とユニークさに圧倒されて、感動して、泣いて笑ってしまう。大学院生のとき、べてるのことを知って、ここで聞き取りをし、論文を書かせてもらった。すごく未熟な内容になったけど、べてるのことはずっと自分の中にある。

本を読んでたら涙が出てきた。べてるでは四十年くらいかけて場の土壌をつくっている。どうしようもなさ、無力感、絶望、そこに根をおろし耕すこと。人間ってなんなんだろう。生きるってどういうことなん?つながりってなんなん?自分のなかにあるものがぐるぐるめぐる。自分がどうしようもなく小さくて愚かに思えた。自分のどうしようもなさを静かにぼんやり受け止めていると、浦河に行った時の人間の温もりと優しさを思い出した。それと同じものが、わたしの中にもあると思う。

ちゃんとしなきゃと思って、よくしんどくなる。ちゃんとって何なのかな。それは誰が決めるのかな。誰にとってのちゃんとなのかな。わたしが「ちゃんと」気持ちよく、安心していられるかを気を付けるのに使ったらいいんじゃないのかな。出来ていなくても良くて。その時は、そうなんだなって思えばいんじゃないのかな。やってみないと分かんないんだよ。答えは外には無くて、自分の中にあるものだから。行動してみないと分からない。べてるのみんなも病気との付き合い方を自分がそうだと思った方法でやっている。結果、再入院したり、ばくはつしたりすることも多々あって。その結果を自分で引き受けてやっている。それで順調だと言っている。だからわたしも、自分の思うようにやってみて、凹んだり、喜んだりすればいいんじゃないのかな。

始めて精神科の病院行ったのもこの季節だったような気がする。冬の手前。内向きへと変化する季節だもんな。寒くなって、気持ちが鬱鬱しやすいんだろな。久しぶりに、ちょっと寂しい気持ちになった。虚しくなって泣いていたら腹が減った。サンドイッチを作って食べたら、また元気が出てきて、今日も一日生きられた。

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