みんな生きている

どの国にもスラム街というものが存在している。
タイには鉄道の線路の横に家を構えている人たちがいたり、アメリカにはテントを張った人たちがたくさんいる。
でもそこで暮らす人たちは、生活に困っているとかそんなの全然なくて、単に社会というマジョリティから追い出されたごく普通の人達なのだ。
だから、話しかけてもみんな優しく接してくれるし、そこに何の壁もない。
去年行ったタイのバンコクに行った時に、スラム街に住む6歳くらい?の子どもに飴ちゃんをもらった。その子の目はとても輝いていて、その澄んだ目を今でも覚えている。

最近どこの国、都市でも再開発というものが進んでいて
もちろん利便性は高ければ便利だし、住みやすければそっちのほうが良い。
でもどんなに反対する人がいても、それは民主主義社会では相手にされないのだ。
そこには僕の目には見えない色んな複雑な事情が絡まっていて、再開発の決断に至ったのだと思う。
でも忘れて欲しくないのが、そこに住む人がいるということだ。


今回韓国を訪れた際に、九龍村というスラム街を訪れた。
(スラム街という呼び方もやめた方がいいかもね。)
そこはホント小さな村で、もうその村の隣では再開発が進んでいて、ビルがたくさん並んでいる。


潰さない方がいいことだってあるし、利便性というものだけを追い求めた先には必ず限界があると思う。


今年の夏にインドに行こうと思う。
面白そうだから行くのだけれど、今一番活力あると言われてあるインドは、今再開発が進んでいる。
でも、その混沌としたインドを見れるのが恐らくもう3年もないと思う。
だから実際に行ってみて、そこに住む若者のエネルギーだったり、その人たちの価値観に肌をもって感じたいと思う。

もっと色んなとこに行ってみたいし、
知らないことには始まらない。
そこに行って人の暖かみを感じで、初めて「あ!こんな遠くに住む人達も僕と一緒の人間なんだ。何も違わないんだ。」って思うのである。それは二次情報では分からないし、そこの経験は何にも変えられない体験となり、自分の糧となるだろう。

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