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“手塚 治虫さんから頂いたメッセージと軌跡の数時間”

何の脈絡もなく会えたのはとても不思議な運命のいたずらだった。小学校の親友が名古屋にいて、彼は永井豪などのアシスタントをしていた友人宅に泊まらせてもらいながら受験していた。

不思議な縁で東京の美術大学受験が終わり、愛知芸大入学試験で受験した1次のデザイン科入試の石膏デッサン(ブルータス胸の正面で立ち位置5列最後方)が終わり、その発表で友人が「きょう!手塚治虫さんが来てくれるけど一緒に来る?というではないか、

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他はみんなプロのアシスタントで自作作品を持参して来るけれどというので、これは作品講評会なんだと思ったけれど、こういう機会は一生にないので頼むと返事した。

ある夕方から始まったアシスタント仲間の一人の家で、みんな大きなテーブルの上に高さが30cmぐらいの手描き漫画原稿を置き待っていた。…..

とその時、ふすまが開きベレー帽姿の手塚 治虫氏が入ってきた。みんな緊張していて順番に名前を言い簡単な自己紹介して言った。しかし作品の講評がなかなか始まらない、そのうち手塚さんが話しだしたのは、そこにいた全員が当時売れていたプロのアシスタントだったので、漫画の画力はみんなある基準のテクニックがあることは推測できたが、まさかそういう話をされるとはみんな思ってもみない想定外の内容だった。

そして、次の質問はそれぞれの学歴を尋ねられた。私も一番端に座っていたら話すように言われたので、ここにいる経過を話した。その各自の履歴紹介が一巡すると。手塚先生が話された内容はこういうお話でした。


 それは、漫画の分業である原作と作画というコラボのあり方に対してと、これからの時代変化の未来予測だった。「これからの時代はとても複雑になるので、単に漫画の絵がうまいとかでは、だめで、様々な分野の本や映画、音楽、芸術、舞台などの視覚伝達分野での文化面や、科学を始めとする工業や製品の発達が加速度的に起こる….」それは子供や青年たちに大きな影響を良い面とそうでない面の影響を与える……。

そしてご自身は現在の大阪大学前身の医科大学を出て医師免許取得後、博士号も漫画を描きながら勉強し取得されたことは何故か?自分の医科大の同期で漫画家は自分しかいないと笑いながら話もされた。そういう話は正しい倫理観と的確な思考と専門分野を深く掘り下げる意味を、これからの漫画家は単に絵のテクニックだけでなく様々な社会のことを勉強しなければならないので、

まず専門便分野を選び大学や大学院、あるいは博士号まで勉強してからそれらを包括した上で、高い視点と広い世界観を持ち子供や青少年に夢と希望を持たせなければいけないと。それには原作を他の人に書いてもらうのではなく自分自身の頭で原作と絵を描かねばいけないと話された。一時的な流行になり有名になるという視点ではなく、子供や青少年に夢と希望を与える高い使命や志を持ちなさいということを、3時間以上もの長い時間丁寧に話されていたことが、深く心に残った。

 最後になぜか私に「君はなぜ漫画家にならないのですか?」と突然想定外の質問を投げかけられたので頭がパニックになり、「自分は線で全てを描くのは苦手で、どうしても面とかかたまりとして描くのに意識がいくので…..」とか訳のわからないトンチンカンな返答をしてしまった…

それはもう半世紀前の私が19歳のときの青春で大切な“一度の人生のなかの時間芸術”の一コマだったように感じた。今までいろいろな偉大なアーテイストに突然、出会うことがあったがそれは必然だったのかもしれないと最近は感じる。



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