Appleのりんご理論

僕は完璧主義者なので、自分が作ったものが360°どこからみても完璧であってほしいと願う。例えばストーリー作りだと、いろいろなストーリー理論に照らし合わせて「理論的には完璧だ...」となると幸福脳内物質が出るタイプ。

そうやって作っていくと、作ってるものや目指してるものがだんだん球のようになっていく感覚がある。どこから見ても文句のつけようのないツルッツルの球。どこから見ても文句をつけられない形になると、もう球しか無い。

ただ、本当に心動かすものって球じゃなくてどこか尖ったり凹んだりしているものじゃないか?

たとえばAppleのりんごは欠けている。きれいなりんごじゃなくて、欠けている。そのほうが想像の余地が広がったり、注目すべき点ができたりするので単純に「interesting」に思う。

論理的にツルッツルの球をつくっちゃったら、一回それに変なものを足したりごそっと削ったりして、意図的な歪みをつくるのも大事なことなのかもしれない。

(なんか最近同じようなことを書いた気がするけど、別の視点から同じことを書いてみた。)

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