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霊媒プロデューサー 神野恒(ひさし)7.巨   悪

今回は、『6.死者の自責』に続いて、『7.巨   悪』を公開いたします。ご覧ください。

主要登場人物

神野恒(じんのひさし) テレビメトロのプロデューサー
 亡くなった叔母から、失意のうちに死んだ人間の最後の声を聞く能力を受け継いだ。
 初めのうちは半信半疑だったが、次第に信じるようになり、能力を生かしてジャーナリストの仕事を貫こうとする。

神野京子 恒の妻

川辺幸一 ディレクター
 恒の部下。お調子者で事なかれ主義のところがあるが、秘めた情熱も持ち合わせている。 最初は、恒の言葉に翻弄されるが、次第に恒のなくてはならない部下のひとりになっていく。

吉川良太 テレビメトロの若手記者
 ジャーナリストを貫こうとするまっすぐな男。独断専行気味だが、仕事に対する真摯な態度は恒や川辺も、一目置く存在。

近藤刑事 恒たちと顔見知りの刑事。
 どこか冷めたところがあり、決して本心を顔に出さない。口では、厳しいことを言っているが、吉川たちに味方する。

霊媒プロデューサー 神野恒(ひさし) 目次
1.孤独死報道
2.被 疑 者
3.鬼の目に涙
4.霊 媒 師
5.名探偵登場
6.死者の自責
7.巨   悪(今回公開分)
エピローグ

7.巨   悪

 小西の自殺により、足がかりを失った桂川に対する収賄の捜査ははかどらなかった。もっぱら、一部の夕刊紙や週刊誌、それにテレビのワイドショーしか報道されなくなって世間から忘れ去られそうとしていたときに、新しい事件は起こった。
 黒田克己という週刊誌の記者が殺された。黒田は、取材先と良くトラブルを起こしており評判は悪かった。

「あの悪党が!」
 恒は、男の怒鳴り声で気がついた。声のするほうを見ると、殺された黒田が突っ立って手を強く握っていた。
「自分のやったことを棚に挙げ桂川の野郎め、ちょっとした小遣いをケチりやがって」
 黒田は、自分勝手なことを言い出した。恒は、やはりな。と、納得した。が、黒田が同じ報道に携わっていたことに複雑な想いを持った。以前に霊媒師の九条を脅迫した白川陽一だけでなく、黒田が握った証拠を警察にも知らせず記事にもせず金のために最後は身を滅ぼした。もちろん、桂川が直接殺した訳ではないだろう。しかし、何らかの指示をしなければ、黒田が殺されることもなかったであろう。

 恒は、昨夜の黒田の身勝手な言い分を思い返していた。身勝手なのは、黒田だけではない。桂川の不用意な一言で、小西を死に追い詰めたとしたら? それを、自分には関係ないような記者会見で、残念そうな顔をした? ありえる。しかし、証拠がない。電話を受けた小西自身が自殺をしたために、確かめることは出来ない。それだけではなく自分の裏の顔を知られて、罪もないとは言いがたいが人の命を奪った。
 そんな男が、いくら素晴らしい法案を考えたとして国民が喜ぶだろうか。桂川でないと出来ないはずはない。そんな人間は世の中にはいない。桂川が失脚しても、逮捕起訴されても、必要な法案なら誰かが引き継ぐ。それを、知らないはずはない。やはり、金か? 
 恒は、もう一度先入観を取り去って考えることにした。吉川に言いたかったことは、この事だった。自分が、先入観を持っていては駄目だ。恒は、もう一度最初から考えてみようと思った。しかし、死に逝く人間の言葉を信じるしかなかった。
 黒田が、ゆすったのは事実だろう。それが原因で殺された。殺したのは? 桂川代議士の差し金なのだろうか? それは、まだ判明していない。恒は、地道な取材しかない。と、腹をくくった。
 吉川君には悪いが、少しの間我慢してもらおう。危害が及ぶことも考えて、慎重に取材するようにも言っておかないと。恒は、何かあったら自分が全責任を負う覚悟を決めた。

 吉川は、恒から珍しく厄介な仕事を頼まれて、戸惑ったものの自分のやりたかった仕事だと言うことで張り切っていた。
 一人で手に負えるわけはなく、仕方なしに河野に助っ人を頼んだ。彼なら、尾行はお手の物だと思ったからだ。吉川は、桂川代議士の動向を探るように言われた。
 桂川が接触する相手を調査し、殺人犯を特定する。危険だと思ったら、すぐに手を引くようにも言われた。深入りしたら、相手は何をするか分からない。桂川が知らなくても、実行犯は殺人を犯している。勝手に吉川に危害を加えるかも分からない。

 そこは、ホテルのロビーだった。東京でも指折りの高級ホテルだった。吉川は、河野に連絡をもらって来たところだった。桂川は、秘書を傍らに座らせて、誰かと面談しているようだった。
「どうです?」
 吉川は、桂川に張り付いている河野に近づいて声を掛けた。
河野はさりげなく桂川を見ながら、吉川は記者会見での質問で顔を覚えられた可能性があり、念のために河野とテーブルを挟む格好で桂川を背にして座った。
 吉川は、場所柄を弁えてスーツを着ていた。吊るしの、一万円以下の安いスーツを。
 河野は、ジャケット姿でネクタイは締めておらず、ちょっと見は旅行者に見えた。河野は、旅行者のように辺りをきょろきょろさせながら場違いのところに来たように浅くソファーに腰掛けていた。
 河野が桂川に張り付いてから、一週間ほど経っていた。河野は、場所柄を考えて今まで様々な格好をしていた。
「今のところ静かなものです。相手は、支持者や国会議員、それに秘書、それに数社の経営者だけです。それに、陳情に来たのか地元の市長ぐらいです。人を殺しそうな物騒な人間はいませんね」
 河野は、小声でデジタルカメラを吉川に見せて笑った。
「簡単に尻尾は出さない。か…」
 吉川は、嘆息した。
「気長に、いくしかないでしょう。私も、そのほうが実入りが増える」
 河野は、笑顔になった。
「そうですね」
「おかげで、今沢さんの穴埋めが出来た。パソコンだっていいものが買える」
 河野は、そこまで言って、「パソコンは、お預けになるかもしれない」と、苦笑してカメラを持って自然に立ち上がった。
 吉川が何をするのか訝ると、「記念撮影をしましょう。こんな高級ホテル。めったに来れない」といって、吉川に向かってカメラを構えるとシャッターを切った。が、カメラは吉川の顔の上に見える、桂川代議士に向けられていた。
「相手がいると、こういう芸当も出来るんです」
 河野は、笑顔だったが、「じっとして! 後ろを見たらオジャンになるかも知れなません」と、付け加えることも忘れてはいなかった。吉川は、一瞬固まってしまった。
「それでいい。後は、相手が何者か突き止めましょう。あなたは、面が割れているかも知れませんからそのまま動かないで、ゆっくりしていてください」
 河野は、そう言ってから大胆にも立ち上がると桂川代議士のほうに向かって歩いていった。何をするつもりだ? 吉川は、興味を持ったものの、下手に動くと感づかれるかもしれないと思った。ぎこちなく座ったままで、河野に任せるしかなかった。
 これじゃあ、ゆっくりするどころか返って疲れる。そんなときに、「君も、よっぽど暇なようだな」と、不自然に動かないでじっとしている吉川に、誰かが声を掛けた。吉川は、はっとして声のするほうに顔を少しだけ向けた。
「何処かで聞いた声だと思ったら、近藤さんじゃないですか。何故ここに?」
 吉川は、咄嗟に尋ねてしまった。
「実は、俺も暇なんだ。で、政治家の裏の顔を覗いてみようかと思って来てみたら、なんと同じ事を考えている人物に出くわしたということだ」
 近藤は、いつものように話をはぐらかして小声で答えた。が、眼だけは、河野の姿を追っているようだった。
「花岡さんは?」
「なに、彼は、俺の代わりに大先生に何回も事情を聞いたから、近づけないんだ。寒いのに外にいる」
 近藤は、花岡の災難を喜んでいるような口ぶりになった。
「我々は、お邪魔虫ですか?」
「さあな、せっかくここまでやってくれたんだ。お手並み拝見しよう」
 近藤は、河野の姿を追いながら笑って、「彼に任せておけば安心だ。ちょっと焼けるがな…」と言って視線を吉川に移した。
「河野さんて、どういう人なんです?」
 吉川は、興味を覚えて尋ねた。
「そうだな。生きている伝説の男。そういったほうがいいかな。俺も、君ぐらいのときは後ろにくっついていた。今の君のように」
 近藤は、言ってから、「君の人を見る眼は確かのようだ。どこかの国会議員のように人を見る眼がないと、国会議員の先生に内緒で何かやって検察に捕まったりしない」と、皮肉を込めて言った。それは、桂川のことではなく、別の国会議員のことだと分かった。この人は、何処まで冗談なんだ? と、吉川は改めて思った。
「やっぱり、桂川先生だ」
 遠くで、大声で桂川に声を掛ける河野の声が聞こえた。
「君は?」
 困惑した、桂川の声が聞こえた。
「私は、これでも先生に入れたんですよ。すいません。こんなところでお目にかかるとは思わなかったので、つい声を掛けてしまいました」
 河野は、悪びれもしないで適当なことを言った。
 今、桂川の前に出て顔を覚えられたら? 吉川は、心配になったが、「ビンゴのようだな」と言った近藤の言葉にそうなのか? と、後ろを振り向きたい衝動に駆られたが、仕方なしに近藤に眼で尋ねることにした。
「もっとも、決まったわけじゃないが、桂川があの男と嬉しそうな会話をしていなかったから何かあると踏んだんだろう」
 近藤が説明している間にも、河野の声は聞こえていた。
「せっかくだから、写真を撮ってもらえませんか?」
 河野は、図々しく頼んだが、「やっぱり、お忙しい先生には無理でしょうか」と、少し暗い顔をした。
「そんなことはないですよ。写真の一枚ぐらい」
 桂川は、まんざらでもない顔をした。
「そうですか。感激です」
 河野は、子供のようにはしゃいで、「なんなら、秘書の方も一緒に」と、調子に乗り出した。
「仕方がない。田沢君シャッターを押してくれたまえ」
 桂川は、面談相手に頼んだ。田沢と呼ばれた男は、渋々と言うような顔で立ち上がってぶっきらぼうに河野からカメラを受け取った。
「すいません。シャッターを押すだけでいいんです」
 河野は、そう言うと桂川の横に陣取ってにこっと笑った。
「押すだけでいいんですね」
 田沢は、仕方なしに尋ねてから、「写しますよ」と言って、シャッターを切った。
「もう一枚いいだろう」
 桂川は、機嫌がよくなったのか中山に言った。
「分かりました」
 田沢は、仕方なしに答えると、「では、もう一枚」と事務的に言ってシャッターを切った。
 河野は、「ありがとうございます」と、田沢に礼を言ってカメラを受け取った。
「ありがとうございました。家宝にします」
 河野は、歯の浮き出るような台詞を吐いて、お辞儀をすると、桂川と握手をして戻ってきた。
「たまに、ああいう支持者がいるんだ」
 桂川が、秘書に自慢している声が聞こえてきた。
「君も来ていたのか」
 河野は、近藤に気が付くと声を掛けてきた。
「やりすぎじゃないんですか? 顔を覚えられたら…」
 吉川は、心配になり尋ねた。
「あいつは、選挙民の顔をいちいち覚えているような男ではない」
 河野は、変な自信があるようだった。
「そういうもんですか?」
 吉川は、呆れたものの素直に納得した。
「ああ。今週に入って、何回も近くを通った。もっとも、格好は違うがね」
 河野は、面白がっているような口ぶりになった。
「ところで、近藤君。せっかく指紋を取ったんだ。照会してみてくれないか」
 河野は、真剣な顔になるとさっきのカメラを近藤に手渡した。カメラには、いつの間にかハンカチが被せられていた。
「分かりました。調べてみます」
 近藤は、あっさりと同意した。
「撮った写真は、自由に使ってもらっていい。が、私も興味がある。消さないで返してくれるかね」
 河野は、近藤に言ってから、「私の役目は、終わったようですね」と、吉川に顔を向けて少し残念そうな顔をした。
「いえ。もう少しお願いします」
「もう、止めたほうがいい。相手は、素人に扱える人間じゃない」
 河野は、断定的に言って、「私だって、いろんな人間を見てきた。これ以上深入りすると危険だ」と、真剣な眼になった。
「そうです。後は、我々に任せてください」
 近藤は、立ち上がると珍しく頭を下げて、エントランスの方に向かって歩いていった。
 吉川は、少し振り向いて近藤が桂川代議士をつけ始めたことを知った。
「とにかく、カメラが戻ってこなければ話にならない。戻ってきたら伺います」
 河野は、近藤に後を任せたようだ。これ以上桂川に張り付く気はないようだった。
「桂川代議士と、同席していた男が怪しいと?」
「おそらく。もっとも、私の感でしかないんですが…」
 河野はお茶を濁したが、河野の顔から確信のようなものを吉川は感じた。

 河野は、恒の向かいの空いた席に座って、「近藤君が見えたもんですから、つい、昔のように大胆になってしまいました」と少し照れた顔になり、近藤から返してもらったカメラの画像をUSBメモリーに入れて恒に差し出した。
「でも、吉川君は顔を見ていない。どんな人物ですか?」
 恒は、昨日吉川から報告を受けたことを思い起こした。
「それが、田沢守という男で、殺人の前科があることが判明したんです。元、暴力団の構成員でした」
 恒は、河野の言葉で昨日河野が吉川に言った、『相手は、素人に扱える人間じゃない』という言葉を思い出していた。河野という人物は、只者じゃないかも知れない。
「ところで、吉川さんは?」
 河野は、吉川のことが気になり尋ねた。
「私が、変な指示をしたので、まだ、桂川代議士に張り付いてますよ。行き過ぎたことをしなければいいが…」
 恒は、少し不安な顔で答えた。
「彼なら、大丈夫でしょう。私が、脅かしておきましたから。それより、誰かが贈賄したとしたら? それを嗅ぎつけた記者がゆすって殺された…。もっとも、単なる推測ですが…。推理にもならない」
 河野は、自信の無い顔をしてから、「誰が贈賄をしたか、そっちのことを調べるのが先決かも知れません」と、付け加えた。
「まさか、西村建設ですか?」
 恒は、驚いて河野を見た。
「まだ、繋がっているかも知れない。と、思っています。桂川は、おいしいお菓子を他に取られたくないでしょうから。ホテルで桂川は、迷惑そうな顔をしていた。何かあるのかも知れません」
 河野は、言ってから苦笑いした。
「田沢という人物は、佐伯の代わりだと?」
「そうなります。ま、私の思い過ごしかも知れませんが…」
 河野は、溜息をついた。
「調べてみる価値は、ありそうですね。他に取りざたされている会社はありますか?」
「はい。桂川代議士に張り付いて、不審な会社があと一社、いや、二社かな…。二社ほどありました。二社ともゼネコンです」
 河野は、そう言ったものの確証はなかった。
「まだ、何も判明していない。こんなときは無駄でも、仮説を立てて一つ一つ検証していく他ないかも知れません」
「仮説ですか?」
「はい。しかし我々は、ワイドショーの担当じゃない。だから、もう少しお力を貸してください」
 恒は、そう言って頭を下げた。

 河野が恒と面談しているとき、桂川代議士の事務所では、吉川が桂川に面談を申し込んで名刺を渡したところだった。
「また君か」
 桂川は、名刺を手に取って、吉川を横目で睨みつけながらくしゃくしゃに丸めた。
 吉川は、気持ちを押さえ桂川の対応を見守ることにした。
「あれは、私には関係ない。あいつが、勝手に死んだだけだ。私は、被害者なんだよ」
 桂川は、もううんざりだという顔をしていた。
「今日は、その話ではありません」
「今度は、いったい何を聞きたいんだ!?」
 桂川は、不機嫌なまま尋ねた。
「黒田克己という、週刊誌の記者をご存知ですね」
 吉川は、単刀直入に尋ねて桂川の真意を探ろうとした。
「あんなごろつきが、なんだって言うんだ?」
 桂川は、怒り出して、「まさか…。私が殺したとでも?」と、吉川を睨みつけた。
「そうは、言っていません」
 吉川は、桂川の剣幕に押され守勢に立たされたが、「ごろつきと。仰いましたね」と、反論を試みた。が、興奮しているときに本音を漏らすことは、あることだと思い桂川の次の言葉を期待した。
「君は何かね? あの時と同じように、人の揚げ足を取ることしかしないのか!?」
 桂川は、記者会見の時のことを言っていた。
「いえ」
 吉川は、否定だけしておいた。
「じゃあ、何だ!?」
「あれは、おかしいと思っただけです。私が聞いていないことを、あなたが言った。もしかして、何かご存知だと思っただけです」
「そんなことは知らん。私が知りたいぐらいだ。そのおかげで記者会見をやる羽目になった。私は、被害者なんだ。それに、あのニュースは何だ!? 俺が、何か知っていると視聴者に思わせるようにあんな映像を使いおって!」
 桂川は、本当に怒り出した。
「先生。もうお時間です」
 政策秘書が、何事も無かったような顔で桂川に告げた。
「何だと!?」
 桂川は、怒りに任せて秘書に怒鳴り散らすような口ぶりで尋ねた。
「ですから、次のスケジュールが入っております」
 秘書は、吉川に鋭い視線を向けて、「お引き取りください。あなたが何を思っているのか分かりませんし、誰が殺されたかも分かりませんが、先生とは無関係です」と言った。
 吉川は、これ以上追及するとまずいと思い素直に立ち上がり、「お忙しいところありがとうございました」と言って頭を下げた。
「こんな侮辱を受けたのは、初めてだ! 私を、誰だと思っている!?」
 吉川は、答えずにもう一度頭を下げると、そのまま事務所を後にした。「記者の分際で、適当なことを言いやがって!」という、桂川の怒鳴り声を背に受けながら。
 吉川は、国会議員の分際でと反論したい思いを呑み込んだ。自分を何様だと思っているんだ? 言い方は悪いかもしれないが、国民の使いっぱしりの国会議員が自分が偉いと勘違いしている。

 吉川は、局に戻ってからありのままのことを恒と川辺に報告した。
 河野は局を去ったあとで、河野の持ってきたデータと情報を恒から聞かされた。
「あやしいですね」
 吉川は、田沢の過去を聞いて言ったものの、「何一つ、証拠がない…」と、塞ぎこんだ。

「河野さんも言っていたが、これ以上深入りすると危ないかもしれない」
 川辺は、吉川のことが心配になった。
「そんな…」
 吉川は一瞬戸惑った顔をしたが、川辺を睨みつけるような顔で、「もう三人も死んでいるんですよ。真相を暴くのが我々の仕事じゃないですか!」と、川辺に食って掛かった。
「君の言うとおりだが、君を四人目にしたくないんだ」
 川辺は、いつになく真剣な眼で吉川をまっすぐに見つめた。吉川は、川辺の言葉に何も言えなくなった。
 吉川は、ジャーナリストの自分だけでなく裏腹に臆病な自分がそこにいることを感じた。ジャーナリストの自分は、何があっても真実を掴むという思いがある。臆病の自分は、川辺の言葉のように自分の身を守るためにあまり深入りしない方がいいと警告している。いったいどっちが、自分の真の姿なのだろうか?
 恒は、暫く黙っていたが、「いずれにしても、桂川からは眼をつけられてしまった。これは事実だ。これからの取材は、注意するように。無理をすると危険だ」と、吉川に言葉をかけた。
「ありがとうございます」
 吉川は、二人に頭を下げて、「やれるところまでやってみます」と言葉をつないだ。

 それから、警察の捜査も進展していないようだったが、吉川も何の収穫もない日々が続いた。そんなある日、恒と川辺は、常務に呼び出された。

 常務室には常務が、執務机の向こうで苦虫を潰したような顔で座っていた。部長は、手前の応接用のソファーで困惑した顔を恒と川辺に向けた。
 常務は、開口一番、「君たちは、自分のやっていることがどういうことが分かっているのか?」と、いきなり怒鳴りつけた。二人に、席を勧めるつもりはないのだろう。ドアの近くに立っている恒と川辺を、交互に睨みつけた。二人に常務の怒りが伝わってきた。
「真実を、追求しているだけです」
 恒は、物怖じせず常務を正視しながらきっぱりと言った。
「真実!? お前たちは、自分たちの報道がどれだけ重いか弁えているのか?」
 常務は、恒の答えに不服そうな顔をして、「証拠もなしに憶測だけで、ワイドショーのように無責任に報道しているのは何故だ!?」と、詰問した。
「私たちは、決め付けている訳ではありません。疑惑がある以上、報道するのは我々の義務です」
 川辺は、少し興奮したような声で常務を睨みつけた。恒は、驚いて川辺を見た。あの川辺が…。黙っていれば…。私の陰に隠れていれば…。少なくとも、首になることはないだろう。川辺にしても、この報道に命を掛けているのだろう。恒は、そんな川辺の気持ちが嬉しかった。悩むのはよそう。国民のために真実を暴かなければならない。
 常務は、嫌味な顔を川辺に向けてから、「神野君。君も川辺君と同じ考えなのか?」と、同じ顔を恒に向けた。
「はい」
 恒は、即座に答えて、「使命だとも、思っております」と、付け加えた。
「使命か。ご立派なことだ」
 常務は、溜息をついて、「もし報道が間違っていたときは、会社がどうなるのか分かっているな」と、二人に向かって大きい声を出した。
 恒は、圧力がかかったに違いないと感じた。吉川が桂川を怒らせたことが原因には違いないが、ニュースセブンの内容も気に食わないのだろう。
「相手は、大物だぞ。野党時代と違い今は、与党だ。胸先三寸でテレビ局なんかどうにでもなる」
 常務は、恒と川辺から視線をはずさずに睨みつけたままで一気にまくし立てた。
「常務」
 今まで黙っていた部長が、常務に声を掛けた。
「何だね? 二人の弁護をするつもりなのか?」
 常務は、部長に視線を移した。
「そういうつもりはありませんが、もう少し取材させてやってくれないでしょうか」
 部長は、気負うのでもなくいつもの口ぶりだった。
「そうか。確信もない、少しの疑惑だけで、わが社をつぶしてもいいというのかね?」
 常務は、部長に向かって真剣な顔になった。
 恒は、常務の気持ちも判らないではなかった。しかし、自分たちの力を過小評価しているのではないだろうか。戦前のマスコミは、悪は悪と毅然とした態度を取らないばかりにこの国を破滅に導いたではないか。いや、権力に迎合したと言っていいだろう。圧力に屈して。それに比べれば、民主主義の世の中で何をはばかることがあるだろうか。
「そうは、言ってません」
 部長は、顔を常務から恒たちに向けると、「取材は、もっと慎重にやるように。君たちの行き過ぎた取材が、会社に迷惑をかけることを肝に銘じて欲しい」と、穏やかな口調で言った。
「君は、けしかけるつもりか?」
 常務は、血相を変えて部長を見た。
「いえ。後一月、いや二週間で結構ですから、彼らに時間を与えてやってください。彼らだって、何の根拠もなくやっているのではないでしょう」
「君は、責任を取ることができるんだろうな」
 常務は、部長に向かって最後通牒を突きつけた。
「はい」
 部長は、常務に対して即座に答えてから、「さあ、時間がない。私にできることなら何でもするから、巨悪を暴いてくれ」と、励ますような言葉を恒たちにかけた。
「はい。ありがとうございます」
 恒と川辺は、常務ではなく部長に頭を深々と下げた。
「二週間だけだぞ!」
 常務室を去る二人の背中に、無視されて困惑した常務の声が聞こえてきた。廊下に出ると二人は、義理で常務に頭を下げて常務室のドアを閉めた。

「大変なことになったな」
 恒は、帰る廊下の途中で川辺に呟いたが後悔はしていなかった。
「なんの。いざとなったら、辞めれば終わりですよ。代議士の巨悪を暴くんです。こんなけつの穴の小さい会社なんかこっちから願い下げです。もっとも、再就職は大変でしょうが」
 川辺は、言ってから笑った。
「ありがとう」
 恒は立ち止まると、川辺に向かって頭を下げた。
「よしてくださいよ。別に、気を使ってるわけじゃない。私だって、ジャーナリストですよ!」
 川辺は、自信がないように、「たぶん…」と、付け加えた。
 頭を上げた恒は、「そうだな。君はもっと自信を持っていい。ジャーナリストだと、胸を張っていい」と、言って川辺の肩を叩いた。
「本当ですか? ありがとうございます」
 川辺は、破顔して、「時間がないんです。報道部挙げて、疑惑を暴かないと」と言うと、駆け足で自分の席に戻って行った。
 恒は心の中で、もう一度川辺に頭を下げた。

 吉川は、恒たちが常務に呼ばれたことも知らないまま、田沢の線から真実を掴もうとした。河野と交代で、田沢を尾行することにした。
「交代します」
 河野は、電柱の影で田沢を見張っている吉川に声をかけて、「どうぞ」と言って缶コーヒーを吉川に手渡した。
「ありがとうございます」
 吉川は、礼を言って缶コーヒーを受け取って、「田沢は、まだ自宅のアパートにいます」と、報告した。
「昔を思い出しますね」
 近くで、近藤の声がした。二人は、声のする方を見た。
近藤は、ゆっくりと近づいてきて、「寒いときの缶コーヒーは、ありがたかった。もっとも、私には敬語は使わなかった」と、昔を懐かしむような声をだした。
「どうしたんだ? 昔を懐かしむために、来た訳じゃないだろう」
 河野は、そう言って近藤を見た。
「まさか…」
 吉川は、捜査が進展したと確信した。
「君は、よっぽど運がいい」
 近藤は、顎でアパートを指した。
 吉川は、アパートに振り向いて慌ててバックに忍ばせていたビデオカメラを取り出してアパートに向けた。アパートの外階段を、数人のコート姿の男がゆっくりと上っていくのが見えた。アパートの外階段の反対側にも数人のコート姿の男たちがアパートを見上げていた。
「モザイクは、忘れるなよ」
 近藤は、それが儀式のように一言付け加えると、「君たちのおかげで、証拠を見つけることができた」と、珍しく礼を言った。
 吉川と河野は、互いを見てから近藤に視線を移した。
「証拠が見つかったんですか?」
 吉川は、期待を持って尋ねた。
「これ以上は、捜査上の秘密だ」
 近藤は、煙に巻くと吉川に向かって、「よく、無事だったな」と、意味深なことを言った。
「どういうことです?」
 吉川は、近藤の言った言葉の意味を理解できなかった。
「君は、虎の穴の前にのこのこやってきたウサギのようなものだ。いや、鴨がねぎをしょって、鍋まで持参して…」
 近藤は、そこまで言ってから、「見つかっていたら、殺されていた。そんなことより、せっかくのチャンスだ。ちゃんと撮れよ」と早口になって、アパートの方に視線を移して吉川の肩を叩いてからアパートの方に早足で歩いていった。それを合図にしたように、捜査員の一人が田沢の部屋のチャイムを鳴らした。
 田沢は、だいぶ抵抗していたが結局捕まってパトカーに乗せられた。
 吉川は、一部始終を撮ることができたが、「私は、危なかったんでしょうか…」と、撮り終わったビデオカメラをバックに戻しながら河野に尋ねた。
「多分そうでしょう」
 河野は、否定はしてくれなかった。
 吉川は、驚いた顔を河野に向けた。
「大丈夫ですよ。あいつが、ちゃんとあなたをマークしていたんでしょう。だから、あんな言い方をした」
「私は、囮だったんですか?」
 吉川は、恐怖に満ちた顔になった。もし、見つかって殺されていたら…。
「そう怖がらなくてもいいですよ。もう終わった」
 河野は、吉川の恐怖を和らげるように静かな口調で言ってから、「警察だってマークしていたんです。あなたに警告しても聞かないと思ったんでしょう」と、近藤の気持ちを代弁するような言い方をした。
「私は、目をつけられていたんでしょうか」
「あたりまえでしょ。命がまだあったのが不思議なくらいだ」
 河野は、そう言って笑った。
 警察は、何処かで田沢を見張っていたのだろう。「私は、もしかして、警察の捜査を邪魔していたんでしょうか?」と、情けない顔になり河野に尋ねた。
「厄介な、ジャーナリストだったでしょう。でも、みんな通る道です。あなたは、運が良かっただけです」
 河野は、否定してくれなかった。
 吉川は、河野も自分を守っていてくれたのだろうと確信した。自分の無鉄砲な取材に付き合わせた河野に、「ありがとうございました」と、深々と頭を下げた。
「礼には及びません。仕事ですから」
 河野は、言ってからあくびをして、「やっと、終わりましたね。私の役目は、終わりました。お疲れ様」と言って、手を差し出した。

 吉川は、それから慌ただしくなった。警察の記者会見や取材に飛び回った。田沢の自供により、桂川の秘書が殺人教唆で逮捕された。吉川の取材を邪魔した政策秘書だった。名前は、小沢悟。吉川は、その時初めて名前を知った。
 さらに数日経った日の夜、捜査は急展開を見せた。桂川代議士が、収賄の容疑で逮捕された。桂川は、連行されるときにまだ国会議員の威厳を保とうとしていた。
 吉川は、報道陣にもみくちゃになって警察車両に乗り込む桂川が微かに震えているのを見逃さなかった。やはり、この男は、自分の事しか考えていなかった。と、桂川の薄っぺらな内面を、垣間見たような気がした。
 吉川は、捜査の進展に呆気に取られたが、さすが近藤さんだと納得した。警視庁の前での取材が終わり、家に帰れたのは午前二時を過ぎていた。

「桂川代議士を収賄で逮捕。政策秘書小沢悟を、殺人教唆で逮捕。民生党は、即刻桂川容疑者を除名処分とした。首相は、『政治家として、いや、人としてあるまじき行為を遺憾に思います。被害者の方には、謹んでご冥福をお祈りします』と、談話を発表。桂川容疑者が、国会に提出しようとしていた法案は、内容は申し分ないため我々が、引き継ぐとのコメントを発表」
 川辺は次の日、新聞の見出しを声を出して読んでから、「除名処分とは、呆気ない幕切れですね」と、納得いかない顔をした。
「収賄だし、秘書が殺人教唆だから、仕方ないだろう。当然の処分と言っていい。いや軽すぎるほどだ」
 恒は、川辺に言った。
「でも、将来は、首相間違いなしと言われたんでしょう。実力もあったし、見識には定評もあった…」
「だから、眼を瞑ってもいいと言うんですか!? それは、表の顔ですよ。あいつは、国民を見ていなかったんですよ。
 ほんとうは、自分の立場を守るために、結局秘書に汚いことをやらせたんですよ!」
 吉川は、川辺の言葉を遮って川辺を睨みつけるように食って掛かった。
「そんなことは言ってない。どんなに国のことを考えていようが、国民のことを考えていようが、どんな理由があろうが、秘書が人殺しを命じたんだ。原因は、収賄にあった。代議士に責任があることは明白だ。政治を、私物化した。だから、残念なんだよ」
 川辺は、複雑な顔になった。
「金まみれだけでなく、人を殺したんだ。結論から言うとトカゲの尻尾切りだろう。巨悪の一つに過ぎないかもしれない。小西さんには悪いが、桂川は、それだけの人物だった。器が小さすぎる。それに、国会議員がどういうものか、残念ながら解っていなかった」
 恒は、しみじみとした口調になった。
「まさか…。あの大物がトカゲの尻尾ですか?」
 川辺は、驚いた顔をした。吉川も、呆気に取られた顔で恒を見た。
「そうじゃないかも知れないが、簡単に暴けない巨悪がこの国にはまだ存在するのかも知れない。
 我々報道に携わる者は、巨悪を見逃さない覚悟が求められているのではないだろうか」
 恒は、川辺と吉川に言った。

 昨夜遅く逮捕された桂川は、朝から取調室で、取調べを受けていた。
「あなたは、もう国会議員じゃない。たんなる容疑者です。もう、何も失うものはないんじゃないですか?」
 近藤は、静かな口調で尋ねてから桂川の顔を見た。
 本来なら、収賄容疑で東京地検の取調べを受けているはずだが、人が二人死んでいる。さらに、佐伯が勝手にやったようだが、今沢の妻が殺され夫も一時重体になってまだ入院している。
 この男には、警察の普通の取調室で尋問するのが似合っているかも知れない。しかし、なんという愚かなことだろうか。三人の命が失われたのだ。今沢の上司の交通事故にしても、疑惑は残っている。もし、殺人となると…。
 桂川の収賄を隠すだけのために、どれだけの血が流されたことだろうか。
まだ他にも、何かやったんじゃないだろうな? 近藤は、疑惑が膨れるのを感じた。
「だから、何度も言っているように、命じたことはない。
 佐伯が、勝手にやったことだ。小沢にしても、勝手にやったことだ。わしは、何一つ知らん」
 桂川は、迷惑そうな顔をした。
「政策秘書だった小沢が、勝手にやったことだと?」
「あたりまえだ」
 桂川は、怒り始めた。
「じゃあ、収賄は、認めるんですね」
 桂川は無言で、恨めしそうな顔になり近藤を睨みつけただけだった。
「佐伯は、全部白状しましたよ。全面自供です。証拠もあります。あなたが黙秘を続けても、送検できます」
「わしは、まだ国会議員だぞ」
 桂川は、まだ威厳を持った態度を崩さなかった。
「何か、勘違いしていませんか?」
 近藤は、蔑んだ眼で桂川を見た。
「かんちがい?」
 桂川は、困惑した顔をした後で近藤を睨みつけた。
「あんたは、単なる犯罪者だ。国会議員は、それを隠すための隠れ蓑に過ぎない。いくら立派なことを言っても、行動が伴わないと国会議員の資格はない。違いますか?」
「わしに、どうしろと言うんだ?」
 桂川は、俯いてぼそっと呟くように言った。
 近藤は、無駄だろうと思ったものの、「素直に、罪を認めてください」と、桂川に詰め寄った。
 桂川は、近藤を睨みつけたまま何も語らなかった。

「おかげさまで、佐伯が態度を変えました。全面自供です」
 近藤は、恒たちの報道部に入ってきて礼を言った。
「佐伯って、あの、今沢さんを殺した?」
 吉川は、驚いて尋ねた。
「はい。桂川が逮捕されて、後ろ盾を失ったそうです」
 近藤は、呆れた顔で、「もう、後から後から、桂川に頼まれた。あの狸おやじは…。と、聞きもしないことを洗いざらい供述しました。殺人は、勝手にやったみたいですが、逮捕される前に出てきた後の面倒はみてやると言ったそうです。あんな男が、代議士だったなんて」と、眉をひそめた。
「なんか、やりきれないですね」
 吉川は、複雑な顔をした。
「小沢も、被害者かもしれない」
「小沢って、政策秘書の?」
 川辺は、驚いて鸚鵡返しに尋ねた。
「ええ。あ・うんと、言ったのは桂川のようです」
「あ・うんですか?」
 吉川は、近藤に尋ねたものの近藤の言わんとしていることは見当が付いた。桂川は、殺せと命じた訳ではないが、小沢がそう思うような態度を取ったのだろう。
「証拠にはなりませんが、『先生は、解決しろとだけ言って、田沢を私に紹介したんです』と供述しました。それから、この男は、何でもやる。だから、自由に使っていいと」
 近藤は、小沢を取り調べたときの小沢の供述を思い出して、かいつまんで恒たちに告げた。
「やはり…」
 吉川は、溜息をついた。桂川に対する怒りと、小沢に対する同情のようなものがない交ぜになった。桂川は、そうやって身を守ろうとした。それが、あいつの本当の姿なのか?
「そう心配することはない。俺が、桂川を落としてやる」
 近藤は、言ってから笑って、「情けない男だ。まだ悪あがきしている。しかし、容赦はしない」と付け加えた。
 恒は、近藤たちの会話を聞きながら、小西のことを思い浮かべた。
 あなたのしたことは、無駄になったかもしれない。愚かだったかもしれない。あなたの桂川代議士に対する想いを、本人が受け止めていれば…。と、思うと残念です。あなたの想いは、きっと他の人間に受け継がれることでしょう。安らかに眠ってください。恒は、小西に向かって心の中つぶやいた。

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